2013年02月02日

出発点 1979〜1996/宮崎駿 (2/意訳あり)




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描く
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●徹夜のコンテをも棄てろ
たとえ一枚のペラにまとめられたメモでも、考え抜かれて生まれたものからは、流れるように絵コンテが生まれてくる。何かつまずいたり、何となくすっきりしない時は、必ずどこかに問題がひそんでいる。ためらわずに、積み上げたものをくずして別な方向を探せば、必ずいつかは、これしかないという段階に辿り着けるものである。( 中略 ― 時間に追われようと)わずかな不安もないがしろにしないことが大切な心構えである。( 中略 ― 徹夜したコンテだろうと)ゴミ箱に放り込む決断をして、初めて使える部分と使えぬ部分が見えてきたりするものなのだ。 98

●やれるだけやる。なんにせよ、それしかない。
いつだって人材は不足している。足りない力で作品を作るしかない。それが自分たちの力なんだから。 166

●こういう物が作りたいと思う物があったら、出来る
いちばん良いシナリオって一つあるんです。この辺に( 中略 ―― 頭の上を指して)あるんです。それを探す作業がシナリオを書く事なんです。
こういう記号で、これをくっつけたらこうなるなんて、どうでもいいんです。映画は、かつて何もなかったんです。芝居をただフィルムに写してたのが映画だったんです。
( 中略 ―― シナリオの書き方とか映画の作り方なんてウソなんです)
こういう物が作りたいと思う物があったら、出来るんです。それだけは間違いない。
自分で、なんとか行けるなと思えば行けるんです。その時に、自分の常識で行けるんじゃなくて、自分の思い描く志というか、この辺(頭の上)にありそうな物を一生懸命探すことが大事なことなんです。そうでなければ、映画はとても出来ないんですよ。
(あがいてもがいて描き出すもののなかに、社会性やパーソナリティのようなものは全て入ってくるんですよ)
世界中が統合出来ないで苦しんでるわけですから、自分が統合出来ないのは当たり前だけれども、その中で、なんとかそれに近づこうと努力をしながら、映画に作らされる、という体験をしていただきたいと思います。 140

●閾下にゆだねる
最初、大脳皮質のほうで、前頭葉のほうで考えていたようなことは、どっかで役に立たなくなるんです。そうするともう少し奥のほうで、自分の意識の下のほうで考えているようなことが、追いつめられてでてきますから、そっちのほうにゆだねないと、理詰めだけの映画になっちゃう。 540

【 虫や動物の眼差しで 】
●一秒という世界 180
人間の子供が一歩歩くのに0.五秒、象なら一歩二秒、ねずみはもっとずっと速く歩く。そうすると一秒っていうのはみんな同じ長さだと思っているけど、象の感じる一秒と、人間の感じる一秒と、ねずみの感じる一秒と、ハチの感じる一秒っていうのは、みんなそれぞれ違うんじゃないか ――
( 中略 )
●ハチは雨をよけられる 180
ハチはものすごい勢いで羽ばたいているけど、たぶん僕らが歩いているとき手を振っているのが見えるように、自分が羽ばたいているのが見えると思うの。そうするとね、雨のつぶだって見えると思う。
●想像力〜擬人化でなく、生き物が体験している世界へ 187
ただ顕微鏡で大きくした世界にハチをホイと置いてね、人間と同じようなことをさせるよりも、本当にハチの世界に入って、ハチから見たように世界を描けたら、たぶん他の星に行く話しよりも面白い映画が作れるんじゃないかなあと、ずーっと思ってるんだけど、難しくてできないんですよ、なかなか。
(一九九二年六月十九日 仙台 八幡小学校六年三組にて)
●擬人化は退屈
( 中略 ―― 原作とはちょっと違ったけど)「ネバーエンディング・ストーリー」という映画がありましたね。その中に竜が出てくるのですが、非常にわかりやすい顔をしていましたね。何を考えているかわかる顔をしているんですよ。これが全然つまらないんですね。何を考えているかわからない方が、自分たちにとってはるかに憧れの対象になるんです。要するに擬人化して感情移入のしやすいものにすればするほど、つまらなくなる。 543

●青春《煩悶》の炎で本物の志を焼き締めろ 224
自分がどういうものなのか、自分になにができるのかと自問すること、たとえば毎日絵を必死に描き、イケる、だいじょうぶだな、と思う反面、自分の絵がはたして通用するものなのかな、本当は錯覚で、自分には絵の才能などまるでないんじゃないか、とも思うわけです。その不安と焦燥の真っただ中で煩悶するのが青春なんです。
みなさんには、それをとことん味わってもらい大きな志をもってほしいと思います。
ぼくにも、その志があります。( 中略 なかなか達成できないけど)志が大きければ大きいほどいいのです。そうしないと、志にふさわしい作品に近づけようとして一センチ、それが無理なら一ミリでもいいからツメ寄ろうとする気構えが萎えてしまうからです。
( 中略 )
毛沢東がこんなことをいってます。
「創造的な仕事をなしとげる三つの条件がある。それは、1.若いこと、2.貧乏であること、3.無名であることだ」
( 中略 )
心の乾きを指しているのだと、ぼくは考えています。

