2013年03月02日

ポエムの虎 2003 秋吉台現代詩セミナー/「ポエムの虎」実行委員会編


ポエムの虎 2003 秋吉台現代詩セミナー/「ポエムの虎」実行委員会編




 ●出来事としての物語
 稲川方人 ―― ぼくは、疑いを持ったことを初発にして書いています。今までは自分の作品がどう読まれても、何も気になりませんでした。しかし、この連作は、読んだ人が一体なにを思うのか、なにを考えるのかということが気になります。そう意識させる理由の一つが、ここで作られている物語です。ぼく流に言いますと、歴史/物語といったものです。今日の歴史観に対してある時代の物語、厳密に言うとそれは歴史性というよりも出来事性と言ったほうがいい。ヒストリーと言うと言葉上、別の問題が入ってきてしまいますので、歴史における出来事というものを物語として考えたい、出来事としての物語を書こう、と思っているのです。
 なかに出てくる「町《コロニー》」、「静かな共和国」、「保護監禁」、「友愛」、「国定 ―― 言語」、「階級の没落」、などの言葉は、それ自体は文学的な言語ではなくて、直接性を持った言葉だと思います。そういうものを括弧に入れてあります。これらは、予め作っている歴史/物語に対して、この作品が何をやろうとしているのかということも、一つ背景にあって出てきた言葉ではないかと思います。 13




 『聖 - 歌章/稲川方人』 14(▼)

 05
 
 死んだ眼は見るだろう、いくつもの恒星が集まる十光年の星団も、
 サイレンの鳴りわたるあの乾いた地下水道の壁も。
 祝婚の朝の身支度をした横列の人々の顔はまだらで、
 ニュース・フィルムのカメラにみな同じ帽子をかぶっている。
 顎に手をあてて消えない耳鳴りに耐えているあまりに若い花嫁の両側に犬も並び、
 その犬を連れて、
 この駅からいくつの駅を過ぎれば
 父母も兄も、望むものすべてが甦る小さな土地の家に着くのだろうと、
 花嫁はそうして身動きせずに、奏でられる弦楽器に顔をあげ、
 この「花摘みの歌」を歳老いる日まで忘れないと誓うだろう。
 再会することのない、
 けれども生き残れとたがいに言う声から別々の道が啓蒙されて
 人々の手のロザリオの糸が引きちぎられた。
 抑えたこの約束を限りに、陽は高くのぼり
 狂ってゆく破局に二度と怖れまいとし、
 それぞれが生まれたときのすがたになった。
 脱ぎ置かれてある着類はそれでも揺れ動いていたが、
 鼠のように這う炎がそれを焼き尽くすと、
 地下水道の遮られた排水口からは次の駅もまた次の駅も見えて、
 死んだ眼はうつろいながら
 やがて深い山脈の夜へ入って行くようだった。
 聖なる彼方を ―― 最後への短い眠りを埋めるために、
 夢にさえ届くことのない楽園のために、その「彼方」を、
 聖なる彼方を ―― 飢餓の血と水浸しの花と、
 謝辞のない愛と記憶のない愛のために、その「彼方」を。




―― トークと朗読3
【 反射神経だけで詩を書きたい/松本圭二 】 23

 ●ジョージ・イーストマンとコ二−・アイランド

 はじめまして、松本と申します。ぼくは福岡の図書館で映画のフィルムを保存する仕事をしているのですが、そこで、たぶん今回のチラシを見られたのでしょう、ある年配の職員から「松本君もいよいよ詩のボクシングに出られるのですね」と声をかけられました。「いや、違いますよ。詩のボクシングではなくて『ポエムの虎』です」と言いたかったのですけど、この「ポエムの虎」というのが、職場では恥ずかしくってちょっと言えませんでした。
 今、「電波詩集」というタイトルで「現代詩手帖」(思潮社)に連載しているのですが、そのなかの一篇を読んでみます。出来がいい悪いは別として、自分のなかではちょっと大事にしている一篇です。

  『14 詩人と打ったらどじょん″になる』

  真剣などじょんは
  言語や形式について実験するように
  光についても様々な試みをする
  そのためにかなりの時間を費やすのがふつうである
  私もまた他の優秀などじょんと同様
  若いころは光の散乱している曇天を好んで書いた
  そして、その光の描写をマスターしてから
  こんどは明暗のコントラストの強い風景へと移っていった
  光の特定の面を集中して勉強することは
  どじょんにとってきわめて有益なのだ
  光を見る″ということが学習できる
  陰影や反射、光の種類や光源そのものが構図の中心となり
  物体はどちらかと言えば副次的な要素となるだろう
  どじょんはついに光の使い手となるのである
  ジョージ・イーストマンが孤独な自殺を遂げたとき
  私は卓上の白い紙を長い時間見つめていた
  それは全世界だった
  電燈が私の太陽だった
  コニー・アイランドが雪にうまっていく
  コニー・アイランドが夜をとりもどしていく

 基本的に言って気取った詩ですよね。詩というよりも散文に近いのかもしれません。

 ぼくはこれを書いたとき、もう、べろんべろんに酔っ払っていました。よく、夜に書いた手紙を朝読んで、何だこりゃ、と思うようなことがあると思いますが、ぼくもよくあります。とても自分が書いたとは思えない、大体がむちやくちゃです。この詩も、ぼくは詩をパソコンに入力しているのですが、つぎの日、仕事から帰ってきて画面を見たときに、こんなものを書いているんだ、と思いました。
 もちろん記憶はあります。前の日に妻と大喧嘩をしました。ぼくが勤めているフィルム保存の仕事というのは、ほとんど倉庫番なのですが、それでもやはり保存の色々なスキルを学びたいし、勉強をしたいと思っていました。アメリカのロチェスタ一に「ジョージ・イーストマン・ハウス」という、唯一、技術的な勉強ができるところがあります。だから、そこに行きたいと妻に言ったのです。もちろん、どこもお金を出してくれませんから自費です。「冗談じゃない」と妻から言われました。同人誌や詩集にお金を使っているわけですから、せめて仕事に関することぐらいはお金を使わずに何とかならんか、ということで喧嘩をしたのです。
 そのとき妻に、フィルムの保存の仕事がそんなに大事なのかと言われました。「一番大事なのは詩を書くことでしょう」と、偉そうに妻が言うわけです。でも、ああそうだ、言うとおりだと思いました。収入が必要ですから仕事はしますけれど、べつに倉庫番でいいやと。なにがフィルム保存だ、と思って、おれは絶対に詩人でやっていくのだ、と頭のなかにすごい気合いが入った状態だったと思うのです。
 そこでキーボードで「真剣な詩人は」と打ったら、画面の字が「どじょん」になっているわけです。普通は「詩人」と打ちなおしますけれど、いいな、と思った。「どじょん」って何かいいな、と。おれは「どじょん」だなと思って、詩人と書いて「どじょん」と呼んで欲しいぐらいの感じで、このまま行っちゃえと思ったわけです。
 そのへんまでは記憶がありますが、あとは多分、ジョージ・イーストマンのことが書いてある本を読んだりしながら、引用のようにして書いたものが続きます。ほとんどそのままかもしれません。「ジョージ・イーストマンが孤独な自殺を遂げたとき」から後は、自分で勝手に書いています。
 ジョージ・イーストマンは、ロール式フィルムを商品化して、世界中どこでも気軽に写真を撮れるようにした人です。このフィルムをジョージ・イーストマン自身が発明したと思っている方もいるかもしれませんが、実は発明者は無名の牧師さんで、その人から訴えられてジョージ・イーストマンは敗けています。それでも一代で巨額の富を築いたアメリカン・ドリームの代表のような人です。しかしあまり幸せではなかったようで、自殺しています。学校を造ったり、社会に対して色々なものを遠元していくのですが、なにか虚しかったのでしょう。そんなことに考えを巡らしながら、この詩を書いたのだと思います。ちょっと格好つけすぎですけどね。
 その本のなかにコニー・アイランドの写真があります。ご存知の方もいらっしやるかもしれませんが、福岡には海辺に大きな商業施設があって、ものすごく大きな観覧車があります。アジアで二番目という中途半端な大きさですが、職場や自宅からいつもそれが見えるのです。それと重なり合うのか、書いているときに感傷的になっていたのでしょう。ぼくは今は福岡で仕事をしていますが、もともとは知らない土地でしたし、逃げてきた東京に早く戻りたくてしょうがなかったのです。でも、このとき、自分は詩人で大きな仕事をしてやるぞ、倉庫番でもいいや、と思ったそのとき、ずっと福岡で暮らしていくことになるのだろうなと思いつつ、写具を眺めていた。なにかすごく感傷的な話ですけれど、そういう気持ちが、たぶんこの詩に書かれていて、それでぼくのなかではすごく大事な詩にしています。今日、最初に詩を読むのにどれがいいか探したのですが、なんてことのない気取った詩ですけれど、これがいいかなと思って読んでみました。

 ●電波詩集
 次は、来年(二〇〇四年)一月に出る新しい「現代詩手帖」に載せる詩です。新春第一弾の「アングラ百万年」という暗い詩です。

  『37 アングラ百万年』

  チカテツは
  見えない電車
  吐き出されたゾッキ男たち、見えない
  地上へのジュイコブス・ラダーをのぼる
  横歩きで
  蟹の思い出?
  そう、校庭で見つけた蟹のもう思い出せない
  きみはどこから来たの?
  誰んちのどぶに住んでるの?
  蟹座男
  見えないハサミ
  嫌なことは何でもチョッキン、運命的に
  泡を吹いて
  罪のように断ち切られて
  しゃがみ込む道端
  穴がある!
  無敵の、世界大の、戦えない穴が!
  toka-ton-ton
  音が聴こえて
  聴こえなくなるまで
  時間を潰す

