2013年02月23日

箱《パンドラ》を開けた




『ファンタジーは深層心理の扉を開く』 267
――『千尋』という映画の中には、『不思議の国のアリス』から『ゲド戦記』、『クラバート』まで、さまざまなファンタジーや児童文学の要素が入っているようですが。
宮崎 いろんなものが混ざってますね。
―― それは意図的に、そうされたのですか。
宮崎 意図的にというよりも、やっていくうちにそうなっちゃうんですよ。自分たちの深層心理の中に繰り返し繰り返し出てくるモチーフというものがあるんだと思うんです。そもそも『クラバート』自体、突然作家が思いついたものではなく、中世の民間伝承を基に書かれたものですから。だから自分が入れたいと思ってて、入ってないものもたくさんありますよ。……僕はね、この作品を作る過程で、自分にとって開けてはいけない頭の中のフタを開けてしまったみたいなんですよ。ファンタジーを作るって、普段は開けない自分の脳みそのフタを開けることなんです。そこにある世界が現実なんだと思ってやっちゃうから、時折、現実のほうが現実感なくなっちゃう。どこかで自分の生活よりも、リアリティ持ってきますからね、その世界のことの方が。今、こういう話をしていても、ある種現実感を喪失していくんですよね、そっちの世界が中心になっていくから。
―― 絵コンテを描かれている時というのは、そこで描いている異世界が現実というか、その中に自分がいるという印象なのでしょうか?
宮崎 ……そうですね。そこまで入っちゃう時が多いと思います。本当にあったことなのか、それとも自分が空想したことなのか、わからなくなっちゃうこともありますよ。スケジュールがあるから繋ぎとめてるだけでね。ここで寝ていてハッと目が覚めると、俺はなんてとんでもないところにいるんだろうって背筋が寒くなることがありますから。この映画は本当にできるんだろうか、と。作品を作るっていうのは、作品に食われる部分がありますからね。
―― ご自分が、作品にですか?
宮崎 ええ。そういう部分が確実にあると思いますよ。どうしてそういう部分に踏み込まなくてはならないというのか……ある種、狂気の部分を背負うっていうのかわからないけど。作ってる最中に、ある種の呪縛に囚われていくんでしょうね。自分がふだん開けないはずだった脳みそのフタが開いて、違うところに電流がつながっちゃう。
―― どの映画を作る時も、そのようなことが起きるんでしょうか?
宮崎 いや、どうだろうな。あんまりそういうふうに思ってなかったですけどね。開けるのもだいぶ手だれになってきたから。ああ、「開いてるな」、と。ただ映画を作ってると、表側のことじやなくて裏側のことばっかり考えてるでしょ。自分の深層心理のほうに扉を開けていく。そうすると突然道が繋がって、ああ、こういうことが自分が本当にやりたかったことなんだ、ってわかったりするけど、それがこの世で全然通用しないことだったりするんですよね。……で、あんまり深く入ると、戻れなくなる。
―― 戻れなくなるとは?
宮崎 いや、だからあらゆるリアリティが映画のほうにあるんですよ。
―― こっちの世界のほうが現実味がない?
宮崎 現実味がない。

《しばらく沈黙が続いた。待っている時間は、果てしなく長いようにも、一瞬のようにも感じられた》

宮崎 ……映画との距離が日によって違うんですよ。本当に入り込んでいる日は矛盾しているのに、ものすごく整合性があるんですよ、多分。離れてみると何の整合性もないのに。一瞬、その狭間に落っこちるんです。おもしろいですね。それまでリアリティを持っていたものが、その瞬間に全部リアリティをなくすんですね。それで脈絡のないものが、突然立ちあがってくる。……だから、絵コンテに戻ると、本当にあっけないもんですよ。あっ、こんな絵コンテだったのかって。

『折り返し点/宮崎駿』つづく(鋭意抽出中・・・・・)







(この二つもつづく・・・・・)

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