●ボロボロになるまで 〜一冊を繰り返し(意訳)
ぼくは不勉強な人間なんでね。映画も見ない……アニメーションも実写も。
仕事上の刺激だったら、本を読んでいたほうがいい。よく書いてある本というのは、何度も繰り返し読んでいくと映像的になっていく。
女房にあきれられましたけど、ぼくは結婚してから、十年以上、寝床で必ず読む本があった。
( 中略 )
小さな国の軍用機ばかり集めた本で、もうボロボロになりました。 351
僕は、戦争のことが好きなものですから、いろいろ読んでいるんですけれども ―― それで「宮崎さん、戦争が好きなんですか」とか、いろんなことを聞かれますが、そういう時には「エイズの研究者がエイズが好きだと思うか」とか、言い返したりしてるんですけど ―― 529

●非連続性とエニグマ 〜ダイナミズムと説得力の源泉
山本哲士 ―― 因果性、連続性のある語りからは、何か先が見えてしまい、感動を感じないのです。しかし、「風の谷のナウシカ」のように、非連続性があり、存在を解決されないものを指摘されると、それが感動をもたらしてくれるのです。何かを飛躍した非連続の世界が伝わっていく感動があるわけですね。 556


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『“風の谷”の未来を語ろう』334
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  火を捨てる? 
 「ナウシカ」と冷蔵庫のある「エコトピア」 
  対談者/E・カレンバック(1985年6月7日)

●活かされない教訓 336〜
カレンバック 歴史的に西欧社会で資本主義の発達を見ると、少なくとも二百年はかかった。

宮崎 日本の国は、環境問題に関しても、これから小さい修整がいろいろ行われていくだろうと思うんです。でも、隣の韓国、北朝鮮、中国、みんなこれからですよ。僕らがやってきたことを、まさにやろうとしています。
それがどういう結末を迎えるかは、僕らは容易に想像がつくけれども、彼らを説得して止めさせることは不可能だと思うんです。( 中略 )くやしい思いをしながら、避けられない業として見ているしかないだろうと思う。
( 中略 )
自然の世界と折り合いをつけながら生きていく術を、アジアもアフリカも持っていた。特に日本は功名に持っていた。それを失わせたのは、西欧の近代文明だと思うんです。それに乗っかってしまった日本人も悪いんですが、世界全体がいま、そうしなければ生きられないような政治情勢にある。だから、マネするとかしないとかいう単純な問題ではなくて、違う哲学を手に入れない限り、同じ過ちは際限なく繰り返されるでしょう。
( 中略 )
進んで貧乏になろうという決意をしない限りだめなんじゃないか。(それが)人間にとっていちばん困難なことだと思うから、いつも困るんですね(笑)。
( 中略 )
日本で縄文時代の平均寿命は成人で三十歳です。それが当然のこととして受け入れられた時代だったと思うんです。いまは七十歳を超えてしまいました。
( 中略 )飢餓と病気と老いと死を免れたい( 中略 )ところに人間の煩悩がある。いまの僕らの社会は、その四つに挑んでいるんです。( 中略 )
かつて宗教で癒そうとしたけれども、宗教のかわりにテクノロジーなんかで癒すことができるんじゃないかと思ったところに、実はいま僕らが突き当たっている精神的な大きな問題点があると思うんです。
いま僕らが直面しているいちばん大きな問題は、人間の数がふえて、しかもたくさんのものを消費して、エントロピーをどんどん増大させ環境を悪化させて、まるで癌細胞のように生みの母を食い荒らしていることです。
もしこの癌細胞を何とかしようと思ったら、たとえば僕らが消費している物質を半分に減らす。日本で全員が半分だけ貧乏になろうと、もし決められたら、日本の国土は確実によみがえるでしょう。五十歳で死のうと決める。乱暴な言い方をすると、病気も運命として甘受しようという考え方さえある。
僕はだらしなくてちょっとでも熱が出るとあわてて薬を飲む人間ですから(笑)、偉そうなことはいえないけれど、この問題を突き詰めていくと、どうしても体を健康にしてむりやり八十歳まで生きなきゃいけないのか、なぜ人が死ぬのを食いとめなきゃいけないのかというところに突き当たってしまうんじゃないだろうか。

カレンバック でも、ご自分で、たとえば五十歳で死ぬということを、自分から進んで受け入れますか。( 中略 )

宮崎 ですから、長生きしたい、貧乏もしたくない、お腹いっぱい食べたい、その結果、こういう状況にきた。やり方を間違えたからじゃなく、文明の本質の中に、こういう事態を引き起こす原因があったんだと( 中略 )。

カレンバック そうおっしゃる場合に、二つのことを混同しないほうがいいんじゃないか。私たち人間も動物であって、動物というのは生きようとし、ものを食べようとし、なるべく気持ちのいい暖かい環境を選ぼうとする。そのこととは別に、たとえば金持ちになりたいとか、より多くのものを食べたいということは人間の作りだす文化に属するのではないか。

宮崎 その本能を文化という形で追求してきた結果が、こうなったということ。つまり本能を発揮するときに、僕らは社会を構成し、分業し、ものをつくり、ものを売り、よかれと思って追求してきた結果、こうなってしまった。

カレンバック (こうなってしまった)とおっしゃるけれども、どこの社会でも同じような文化を築いたわけではない。( 中略 )私たちの文化も、方針を変えて違う方向に進もうということができるんじゃないか。( 中略 )大変なことだし、時間もかかるけれども。

宮崎 話がズレてるところが、とても大事な点だと思うんですけど、自然という問題について、自然の中に自分がいるという考え方と、自然をいかに上手にあやつりながら一緒に暮していくかというのは、違う考え方なんじゃないか。( 中略 )
僕は悲観論ばかりいってるようなんですけど、実は滅びるとわかってても元気に明るく生きられると思ってる人間なんです(笑)。だって、みんな死ぬとわかってても、ちゃんと生きてますからね。(笑)。









posted by bibo at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | BOOK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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