 「チカテツは/見えない電車」というのは子どもの歌です。ご存知ですか。「ちかてつは いつもまよなか チカチカ ゴーゴーゴー」(「ちかてつ」名村宏作詞・越部信義作曲)という歌がありますが、その歌からバクっただけです。何でこんな二行をバクっているのか、自分でも分かりません。「吐き出されたゾッキ男たち、見えない」の、「ゾッキ」という言葉が好きです。どういう語源かはわかりませんが、関西では「バッタモン」といいますか。ちょっと違うでしょうか。「地上へのジュイコブス・ラダーをのぼる」の「ジュイコブス・ラダー」というのは、ヤコブの梯子という、天国に昇る梯子です。
 「横歩きで」昇るんです。「蟹の思い出?」はクエスチョン・マークがありますから、僕もわかりません。「そう、校庭で見つけた蟹のもう思い出せない/きみはどこから来たの?/誰んちのどぶに住んでるの?/蟹座男/見えないハサミ/嫌なことは何でもチョッキン、運命的に」、これは自分のことですね、きっと。蟹座ですから。蟹座と蠍座はハサミを持っていますから、何でもチョッキンチョッキン切ってしまいます。
 「音が聴こえて/toka-ton-ton」は、最初はただ「音が聴こえて」だったのです。でも、どういう音か書いたほうがいいと思って、最初は「ガタンゴトン」と書いたけれど、つまらないので「toka-ton-ton」にしました。これは太宰ですね。
 「toka-ton-ton/音が聴こえて/聴こえなくなるまで/時間を潰す」。何を書いているのかよく分からないと思うのですが、書くときの背景を言いますと、そのころ大阪の釜ケ崎に行って、野宿者ネットの生田さんに会ってうろうろしました。そのときのイメージが残っていて、「音が聴こえて/聴こえなくなるまで/時間を潰す」というのは、釜ヶ崎の世界です。時間潰しの世界。十年前の暴動のときにも行きましたが、今行くとみなさんが高齢化していて、暴動どころか、何もすることがなくて、本当にどうすればいいのだろうと思います。そういう風景が背後にあります。
 ところで、「電波詩集」とはどういう詩集ですかと、べつに誰からも聞かれないのですが、聞かれたなら、ほとんど運動神経だけで書いてやろうという気で作っています。自分では全く分析していませんけれど、中身や書き方やコンセプトなど色々な意味内容よりも、反射神経や運動神経で詩が書ければいいなと思って書いているのが「電波詩集」です。
 毎月同じくらいの分量の詩を四篇ずつ出していますが、おそらく編集者も飽きてきたのでしょう。最近「インパクトがない」などと色言われます。この間、三冊日に出した『詩篇アマ一夕イム』(思潮社)という詩集は、タイポグラフィックな色々なことをやっています。そういうものと比べられると、確かにインパクトがありません。この後に「ユリイカ」(青土社)に書いた詩は、もっとめちゃくちゃしています。けれど、もう飽きました。そういうインパクトを求められても困るなと思うのです。本当はもっと内容的な欠点なのでしょう。
 そこで苦肉の策として、本のページの、詩の上の空白部分に、別の言葉を入れようと思いました。例えば、すぐ後に紹介する「愛と誠2004」の詩の上にはつぎの言葉を入れました。

  「なぜ仕事をしない?」
  「仕事が存在しないからです」

 これも釜ケ崎の風景の影響下にあります。いいですね、ぼくも言ってみたいですね。こういうものを、何の意味があるのかはちょっと分かりませんけど、入れました。
 では「愛と誠2004」ですが、『愛と誠』(梶原一騎原作、ながやす巧劇画、講談社)というのは、ぼくが小学生や中学生のころに流行っていた漫画です。不良少年と、育ちのいい長髪系美少女の恋愛漫画、その二〇〇四年版です。ちょうどこの詩を書いたころ、小説家・阿部和重さんの『シンセミア』(朝日新聞社)という、上下巻の新刊の書評を頼まれました。暴力の世界で復讐劇です。大変でしたが、それを一所懸命に読んだのと同時期に書いた作品なので、その世界の影響がモロに出ています。

  『38 愛と誠2004』

  かっちょいい貧乏な不良青年マコトは
  エエトコのお嬢さんの美少女アイに精液を流し込んで
  まるまった世界を獲得したように錯覚し
  音のしない口笛を必死で吹いて今日も
  街ネズミどもを清掃しに行くが
  行く先には誰もいない
  救世主ビデオトロンが頭上から歌うように告げる
  「言葉を持て」と
  魔の山が自分のような精液を垂れ流すのをマコトは見た
  白いポエジーが彼をレイプした
  しかしどうしてここには誰もいないんだ?
  カツアゲしたいのに
  ジュースを買いたいのに
  魚肉ソーセージを肛門に突き刺してやりたいのに
  まあどうでもええか
  みんなまぼろしだ
  アイは自転車を立ち漕ぎして坂道をのぼって行く
  この街で一番の長い坂道を
  その足首の細いこと
  「わたしをぼろぼろにしてくれる人募集」と顔に書いて
  なにもかも振り切ってしまうつもりだ

 「救世主ビデオトロン」というのは、ビデオトロンという会社があって、ぼくはそこと長い付き合いなんです。自分が仕事をしている機材が「ビデオトロン」となっていて、ぼくはずっとその機材に使われている気がしてきて、そこから「救世主ビデオトロン」となっています。
 要するに、ぼくらが小中学生、高校生というと、八〇年代ごろです。そのころの漫画『愛と誠』の、誠のような不良というのは、今はあまりいません。だから、音のしない口笛を必死で吹いているような不良がいないなあと思って。
 「行く先には誰もいない」わけですね。
 こうやって読んでみると、反射神経で書いていますから、言うことがあまりないんですよ。内容がないのかな。すみません。
 つぎに、「野球少年は何度も爆発する」という詩の上部に入れたのがこの言葉です。

  「死滅ケ丘高校?」
  「はい。中退です」
  「それで、君はいったい何がしたいのかね?」
  「研究です。博士っぽいことです」

 ぐっちゃぐちゃになってきていますね。「死滅ケ丘高校」ってなにかなって。でもインパクトはあると思うんです。インパクトがないと言われたから書いているんですから。「死滅ケ丘高校」というのは、ここでは光っているのではないでしょうか。

  『39 野球少年は何度も爆発する』

  鯖、鯖錆、鯖もう世界じゅう鯖だらけだ!
  きみの手のひらが痙撃しているのは何かを掴み損ねたからだ
  手も足も顔もないミミズにだって意思ぐらいはあるのさ
  きみも一度でいいから真夏のアスファルトの上で干涸びてみたまえ
  脚光を浴びろ!
  おれは猛烈に爆発したくなったぞ
  おいそこのきみ、チョロQで進んでいる場合じゃない
  向こう側に行ってみないか?
  向こう側には何かある
  縫い目のある魂を打撃するようなグラウンドが!
  物と物とが衝突し合う瞬間の破裂の王と脳とヒカリと
  ピカリとピカチューと
  ああ超黄色のスクールバスが爆発する!
  ミミズのミッちゃんは問う「なぜわたしには顔がないの?」
  「それはね。まだちっちゃいからだよ」
  「でもパパだって顔がないよ」
  「……」
  「ねえどうして?」
  「……」
  「嘘ついたの?」
  パパも爆発ドッカーン!
  おれはエンタイトル2ベースみたいな権利が欲しいわけじゃないんだ
  走って走って、何が何でも本塁ゲットしてやるからな

 「鯖、鯖鯖、鯖もう世界じゅう鯖だらけだー」。いいですね。この一行と「死滅ケ丘高校」だけでいいかもしれない。「ああ超黄色のスクールバスが爆発するー」。何かこのへんはもうモロ吉増剛造若き日という感じです。「パパも爆発ドッカーン!」このあたりで何か読む気がなくなってきましたが、こういう空威張り系の詩を最近書いています。何か不満があるんでしょうね。まあ、ノイローゼなんだと思うんですけどね。
 ぼくには子どもがいまして、下が三歳、上が六歳なんですが、寝る前にお話をせがまれます。それで、いつもミミズのミッちゃんの話をしています。この通りの話なんですけど、ちょっとキツイですね。
 つぎの「ヒューマンライフ」の上にはこう書きました。

  「ヒドラの研究? 何かねそれは?」
  「必要な研究です。誰かがやらねばなりません。お金を下さい」
  「ようするに遊ぶ金が欲しいんだろう?」
  「1兆円ぐらい下さい」

 「ヒドラ」というのは神話に出てくる蛇の化け物がもとです。ちなみに昭和天皇がヒドラの研究をしていたんです。すごいですね。

  『40 ヒューマンライフ』

  ボクん名前はウ井リアム・テロ
  かぶと虫を左右のポケットに隠してんだ
  右はLOVE、左はHATE
  1、2の3で同時に投げつける
  ビュン!
  終り
  スポーツ新聞に皆殺しの詩を書くのが夢なんだ
  神話になれるなら
  TVになんか出れなくたっていい
  ボクは五十一番目の音だ
  終り
  アトピーのかたまり、ボクは
  あんたらのみだれ髪を掻きむしる匿名のマフィアだ
  今日の獅子座の運勢はエメロンの極刑
  痒いところはありませんか?
  指つっこみますか?
  終り
  ボクん名前はウ伊リアム・テロ
  遺伝子の運び屋
  絶望の助っ人
  ママはキンチョールで整髪を仕上げる理容師
  パパは競輪場の予想家

 「キンチョール」で整髪を仕上げるというのは、うちの母がよく間違ってやっていました。急いでいるときに限って父親から「早よせい、髪なんかどうでもええやんか」と言われて、最後に「キンチョール」をシューつとかけて、「あ!」っと。
「ヒューマンライフ」というのは、昔、『ガキデカ』という漫画があったんです。「ヒューマンライフこまわり君」というんですね。そのなかで「海岸通りの糖尿病」という、ギャグなのでしょうが、わけが分からない詩のようなもの
があって、それが好きで、そこから取っています。
 こうして読んでも、これが何なんだというところがあるんです。例えば「ボクん名前はウ井リアム・テロ」というのは、NHKの「お母さんといっしょ」という朝の子ども番組に「でこぼこフレンズ」というコーナーがあって、そのなかで「くいしんボン」というキャラクターがドアから出てきて、「一、二、三、ドン、一、二、三ドン、ボクん名前はくいしんボン」と言うのですが、そこからきていると思います。なにがきているのかと言われても、電波がきているとしか言いようがないですけどね。
 「かぶと虫を左右のポケットに隠してんだ」というのは、ぼくが昔書いた詩にも、カブトムシを左右のポケットに詰め込んで、列車に乗って家出する少年が出てきますが、そこから復活しています。「右はLOVE、左はHATE」というのも「狩人の夜」という映画にそういう人が出てきます。そこまでで、あとは流れで書いています。

 ●読者への意識
 さて、この辺りまできたところで、編集者から「どうにかなりませんか」という話をされました。「ヒューマンライフ」は四十篇目ですが、ぼくとしてはこの形を、「いつまでやっているんだ、松本は」と言われるくらい続けたい、
それぐらいやらないとインパクトがないですよと言ったんです。できれば延々と書かないと。でも冗談じゃないということで、十五回くらいで打ち切りになると言われました。自分のなかでは、この形式だと量で勝負という感じがしています。勝負する、というのも変ですけれど。
 ぼくは「重力」という雑誌に参加して三年目になります。これは文芸批評家や映画監督、小説家の卵など色々な人から十万円ずつ寄せ集めて作っている雑誌で、千部くらい売れています。そのなかでよく、「松本さんには書きたいことはないんじゃないの」と言われます。「いや、書きたいことはある」と。「じゃあなにを書きたいんですか」と言われるから、「そんなことはいちいち言わんでもいい」と言っています。書きたいことは、あるんだとは思うんです。
 ただ、なにを書きたいのかと言われても、困るんですね。最初からこういうことが書きたいと設定することが、もう嫌なんです。めんどくさい。どうせウソだから。
 このセミナーでも、読者をどう意識するかというような話題が出ていたと思います。でも、ぼくは意識しません。意識すべきだと言われてもね。意識するのは妻ぐらいです。こんなものを書いて、自分の妻がこっそり読んだらどう思うだろう、と。そんなことは、すごくリアルに感じながら書いています。一般読者は、書いているときは全く意識していません。もし意識するのであれば、こういうことを書きたいということを、一所懸命に用意すると思うんです。でも、なにか、これというものがあるわけではないのです。それで、反射神経だけで書いています。
 最後に、「青猫以後」という、「ユリイカ」に書いた詩を読みます。

  『青猫以後』

  そうやってね、朝がきてしまう
  緑色の顔をした緑の
  夜のおまえは膝小僧の上に小さな顔を乗せて
  部屋の片隅でベッドの上で祈っている?
  まさか冗談でしょう そんな習慣はありません
  祈る言葉なんか持っていないし
  祈りの仕方も教わっていない
  吐き気を堪えながら、ただじっと壁を見詰めてるだけね……

 こういうふうに続いていく詩です。これは今唯一、何とか一冊の詩集にしたいと思っていますが、なんにせよお金がなくて、なかなか作れません。まあ、こんなところです。




【 八〇年代以降 〜言葉の全面降伏と新たな文体・語り口の出現 】 106

 清水良典 ―― 今日は午前中に戦後についての議論があって、「日露戦後」ということが出てきて、ぼくはそれにも非常に大きな刺激を受けました。それに関連して言うわけではありませんが、近代言語は世界を言葉で征服する巨大な戦争だったと、ぼくは思います。つまり二十世紀になって、セックスの領域や人間の無意識の世界など未開拓な世界が発見されて、そこにも言語が派遣されてどんどんそこを発掘して、言葉でそれをすべて語り尽くす、そういう運動を続けてきたわけです。文学は人間の内面や組織、政治などのあらゆる問題やテーマをすべて開拓して、どんどん言葉で語り尽くして、どんどん作品化した。つまり、世界を文学の言葉で制服してきたわけです。
 けれど八〇年以降、それが全面敗戦したという気がしています。世界に負けたというか。例えばオウムのサリン事件や阪神淡路大震災、あるいはアメリカの九・一一同時多発テロもそうかもしれない。人間や世界に起こっているあらゆる事件や現象や出来事といものを語る言葉、いわば合理的にテーマとして語り、解決を語り、正しい真理を語るという、言葉によってそれに太刀打ちできるという戦いに、無条件降伏した、負けた時代だという気がします。
 そのなかで、せめて小さな自分の領域だけを言葉が埋めだす。それは昔の事故言及性そのものの伝統を受け継いでいるわけではありませんし、私小説的なこととも違う。けれども、信じられるものを言葉にすることで、リアリティを持ち得るのが、自分の本当に細やかな身の回りの小さな発見しかないという、そういう言語観のようなものがある気がします。あるいは言葉としての単なる達成というか。




―― 講演
【 八〇年代以後の詩の変容/城戸朱理 】 108

 ●八〇年代という時代
 今の清水さんのお話を大変おもしろくく伺いました。清水さんが語られた「世界に対して言葉が全面的に敗北した」ところに至る経緯みたいなものを遠回りして考えながら、八〇年代以降の詩についてお話をさせていただきたいと思います。

 ●更新される縄文時代 〜すでに殺し合いや戦争があった
 昨日、「詩を語る」として三人の方が順に話されました。そのとき、窓の外の景色が次第に暗くなって見えなくなっていった。それを見ていて、ちょっと妙なことを考えたのです。雪が舞っている秋吉台の山奥におりますと、ひょっとすると大昔にこういうなかで自分が猪かなにかを追いかけていたのではないだろうか。もちろん、ただの夢想です。でも、そのことでちょっと思い出したことがあります。
 それは私にとって大変ショックな発見でした。今年だったか去年だったか、縄文人の遺体が発掘されたのですが、それが他者によって損傷された、つまり殺された遺体だということでした。なぜ、そのことで私が驚いたのかというと、実はこれまで縄文人が互いに争った跡がないと言われていました。つまり、縄文時代には人間同士の殺し合いや戦争がなかった。日本における縄文土器の一番古いものは、炭素測定法で計測すると約一万年前で、最後の氷河期であるヴュルム氷河期が終わったころの、世界最古の土器文化になるわけです。稲作が伝播して弥生時代が始まるまで、人間が争わずに何千年かを暮らしていたのかという思いがあったわけです。
 ところが現実には縄文という時代は大変厳しい時代で、平均寿命はおそらく三十歳に達していないだろうと言われています。人間を自然界に投げ出すと、寿命は大体その程度だそうです。それが稲作というエネルギーのストックを人類が発見してから、寿命自体も変化してくる。ところが、エネルギーのストックが起こると、そのストックを簒奪するために戦争も起こり得る。そう考えますと、縄文から弥生の変化というのは、大きな意味で、近代以降まで繋がってくることの発端だったのではないかと思っています。

 ●様々な形のエネルギーと奪い合い
 エネルギーには色々な形があり、かつての奴隷も人的なエネルギーでしょう。食物も我々の体のなかでエネルギーに変換されるものです。そのようなエネルギーを求めて他者を征服していく大航海時代が、十五世紀終わりごろからヨーロッパを中心に起こってきます。当時、ポルトガルの国民詩人ルイス・デ・カモンイスが「ウズ・ルジアダス」という長編叙事詩を書いています。ポルトガルの詩人にとって、彼をいかに越えるかがそれ以降のテーマであったという話を読みまして、ぜひその作品を読んでみたいと思っていましたら、二〇〇〇年に白水社から翻訳が出ました。
 読んでいるうちに大変嫌な気分になりました。もちろんこれは翻訳ですから、原語で読めば韻律になにか素晴らしいものがあるのかもしれない。けれども意味だけを追っていくと、ポルトガルがいかに第三世界を征服していくかということを称えた叙事詩という側面を持っているわけです。やはり私は、そういうものをもろ手を挙げて文学テクストとしていいものだと評価することが、どうもできない。
 考えてみますと、ヨーロッパはその後もそういう動きをどんどん拡大していき、産業革命以降、世界をある程度征服していく。そのなかで、やはり大きな変化が起こっていくわけです。例えば、十九世紀以降にある哲学が一つの完成をみたという時代がありました。「これからは世界を解釈するのではなく、世界を変革するべきだ」と語っているのがマルクスです。それで社会主義革命とある資本主義の共存が二十世紀に実現したように見えます。けれど、これは考えようによっては同じものの裏と表だったのかもしれないと思うところがあります。

 ●二十世紀の流れ
 二十世紀の流れを、ある側面から語らせていただきます。一九〇一年にマルコーニが無線通信に成功し、これが後のラジオ放送、さらにはテレビに発展するわけです。一九〇三年にはライト兄弟が初飛行。こういった形で我々の生活を支える基本的な科学的発明が、二十世紀初頭に超こってきます。

 ●「T型フォード」 〜労働作業のオートメーションと「超」大量消費社会のクラクション
 もう一つ大きいのが、一九〇八年、「T型フォード」と呼ばれる自動車の生産が開始されます。ヘンリー・フォードという男は、労働者に当時五ドルという通常の倍の時給を払いました。そして労働作業をオートメーション化して、労働者が二カ月分の貸金で買える自動車を作り始めたわけです。つまり、お金持ちが買える商品ではなくて、自分のところの労働者自体を消費者に位置付けるという革命的な商売の方法を考えました。そのため、この事は売れに売れて、当時一五〇〇万台も売れたそうです。これが二十世紀におけるハイパー・コンシューマリズム、超大量消費社会の最初のメガ・ヒット商品ということになると思います。

 ●一九二〇年以降のアメリカ 〜自動車、家電、通販やローンの普及と経済システムとの連動
 一九二〇年代のアメリカは、自動車普及率がすでに八二%に達していました。これは現在の日本の単身世帯を除く普及率とほぼ同じです。当時、アメリカの電化率は七〇%に達し、広告産業が大きく展開すると共に、冷蔵庫や電気掃除機などの家庭電化製品が発明されました。同時に通販やローンなどの販売システムが生まれます。さらに第二次世界大戦以降は軍隊のシステムを企業に応用して、ピラミッド的な非常に効率がいい会社経営の方法を作り出します。
 こうして一九五〇年代には、人口は全世界の六%にすぎないのに、物資は全世界の五〇%を消費する国になりました。それに追随したのが、いわゆる先進諸国で、日本もそこに参画していくわけです。今日では、我々も含めて世界人口の二〇%の先進国の人たちが、全世界の八〇%の物資を消費していると言われています。

 ●「生」をうみだすシステムと「死」をうみだすシステム 〜資本主義と社会主義
 このような動きが、ある極端な頂点を迎えたのが、日本の一九八〇年代、バブル景気と言われた時代だったかと思います。同時に、一つ前提をおくとすれば、アメリカの作り上げた大量消費社会は、より多くの人が生きて行くためのシステムではあるわけです。ただしそれは自分の国に対してで、これは大量の生をうみ出すシステムと言っていいと思います。一方、それに対立するかのように見えた社会主義国家は、ソ連が強制収容所で二千万人の死者を出したように、大量の死をうみ出すシステムとして機能し始めました。この大量の生と大量の死という裏腹の動きの過渡期のなかに、二十世紀というものがある。そしてそのシステムの完成がまだ現時点でも起こっていないのではないかと、私は考えています。

 ●八〇年代の特徴 〜過剰な「性」の告白を誘引したもの、それと抑圧や圧迫
 大量の生を生み出すシステムのなかでは、同時に生の根源である性的問題が過剰に告白される社会になります。それが先ほど清水さんがおっしゃった、山田詠美さんや内田春菊さんの作品の背景になっている問題ではないかと思います。同時に八〇年代の詩の世界でも、そのことの反映のように、八〇年代前半が特にそうでしたが、女性詩の華々しいブームの時代がありました。
 同時に八〇年代においては、ある経済の動きのなかで、文化領域が社会の狭い所に追いやられていくような、ある圧迫感が非常に強かった。これは今日、清水さんのお話をうかがっていて、なにか大きく甦ってくるようなところがありました。私は一九五九年の生まれですから、八〇年代は自分の二十代と重なります。二十五歳のときに最初の詩集を纏めました。そうしますと、八〇年代が詩を書く者にもたらしたある種の極端に強い抑圧と圧迫というものは、それは、ある大量な生をうみ出す資本主義のシステムというもの、それ自体が自立的に動き始める瞬間があるのだろうと思うのです。

 ●ディドロ効果
 経済学者がディドロ効果と呼んでいる経済原則があります。ディドロは一八世紀のフランスの思想家です。あるとき彼は友人から新しいガウンをプレゼントされました。大変気に入って毎日着ているうちに、身の回りの家具などが非常にみすぼらしく見えてきた。それで机を買い替えたら、古い椅子が合わないので椅子も買い替えた。そうしてあらゆるものを買い替えて、気付いたときには最新流行のスタイルの部屋のなかで、新しいガウンを着て居心地悪く座っている自分を発見した。これをディドロ効果と言います。つまり、なにか一つを新しくしてしまったがゆえに、ほかのものまで全て買い換えてしまわなければならなくなるような、そういう強迫観念です。

 ●資本主義/大量消費社会 〜新たな欲望を喚起するシステム
 資本主義のなかで過剰に生きることを保持しようとするシステムが、大量消費のなかで機能したときには、より過剰な欲望が常に生産されていく。一つの欲望を満足させる過程が、必ず新しい欲望をうむと言っていいかと思います。

 ●バブル時代1 〜世界の12%の金が東京周辺に集まっていた
 そのような時代を迎えたときに、八〇年代後半のバブル景気という時代は、今でこそ非常に遠い幻影のようにも見えますが、世界で流通するお金の二五%を日本が動かしていた時代でした。東京は日本の経済活動の五〇%を担っていると言われていますから、実に世界の一二%のお金が東京周辺を動いているという、とんでもない状態だったわけです。
 そうした中で、あらゆるものが作り変えられ、町の様相が日々変わっていく。そのときに、知的な領域、文芸領域や思想の領域が、そのように変化していく世界に対峙する言葉を失いかけた。世界の表層とどのように戯れるかということを主題にした時代があったように思います。それは、清水さんがお話しになった、世界を語る言葉を失ったがゆえに、ある小さな領域でしか小説世界が構成されなくなっているという状況と、ある意味でパラレルな現象だったかもしれません。

 ●バブル時代2 〜象徴的な作品『Ç考/伊藤比呂美』
 その時代の感覚を非常によく表現していると思われる詩が、女性詩ブームの立役者の一人でもあった伊藤比呂美さんの「Ç考」(『青梅』集英社)です。セディーユというのはフランス語のアルファベットにつくと発音や意味が違ってくるというものです。この詩では東京弁のことが語られます。もともとの東京弁では「し」と「す」の区別がつきません。サケのことをシャケと発音します。それが本来の古い東京弁の発音です。

 『Ç考』

 (略)
 〔Ç〕という音があった。
 音韻体系の一つとしてあった音がしだいに失われ、この土地の方言として残った。
 この土地は繁栄する都である。人々は周辺の地域から絶えず入りこみ、文化はさらに複雑になる。
 方言としての音すら、人々はしだいに失っていく。
 わたしの母。わたしの伯母。わたしの叔母たち。わたしの祖母。母方はみなこの発音を残す。八〇で死んだ祖母六〇の伯母五〇の叔母たち。彼女たちの間に最年少の女としてすわり会話を分けあうとき、その発音がみみざわりである。彼女たちはひんばんに発音する。耳障りではあるが、そのように感じるということ、つまりその発音をききわけることがわたしにはできる。
 今の人々はこれもできない。周辺から移り住み移り住み、〔Ç〕は掻き消された。

 (中略)

 喉を締め息をころし歯の裏へ舌をあて隙間をつくり歯と歯をこすりあわせる半開の鼻音、そういうびみょうな操作をほどこさなければならない音が失われていく。
 かすかな息づかいの音が失われていく。
 かすかな息づかいは、美ではなくなってしまった。
 顔をよせて、息を洩らし、感情をつたえあうことを、美ではない、とした。
 そのような文化に移っていく。そのような人々の感覚膚に移っていく。そのような人々があらわれ多くなり、友人にあらわれ恋人にあらわれる。ききわけることはできても、〔Ç〕を発音することはわたしにはできない。

 これは、ある一つの「し」と「す」の間の音、東京弁のなかに残っていた音を巡って、その昔が失われていく過程のなかで文化の変容というものを語りながら、同時に自分の母系のなかに連なる自分自身の血を確認していくという、非常に多義的で魅力的な作品だと思います。

 ●『Ç考』の時代背景 〜資本主義と社会主義の対立が、ながらく人類が共有してきた物語を粉砕した
 おそらくこの作品が書かれたときに、大量の死と大量の生というものに支えられた一つの騒乱の時代に対して、大声で語るべき理念を語ることを信じられなくなった。

 ●反動として「再構築/再生/発見」となる「個人的な語り=ナラティブ」が促される
 そこで非常に細やかな部分になにかを語り出し、世界を語り出すきっかけを掴むという方法が始まった。それが八〇年代ではないでしょうか。

 ●文学的・社会的に差別されてきた「女性」と「共有される物語が破壊された社会」とがシンクロする
 そして、これは女性詩の大きな潜在性としてあったものではないだろうか。それはおそらく、性的な経験を大声で語るより、小声で語られた失われていく音一つに対する愛惜のほうが、実ははるかに深いものだったのではないだろうかという気がするのです。

 ●ユートピア 〜幻想の時代
 同時に二十世紀は、人間が今日明日食べるものにとりあえず思い惑わずにすむようになった、有史以来初めてと言ってもいい時代です。それはある意味、豊かな時代と言っていいと思います。こうして、ある時期まで、未来に希望が抱けた時代、未来はユートピアに次第に近づいていくという幻想を抱くことができた時代があった。

 ●ディストピアのルシファー 〜熱核兵器と死の侵犯
 ところが、文明の発展が人間にとって必ずしもバラ色の未来を約束してくれないという感覚が、次第に強くなってくる。それは二十世紀後半に、熱核兵器との共存という形で起こりました。世界が何十回、何百回も滅びる可能性と我々の社会が同時に共存しているというこの感覚。そのなかで、ユートピアと並存する形で、もう一つの絶望としての世界、ディストピアとしての世界が立ち上がります。このユートピア性とディストピア性が、大きくバランスを取り合い始める。あるいは、互いに侵犯を始めた。それが八〇年代以降の詩の一つの特徴になったのではないかと考えています。

 ●現在の社会状況にも通じる城戸氏の指摘(Q.現代詩、現代小説はどのような反応を見せているのか)
 例えば先の『Ç考』という作品にも、どこか、詩の根本を支える言葉であり同時に音である多義的な言語が失われて世界がフラットなものになっていくことに対する、ささやかではあるけれど、決定的な詩のレジスタンスというものがあったと思うのです。

 ●ディストピア性を謳う松浦寿輝
 ディストピア性をさらに大きく立ち上げている作品として、松浦寿輝さんの第一詩集『ウサギのダンス』(七月堂)の冒頭に収録されている「物語」があります。

 『物語』

 一人称の物語はここで終わる もう手袋のほころびやテーブルの上の焼け焦げをかすめては消えてゆく 曇った眼ざししか残っていない 濡れた壜の口のあたりをたゆたう 倦み疲れた冬の光だけしか残っていない 波のざわめき 鳥の声 石灰がにおう世界の夕暮 書かれたものはもう声にはのらないから「うしろへ」とか「あとで」といったつつましい嘘をひっそり呟くだけだ 「蒼ざめた女の薫る髪」や「唾液に光る山狼の白い牙」を裏側からなぞりかえし 消しつくし 眼前をよぎって無意味に墜ちてゆく濡れた光景から目を逸らすだけだ 寝台の上に降り出す雪の翳った白さに耐えながら 充血した性器を押しひらく 欲望もなく 熱もなく 掃海作業のようにすすむ さめた劇 牛乳がしたたる小さな尻 掘り起こされたばかりの百合の球根 何ひとつ口にせず ただひらいた両手を暗い天候の愛撫にゆだねる 濁った時間 媚薬のように 浚渫機はゆっくりとまわり 静脈のなかに朽ちた溺死者を探す 骨と骨とが響きあう つめたい透視図法 魚のひれ 藻 息 彼は彼女が彼らの 彼女に 彼らを彼と あるかなきかの明るみに目を凝らす 修辞は狂い 構文も曖昧にただよいはじめ よどんだ室内が窓の外に流れ出し すべてが無色に溶けてゆく 手と足は相殺しあい 髪は水にそよぎ 失墜や遭遇や別離といった熱すぎる文字が削り落とされてゆく 歌ってはならぬ楽譜 投げてはならぬ石 揺れる吊り橋 視界を埋めつくす水母の死骸 それは物語の終焉ではなくて 終焉の物語のはじまりにすぎないのか 愛しています あなたを愛しています あなたを愛しています あなたを愛しています
あなたを

 これが処女詩集の冒頭の第一篇に収められた作品です。ここで語られているのは、ある、なにもできない、語れないという不可能性と、何々をしてはいけないという禁忌、そういうもののなかに言葉ががんじがらめになっていく、ということです。冒頭がまず「一人称の物語はここに終わる」です。だから、「私は」と語り出す詩が書けなくなったという、一つの宣言から始まるわけです。

 ●抒情詩の女神エラトー 〜独唱、「私」、抒情詩の基本
 「私は」というのは抒情詩の基本です。ギリシャ神話ではムーサイ(英語でミューズ)と呼ばれる九人の女神が詩を司りますが、そのうち抒情詩の女神はエラトーという名前で、もともとはギリシャ時代の劇の独唱の女神でした。だから一人の人間が歌うもの、これが抒情詩であるという前提で考えていいと思います。

 ●「私」という主体が成立するには
 その上で、昨日の稲川さん、河津さん、松本さんの話のなかで、最後に「他者を意識するかどうか」という質問が出ていました。おそらくその問題と関わってくると思うのです。近代以降においては、無邪気に「私」と語り出したときに、その「私」という主体を保証しているものがなにかという自分自身に対する省察がなければ、「私」というものが立ち上がらない。

 ●欧米における「私」という主体 〜“自覚”と“帰属・従属(他律性・相対性)”との相の子
 これは非常に不思議なことですが、欧米の諸言語では「主体」という言葉が必ず「従属」という意味を孕んでいます。つまり「私である」ということは主体であると同時に、なにかに従属することによってしか「私」でないと考えてもいいのかもしれません。もっと平たい言葉で、他者がいてこそ自己があると考えてもいいでしょう。あるいは、社会化されて存在したときに一人の人間であり得ると考えていいかもしれない。したがって、「私は」と語ることは、常になにかに帰属し従属することでもある。そのことの自覚なしに語られ始めた「私」というものは、近代以前の抒情詩しか形成し得ない。
 稲川万人さんの第一詩集『償われた者の伝記のために』(書紀書林)のなかに、非常に象徴的なパートがあります。稲川さんの詩は一冊のタイトルが与えられた連作になっていて、一篇を紹介することが非常に難しいのですが、ある連だけを紹介させていただきます。

 恩譜谷を予感する昼に
 寒霞渓、
 ということばを見ている。
 犬たちがかすみのなかで
 ひそかに子供をたべて。
 高山鉄道はきょうも事故だった。
 二人の死者が表わされて
 そのひとりをわたくしは知っている、と
 いつも、
 ひとりを知っていると書く。

 ●同一地平に並んでいる二つの経験 〜“現実の経験”と“文字を見る経験”
 これは私にとって大変に印象深いパートです。第一に「恩譜谷を予感する昼に/寒霞渓、/ということばを見ている」という、つまり彼は寒霞渓を訪れているのでもなく、思い出しているのでもない。「ことば」を見ている。その文字の形象を見ている。そのことで導き出されたイメージは「犬たちがかすみのなかで/ひそかに子供をたべて」という、つぎの行に繋がるわけです。だから、ある意味で現実の経験と一つの文字を見るという経験が、ここで同質のものとして立ち上がっている。

 ●「私」の媒介なしに紡がれる詩 〜言葉自体を根源的に経験していく詩作
 この作品は一九七六年に書かれたものですが、八○年以降の詩の歴史を考えるときに、明らかなるスラッシュ(切り込み)がこの詩集から入ったのではないかと、私は考えています。その理由は、言葉自体を根源的な経験として詩というものが立ち上がるということです。その上で、最後に「私」は「ひとりを知っていると書く」という行のなかで表明されているのは、書いている私を無媒介に措定するのではなく、書いている私自体を客観視する。つまり、清水さんが今日おっしゃった、「ある冷えた目」を自らのなかに抱え込むことによって、詩というものを立ち上げるという姿勢だと思うのです。

 ●80年代以降の詩.1 〜アンチ・テーゼ 
 (〜神から削いだ「主体」を「私」と命名《リネイム》したニーチェとの訣別)
 それに対して、先ほど紹介した松浦さんの詩、「一人称の物語はここで終わる」という言葉から始まったときに、その「私は」と語り出す不可能性から、いかに詩が書き得るのかという時代に入って行くわけです。八〇年代的な高度資本主義の経済活動のなかで、非経済活動として詩が社会の非常に狭いところに追いやられるように見えた、そのときに、そのようにして表れる世界の表層に対してどのように言葉を紡ぐか。また、そのような世界に対して、むしろ決定的な世界に対するアンチ・テーゼとして詩をいかに書き得るか。こういう二つの動きが、たぶん選択されたのだろうと思います。稲川さんや松浦寿輝さんの詩は、一つのアンチ・テーゼとして試みられたものと考えてもいいかもしれません。

 ●80年代以降の詩.2 〜スナップ・コピー・複写・転写・対置・並置
 同時に八〇年代後半、北川透さんや瀬尾育生さんが雑誌「菊屋」で、フェスティバル的な祝祭的感覚を学んだ詩の運動を試みられました。これは、むしろ詩の運動を過剰にすることによって、いつもお祭り騒ぎのようになってしまっている高度資本主義社会の日常に詩を対置させて、むしろ社会の写像として詩を立ち上げようという動きだったのではないかと思っています。

 ●天邪鬼の数は変わらない 〜猿社会における興味深い数値“12.5%”
 余談ですが、ある島で猿が掘った芋をそのまま食べていたのに、ある一匹の猿が洗って食べたとします。そうすると、鹿児島でも四国でも東北でも、洗い始める猿が現れるのだそうです。その割合が一二・五%といいます。それを見て同じような行動に出る猿が三七・五%で、あっという間に同じように芋を洗い始めるそうです。これが次第に拡大して伝播していく。ところが、決してその真似をしない猿も必ずいて、その数字が一二・五%。結局、すべてが同じように一色に埋め尽くされていくように見える世界でも、一二・五%の人はあまのじゃくで後ろを向いているのです。

 ●具体例『鳩よ!』 〜行き場の無い詩人《12.5%》
 八〇年代後半にマガジンハウスが「鳩よ!」という雑誌を刊行しました。マガジンハウスは平凡社から枝分かれして、雑誌社としては八〇年代にピークを迎えた会社です。この創業社長が俳句を詠む人で、詩が好きでした。そのために八〇年代後半、詩が社会の外に追いやられていくように見える時代に、コマーシャリズムのなかに流通させる詩の雑誌というものが無理やり企画されたわけです。ところが、そのようにして九〇%弱の人間が飲み込まれていくような動きのなかに一二・五%を投げ入れても、やっぱりダメなんですね。属している世界のコンテクストが全然違うのです。文脈がまるで違う。結局、どんどん詩の雑誌ではなくなってしまいます。そのような八〇年代的な、どうしようもない閉塞感が、今回も色々なお話を伺っていて、自分のなかにとてつもなく甦ってくるところがありました。

 ●80年代後半、詩人の実感
 (〜大きな理念、共有される物語、男性性(的な構造や神話)が失われた後で)
 あの時期は、詩を書いていることを人前で言えない雰囲気がありました。ひたすら隠すようにして自分は生きていたなと思います。おそらくこの時代というのは、先ほど清水さんがおっしゃった、大きな理念やなにかに立脚して男性的に語ることが、どこかで信じられなくなっていった時代である。それと同時に、戦後現代詩というものが持っていた一つの理念が通用しなくなり始めた時代でもあったのだろうと思います。

 ●詩の新たな潮流.1 〜定型への回帰
 そうしたなかで、飯島耕一さんが定型論争を起こした。詩も自由詩も定型がないとダメなのではないかとおっしゃった。現代詩がおじやのように間延びしたものになってしまっている。あるいはゆるんだゴムのように伸びきってしまっている。それで詩に定型が必要なのではないかということを語られ始めた。

 ●詩にとって、詩人にとって「定型」とは何か
 当時、新聞で岡井隆さんとの往復書簡が発表されました。そこで岡井さんが非常に面白い指摘をしたのです。短歌や俳句ではない近代以降の口語自由詩、とりわけ戦後の現代詩のなかにも、詩人ごとに獲得された定型というものがあるのではないかとおっしゃった。そして具体例として、吉岡実さんの「僧侶」や、谷川雁さんが毛沢東に寄せた「同志毛」という作品を挙げました。
 たしかに、五七調でもなければ脚韻や頭韻を踏んでいるわけでもないのに、詩人固有の定型性は書くなかで獲得され得るのです。私がそれを非常に強く感じるのは田村隆一さんの詩です。

 ●作品例『緑の思想/田村隆一』
 田村さんの詩集『緑の思想』(思潮社)の冒頭に「水」という短い詩篇があります。

 『水』

 どんな死も中断にすぎない
 詩は「完成」の放棄だ

 神奈川県大山のふもとで
 水を飲んだら
 匂いがあって味があって
 音まできこえる

 詩は本質的に定型なのだ
 どんな人生にも頭韻と脚韻がある

 非常に鮮やかな詩です。この詩は、冒頭の一行日では人間の生と死を巡る死について語り、二行目では詩が完成の放棄であることを語り、最後の連の一行目は「詩というものは必ず定型のもの」と語ってみせ、最後の行では「どんな人生にも頭韻と脚韻がある」つまり始まりと終わりがあるというふうに語る。論理的に意味を取ろうとすると、なにを言っているのか微妙なねじれがあるのです。

 ●微妙な“ねじれ” 〜こうした対位法的な構造が田村隆一の定型かもしれない
 あえて解釈することはできます。詩というものは未完成のまま、結局のところ手渡さざるを得ない。まったき完成というものは、一人の詩人にとってあり得ない。常に生成してやまないものであるという詩的命題がまずあるのでしょう。同時にそれは、人生に始まりと終りがあるように、頭韻と脚韻という目に見えない一つの形式を持っているのだという主張でもあるのでしょう。そういう非常にねじれた認識を、詩のなかで、矛盾を矛盾のまま貫いてみせて、一つの形を立ち上げていく。つまりここでは、人間の生死を語る行と詩を語る行が一つの対位法を作って、一篇の構造を決定していると考えていいと思います。田村隆一さんの詩は、このような対位法による構成が大変多いです。そういう意味では、これは田村さんにおける定型性と言えるかもしれない。

 ●裸の放浪者たち 〜自由詩とは自らが選んだ形式を脱ぎ捨てながら行く「生き“型”」ではないか
 ところが、岡井隆さんは、なぜそのような定型性を詩人が反復しないのかという問いかけをたてて、その答えを出してみせるのです。詩人というものは同じ場所に安住しようとしない人なのだろう。であるから、それは自らが捨てていくのだ。つまり、五七調の伝統的な短詩系文学や短歌や俳句ではなく、自由詩を選ぶということは、常に自らがそのなかで選び取った形式も脱ぎ捨てていくものなのだ、と。このように岡井さんは歌人の側から詩人を指摘してみせたわけです。おそらく八〇年代的な遊戯性に対して詩の言語が有効性を失ったように感じ、戦後現代詩的な理念がどこかで失効し始める、それに対する一つの危機感として飯島さんも定型ということをおっしゃったのではないかと思うのです。

 ●詩の新たな潮流.2 〜散文詩の勃興
 九〇年代初頭に、もう一つの別の形式が詩の世界で大きく立ち上がってきます。散文詩です。九三年ごろですか、建畠哲《たてはたあきら》さんが『余白のランナー』(思潮社)という非常に印象深い詩集で登場されたころです。「現代詩手帖」の作品特集などを見ますと、執筆者の七割もが散文詩形を採用している。明らかに散文詩の時代でした。

 ●散文詩とは何か 〜直喩でも暗喩でもなく「換喩的」な詩世界の隆盛
 では散文詩とは何なのか。この間題は常に物語性とも関わっています。明日の「物語の殺し方」というテーマのなかで、講師の先生方が話してくださるのではないかとも思うのですが、散文詩ということを一言で乱暴に語るならば、詩の方法として直喩と暗喩というやり方があります。
 
 1.直喩
 直喩は、例えば「星のような瞳」というような言い回しで、なにかをダイレクトに別のものと接続する。
 2.暗喩
 一方の暗喩は、戦後現代詩をある程度特徴づけた方法の一つですが、直接性なしに語られたものがなにか別のものを表すという方法です。このこと自体は、十九世紀フランスで生まれた象徴主義の技法の、日本語への輸入と考えていいと思います。ただし、なにかに託して暗に語るというのは、世界の詩を見渡しますと、かなり古い時代から存在しているのも事実です。
 3.換喩(応用形→散文詩)(※1)
 この直喩や暗喩という方法に対して、散文詩を方法として語るなら換喩《かんゆ》の技法と言っていいかと思います。それはなにかを示すのではなくて、なにかを入れ得る入れ物を示すことだと、とりあえず説明してもいいでしょうか。例えば、お水が欲しいときに「コップも一つ」という言い方をする方法。つまり、私はなかの水が欲しいのですけれども、水を指示するためにコップを指差すような方法です。
(※「1.2.3.」はbiboによる振り分け)

 ●世界に対して敗北した言葉/詩人の退却の場としてあったであろう散文詩形
 なぜ九〇年代初頭に、直接性を帯びた詩の言葉ではなく、別のものでなにかを代理表象する方法が選ばれなければならなかったか。これはある意味、清水さんが語られた世界に対する一つの敗北の形だったのではないかと、今日思いました。そこで一つの退却場所として、ひょっとすると散文詩形があったのではないかと強く思いました。
 では、結局敗北し続けるしかないのか、という問題が当然問われるべきです。

 ●濃灰色の中間領域 〜1995年以降の詩流
 詩の重要な関節の接続が一気に外れてしまった感覚が、九五年を境に大きく見えてきたように思います。九五年は現実に、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件という、それまでの世界の存続の関節が外れてしまうような出来事に見舞われた年でした。そのようななかで、代替物として散文詩形でとりあえず退却の場所を確保すること自体までもが、なんのリアリティも持たなくなったような時代が来たのではないかと思うのです。
 未来にユートピアがあるとは信じられない。かといって、ディストピアとしての絶望を語っているだけというのも安易にすぎない。そのなかで、単純に絶望や希望のどちらかに加担をするのではなく、どちらもが侵犯しあってバランスを取り合うような一つの世界認識からしか、もう言葉が紡げないという状況まで、ある種追いやられたように思います。

 ●象徴的な詩集『LONG RELIEF/松本圭二』
 その感覚は、大変内輪話的な形で自作解説をされた松本圭二さんの第一詩集のタイトル『LONG RELIEF』(七月堂)という言葉に表れています。表題作も同じタイトルです。どこかで、今、ユートピアとディストピアが侵犯しあっていく感じが、そういう作品のなかに非常に強く、私などには感じられたときもありました。

 ●90年代に浮上してきた詩の内部における「物語」の諸相
 そういうなかで、散文詩が持っている物語性と散文詩形は必ず通底した部分を持ちます。ただし、そこに物語を語るとすれば、小説の領域への越境になるわけです。そうすると、そういうふうに物語を脱臼させるか。あるいは、物語のように見えながら、いかに物語を回避するか、という問題が問われるようになります。つまり、世界に語り得る物語があるのではなくて、物語の断片が散在しているような状況を詩がどのように写し取るかという問題が、おそらく九〇年代を通してクローズアップされてきたと思います。

 ●孤島の詩人《おに》として生きる 〜言葉で汲めない世界《グレー》を前に
 結局、ユートピアとディストピアという侵犯の仕方のなかで問われる問題として、希望を語るのでも絶望を語るのでもない、にもかかわらず世界は目の前にある。この世界というものは、語り得ないものとして言語表現に対する完全な勝者として存在している。そのときに、どのような形で詩を紡ぐことができるのか。これは、九〇年代後半以降、詩人が各自で模索中の問題ではないでしょうか。結論はそれぞれの人が出していくしかないわけです。   

 ●詩『人類の投獄/國米隆弘』
 ここで、今回のセミナーに受講者として参加されている國米隆弘《こくまいたかひろ》さんの詩を紹介させてください。詩集一冊分の原稿をお持ちだったので見せていただいたのですが、非常に印象深いものでした。

 『人類の投獄』

 聴いてくれ、四隅がおれの世界だった。何もかもが一切の過剰に因って埋め尽くされ、一切の過剰に因って保たれる。空しい錯乱状態の疲労と桃源郷を信じて止まない人々の象徴とも言える涙が恋愛を逆説的に語る困惑を。たかがそれだけとせしめたおれの生命の初心さを。理想とはかけ離れた現実の頂から見たのは、因縁じみた遊戯以外の何物でもなく、金属膜を張巡らせた硝子から来て見つめていたものは、倣慢な三文役者が挙って競い合う何様気取りの劇壇だった。そこでは涙は永遠の引潮のように思われ、負の感情は、かつての古代人の腹を拵えさせた、月の堆積物さながらに取り残される。
 おれは感情にも習慣があることを悟った。昨夜も今日も明日も必然な星彩は、本来あるべき格差をも感じさせずに、おれから飾り気のない興味を抱かせてくれるのだが、何と酷い、地上には格差が生じたものか。まるで、一部の者にだけ秒針が与えられ、秒針は丁寧に装飾された盤の上を滑らかに進んでみせるのだが、一定の時を告げると、案の定、鳩は外へ出て、埃の被った小さな木箱と与えられた制約の中で懸命に動いてみせる。鳩は外界を傍観することでしかなく、秒針が振られれば、再三、陰気臭い木箱の中で、次の出番を待たされる。それが恰も正当な、精巧な、仕組みと成り、遣り水の流れをどうすることも出来ない、ごく当然な不変たらしめる。そのくせ、異様な権力と派閥が生活の軌条に置かれ、善悪も平然と擦れ違う処で、如何なる真実をも見せろと言う始末だ。 ―― なら、四隅がおれの世界で鳩の鳴き声を聴けば、彼らの幸せに脆き、撥条(ぜんまい)に限りあるまでは、彼らの満足に感心もしよう。若しそれで、蔑みもなく、膿しさも卑屈さもなくなれば、多少は救われることもあるだろう。そう言って、おれは裏切りと牢獄に射し入る魂の片鱗を見出し、いつ何時もこれを忘れたことはなかった。四角く錆びた鉄の枠に囲まれた黒淵の世界から、しらじらと夜が明ければ、白く塗られた混凝土の僅かな斜面にも確かに陽は昇ることを。油脂のように鬱積された、最も敬遠されるべき制約からの解放には、最も優れた自然摂理の洞察力が必用だということを。
 確信的に煉られた機械仕掛けの器におれの日が輝かされた例はない。それを悠長に哂った、お前たち、多くの民衆は、一日でも静穏が訪れるべきことを祈るように、どうしてこれらを偽れる? 誰もに存在しうる世界は極めて短い極限の連続で、その観念を翻すことなど素面の誰に出来うる?  ―― 祭祀だ、祭祀を興せ、お前たちの血が燻るなら、土臭い祭祀を興せ、捕らわれの過去から隠遁するのもいいだろう。それなら先ずは、御宮で水を汲め。権現が好んだ水を汲み、さも浄化された気で、近代都市から遠ざかれ。頂上を執拗に気にかける者なら、潔く冒涜は止めた方がいい。敬虔な浪漫主義者、偏屈な啓蒙主義者は、忌まわしい昨夜の逃走劇を思い起こせ、凡庸と陳腐の毒箭を放った、一部の犯罪者に肥える土壌があったかを。
  ―― 長き沐浴を終え、頂と頂の間に架かる橋、こうして、おれは奇跡的な五感に平伏した。

 ●読解1 〜不可能性における言葉/詩作の方法
 國米さんは今、十九歳だそうです。この詩集一冊分の原稿は、この数カ月で書き上げたというので、大変感銘を受けました。この詩で語られていることを具体的に一行ずつ追って解釈していくことは、本来の詩の読み方ではありません。ただし、今、音読しただけですので、みなさんには少し分かりにくいところがあったと思います。あえて、不必要であることを承知した上で、試みさせていただきます。
 まず冒頭の「聴いてくれ、四隅がおれの世界だった」というのが非常におもしろいのは、世界というものが広がりのなかにない。ある閉塞された隅にしか追いやられていない。同時にこの隅というのは、後で登場する鳩時計とイメージ的には重層化するようです。鳩時計のなかに囚われた鳩の独白としてこの作品を読むこともできるかもしれません。その場が捉えた現在の社会や世界というものが、このように見える。つまり詩的主体である私は、ここで鳩時計の鳩になって時間と世界を考察していると考えることもできます。同時にそれは牢獄であり、タイトルが「人類の投獄」ですから、人類がそのような箱のなかに封じられているのではないか。そういう多重性を一篇の詩のなかで仕組んでいく。
 最後の「長き沐浴を終え、頂と頂の間に架かる橋、こうして、おれは奇跡的な五感に平伏した」の部分は、単純な鳩時計のなかに封じられた主体、あるいは箱の中に封じられた人間という言葉から別の世界への接続の、可能性と言うとちょっと違う気がするのですが、一つの試みの貫きとして存在しているように思います。
「頂と頂の間に架かる橋」は、この詩篇ではブリッジの橋が選ばれていますけれど、「はし」とは一対のものの両端を表す言葉です。そういう意味では、神事に用いられるお箸は両端が同じように尖がっています。お茶事の会席で用いられる利休箸もそうですが、取り上げて片方を食べ物につけた途端にそれが先端になり、片方がもとになるという構造を持っています。つまり、世界のあちらとこちらを受け渡すもの、それが「はし」です。そのような「はし」として、頂きと頂きの間になにかを受け渡すことができるでのはないか。そのような五感=感覚の錯乱に対しての、ある信頼を語っているというふうに読めなくもありません。もちろん、こうした解釈自体が極めて野暮なもので、國米さんの作品は國米さんの作品として皆さんに見ていただける日が来るのではないかと思っています。
 この詩に表れてくる感覚というのは、これまでお話をしてきたような、世界を世界として丸ごと語り得ない、世界と詩的主体の私というのが、私と語り出して健やかに拮抗し得ない。そういう不可能性のなかで、世界のなかにどのように言葉を織り込んでいくことができるかという一つの無意識的な方法を、大変若い詩人が示してくれているのではないかと思います。

 ●現代の「私」〜資本主義/市民社会の「主体」は「他者の欲望」に根ざしている
 現実の問題として、私というものが健やかに私と語り得ない。ベンヤミンというユダヤの亡命哲学者は「幸福とは恐れもなく自らを見つめ得ることだ」と語っています。しかし、自らとは何なんだろうと振り返ってみたときに、自分などは大変に薄ら寒い思いしかしないわけです。むしろ近代は他者の欲望を内面化することによって成り立っているのではないだろうか。例えば広告産業は、別に私が欲しくもないものを常に宣伝しています。それは誰かが欲しているものかもしれない。けれどそれを見続けるうちに、それを自分も欲しているのではないかと錯覚していく。資本主義のなかにおいては、そのような欲望のインテグラルを形成するものとして、他者の欲望が内面化されていく。
 あるいは近代以降の市民民社会の成立という問題を考えると、他者と自己の間のルールがなければ市民社会は成立しません。そのルールを成立させる要因は、誰かにとって不快であることを排除していく。誰かが求めないことを行為しないこと。言ってみれば、他者の欲望を内面化することです。そのように、ふと気付くと、近代のなかで自己は他者に浸食されて、いざ自分がなにかと削ぎ落としていったときに、主体として立ち上がるものが見つからない。

 ●再確認 〜「私」は“世界”に直面した“自意識”に生じるという原理
 現実には、私という主体は、私という主観より先に存在することはありません。五感のなかで世界というものに対峙してそこで形成される主観というものが、世界認識を構成します。その構成された世界認識から逆に導き出されるのが、私という主体なわけです。

 ●算出エラーをはき続ける公式 〜「私とは?」「私とは?」「私とは?」
 その私という主体が、先ほど稲川さんの詩を例にして語ったように、私とは何なのか、私はなにをなそうとしているのかという自己推察なしに語り得なくなった。これが近代以降の詩の問題であり、あるいは近代以降の人間という存在の問題だろうと思うのです。そのことが一九八〇年代後半以降のいわゆる高度資本主義と、それに伴う高度情報化社会の実現の中で、さらに食い荒らされてしまった。「私」と語り出すときの私の内実が、そのときにどのように問われていくのか。

 ●読解2 〜自己と他者の区別がない詩的主体、現代自由詩のアプローチ
 國米さんの作品のなかでは、無媒介に措定されている私は、実は存在していません。「聴いてくれ」という言葉から始まりますから、あたかも詩的主体である私が読者に向かって呼びかけているように聞こえますが、この詩的主体自体がもう世界のなかに盛り込まれてしまっている。つまり、ここでは自己と他者の区分がない。そのようななかで、世界というものがこれだけ見えないものになったときに、なおかつ抒情詩というものを書き続けよう、「私は」と書き続けようとしたときに、結局問われるのは、世界と自己をどう再組織化するかという問題だろうと思います。このこと自体の総体が、おそらく今、各自の詩人によって試みられている現代自由詩なのではないかと考えています。

 ●「聖−歌章/稲川方人」 〜予測のたたない時代の「私」の再構成、その実践例
 そのなかで、昨日、稲川さんが朗読された「聖−歌章」(※このエントリー上部(▼)に引用)という作品があります。その05番を見たときに、最後になにを語ったらいいのかが少し見えたような気がしました。今、未来がどうなると語り得ない、同時に未来に希望があるとも語り得ない、ユートピアとディストピアというものが侵犯し合うようにして、自己と他者が審判しあうようにして、なにか不分明なもののなかに世界が投げ出されたときに、旧来のようにマスタープランによって決定され、こうすればああなるという予測がまったくたたなくなったのです。そういう意味では、絶えず変容する世界と自己というものを参照しながら、新しい自己組織化を行っていかなければいけない。

 ●免疫系をヒントに 〜絶えず変容する自己を参照しながら自己組織化していく動的なシステム
 実は、人間の体内にこのシステムがあるのです。それは免疫系です。免疫系は、脊髄で作られる一つの細胞が必要に応じて赤血球になり白血球になり、攻撃細胞になり、というふうに変化していきます。つまりマスタープランの遺伝子が決定することによって変化するのではなく、必要に応じてそれぞれが変化していく。これを免疫学者の多田富雄さんは「絶えず変容する自己を参照しながら自己組織化していく動的なシステム」という捉え方をして、スーパー・システムと名づけました。そのようなスーパー・システムとして、世界と自己の関係を問い直すところから、新しい詩が立ち上がる必要があるのではないかと考えたのです。

 ●読解「聖−歌章/稲川方人」
 作品05について、ご本人を前にして言わずもがなの注釈を加えるのはためらわれますが、あえて語ってみたいと思います。
 最初の「死んだ眼は見るだろう」とは、聖者が見るのではない。ここではある意味、主体としての私が見ることの無効化された時代が表明されているのかもしれません。同時に、生きている間だけが活動のすべてではない。ある詩の言葉の、別の時間、過去と未来が現在に折りたたまれているような時間のなかで立ち上がった一行だと考えることもできるかと思います。稲川さんの第一詩集の冒頭が「まず死者が棚を濡らして過ぎていった」という、非常に印象深い出だしですが、それを連想させるところがあります。
 同時に、眠が見るのは「いくつもの恒星が集まる十光年の星団」、これは十光年ですから十年前に発された光であって、今その星は消滅しているかもしれない。さらに「サイレンの鳴りわたるあの乾いた地下水道の壁」、これは具体的で現実的な、ある種の我々の日常生活に連続した風景です。つまりこの二行で、あるマクロからミクロ、あるいは日に見えない一つの時間から現実というもののなかに、「死んだ眼は見るだろう」ということで、これらの死がなにを語ろうとしているのかという、時間と空間の設定がなされていると思います。
 そして語られる祝婚の風景は、必ずしも幸福の相を帯びているわけではない。とりわけ「父母も兄も、望む者すべてが甦る小さな土地の家に着くのだろうと」というところで、「望む者すべてが甦る」という言葉には、なにが甦るのかという目的格が、あえて表明されていません。しかし、「甦る」という言葉で、なにか失われたものがここで回復される可能性があるのだろうかという多義性を帯びます。同時に、「望む者すべてが甦る小さな土地の家」という言葉は、どこか、そこが辿り着くべきある種の切り取られたユートピアという相も、一瞬帯びて見えます。では、この作品が、ある希望としてのユートピア性を語っているのか。例えば「人々の手のロザリオの糸が引きちぎられた」、あるいは「狂ってゆく破局に二度と恐れまいとし」という言葉から連想されるのは、もっと危機的な状況のなかで、ギリギリの絶望と自己の存在をはかり合うような姿ではないかと思います。
 その象徴的な一行が「それぞれが生まれたときのすがたになった」です。裸であること。吹きっさらしの世界のなかに、何の防備もなしに立ち続けていること。これは昨日、稲川さんが質問の最後に語られた、人間というものが今、どれだけ危機的なところに追いやられているか、そのことの詩的な表明と考えてもいいかと思います。
 しかし、そのなかでも時間は経由していくわけです。それが例えば「次の駅もまた次の駅も見えて」という、視線の移動の可能性による時間軸の経由で表明されます。そしてそれが「深い山脈の夜へ入って行く」。このなかで一つの祈念のように「聖なる彼方を」「その『彼方』を」という言葉が繰り返されていきます。ところが、「その『彼方』」が求め得られるのは「夢にさえ届くことのない楽園」。
これは、楽園として存在しているのか、いないのか、もう分からない。
 このように、この作品では、ディストピアとユートピアが浸食してはかり合うような場所で、世界とどう向かい合うのかという間題が試みられている。

 ●二つの方法《アプローチ》 
 (〜「時代や世界はおろか自分ですら明確な存在ではない」×「強烈な明暗に彫《え》られるヌード」)
 そうしますと、國米さんの作品に見られた、自己と世界の関係を無媒介に、自分に対して世界が存在していると想定するのではない方法。あるいは稲川さんの作品の、自己と世界の関わりのなかで、絶望や希望が片方に加担し得るものではなく、互いにその深さをはかって深め合うようなものとして、裸の存在としての人間というものを露わにしていくような方法。そのような形で様々なことが、今まさに試みられているのだなと感じています。

 ●むすび
 今日は講師として客観的な話をしなければならないようなので、自分の詩の話はしませんでしたけれども、自分自身も試せるものを試せる限り貫いていきたいと思っています。まとまりのない話ですが、川口晴美さんから以前「城戸さんの話は支離滅裂ね」とお墨付をいただいていますので、このまま終わらせていただきます。




bibo ―― 大量消費化以降の社会に暮らす人間の有り様は、「私」という主体を構成する要素の「他律性」「依存度」「外的成分(非自意識的/非自発的な要素)濃度」の比率が大変動したのではないかという指摘。
経済先進国に生きる人間(主に都市部でサラリーを得ながら暮らす人々)は消費社会に消耗し、疲弊し、潤いを減らしてきた。ここではそのような「人間」が、おなじように損耗した「人間」と関わるしかなく、また混迷と停滞感を色濃くした「時代」背景もあいまって、人の有様はそのバランスを変化させた。
「人間哲学、社会思想、理想や願望、人生指針、宗教性、倫理観や道徳」の効果や威光は薄まり、人間は時代も自分も将来も信じられなくなってきている。このようにグレーな社会状況・人間心理にあって、安易な依存ですら自己を確かにはさせない。寄りかかる他者/共同体/上位・外部的なサークルにしても土台や基礎、壁をぐらつかせ不安定な状態に喘いでいる。
神が居れば神に詩を捧げられた/不満をぶつけられた。
抑圧的な社会や体制が強権を振るっている時代ならば、抑圧される人間が受けるストレスが致死的な量であるかわりに「自己」の強度は揺るぎないものになり、闘いに向かえば存在意義も将来性も感じ取れた。そこでは自分を疑う暇などないし、体制側の人間は敵として明らかで、そうでなければ同じ苦しみや悲しみといった現実(強度の高い物語)を共有する同士だった。親も子も豊かで確かで伝統的な文脈を分かち合う血の通った繋がり ――
いまや主体は自意識の内部ですら分裂し、ばらばらになりながら行き場を失い、他者もおなじように戸惑い、まとまりを欠き、社会もまた行き詰まりを隠せない消費型の方向性から後戻りできず、予見される鬱屈した将来に突き進むことを止められないでいる。おそらくは、こうした悪寒を多くの人間が察しているので、ここをきっちり指摘/引責したうえで話されない政治家や官僚、学者の言葉が空々しく聞こえ、うんざりした気分が蔓延する。
軽薄な時代であればその喧噪と戯れ、一方で濃くなった影に自己を投影することで抒情詩を紡げた詩人たちは、おおよそ確かめ得ない「自己/主体」に根ざすでもなければ、敵対関係すら結べない時代や社会を向うにまわす旧来の構造は無効化して久しく、なにをどのように書くか、どこへ向けて誰としてどのように語るかが問われている。



―― 対話
【 城戸未理×細見和之 】

●「言葉の敗北」とは共通見解として有効なのか
細見 ―― 「八〇年代以後の詩の変容」ということで、女性詩の問題や、一人称を疑うところから始まる詩や、定型論争、九〇年代以降に散文詩が非常に多くなっていることなど色々な話がありました。
 清水さんの話からそのままきている問題ですが、一つ気になったことがあります。
 清水さんが、ある時期言葉は現実に対して敗北したとおっしゃった。城戸さんもあるところではその認識を共有している形で語られていました。ある意味、変な話だなという気がするのです。つまり、現代詩をめぐつて集まって議論している、その場所で、我々は敗北したということを皆で確認しているのだろうか、ということです。言葉が現実に敗北し、圧倒されていることがないかのように振舞うことの欺瞞性はあると思います。同時に、絶えずそのことを共通了解にして、ある意味、解散集会をしているようなイメージもちょっとありました。しかし最後のほうでは、それに対するポジティプな可能性としていくつかの作品を読まれました。そこの繋がりの部分、ある意味では共有せざるを得ない敗北という言い方と、それぞれの方法でやっているということを繋ぐような話をしていただけませんか。

城戸 ―― 実は、敗北したことを共有するところから話し始めたほうが、話が綺麗に繋がるかなと思ったのです。
 今の話で思い出したことがあります。散文詩は、詩ではあるけれども形式的には散文と同じように、ある物語性も帯びていきます。その散文詩が増えていったときに、藤井貞和さんが「散文が詩として選ばれている」という言い方をしました。詩が書かれている、というのではない。どうも飯島耕一さんが定型論争に至るまでの経緯のように、詩が、どうも旧来の理念では書けないのではないか。詩が書けないのなら散文を詩と呼ぼう、というくらいの退却した場所というものがあったと思うのです。そういったところからは、やはり先がなかった。その間題自体が今日、我々が提唱すべき問題として続いていないと思うのです。




bibo ―― どうしても何かを「負け」とするなら、それは書けなくなった一詩人が負けただけで、そもそも勝敗的な見立てはナンセンスだし、「勝ち負け」なんてそれこそ「物語《ストーリー》」に他ならない。「いまや時代が無い、時代から物語がなくなった、言葉は、詩人は負けた、あったものが崩れて言葉が負けた」みたいな言い方が物語のテリングだということ。
どれもこれもストーリーを語りたい(そうであると認識したい、させたい)という欲求・要望の表れ。
もちろん急にこういう話があちこちから噴きあがるんだとすれば、その背景にはそれまで長いこと機能してきた文脈や神話、ストーリーが不全に陥ったり、機能を弱め、もしかしたら失効した(しそうだというオブセッション)転換点以降の時代《ターム》があるはずで、「物語は語られ続けている。だが、内容が違うんだ。これまでは宗教や倫理、道徳といった人間が紡いできたストーリーだった。価値観や生き様、階級や地位といった役割に応じた規範だった。しかし、それが機能しなくなり、失われ、かといって新たなシナリオが用意されているかといえばそうじゃない。手探りのなかで見つからないものを探すのか、そんなものはないとして生きていくのか、どちらがいいかも誰もわからない。物語は語られている。しかし、これまでのように同時代の多くの人間には「共有されない/されえない」ストーリーかもしれないという特徴があるんだ。問題はこの点だ」という話しだ。
かつ、それがどのような物語であろうと(「有効・無効/個人的・集団的」のどちらにどれだけ偏ったストーリーだろうと)現代は「磁場がない/集団を作り得ない(得がたい、実効性・有効性が低いetc)」ので共有は難しいだろう。超資本主義以前のような物語の力や機能が発揮されないだろう」と。

「(かつてのように人々を結び付け、信じさせ、前に進ませる)物語が失われた」と声高にいわれる時代の文芸には(というか、人間が物を書くようになってから、おおよそ社会および人民を束ねる物語が機能し切ってた時代なんてあったのかという疑問と、あったとしたって失われるまえでは詩人・小説家のくせに大前提となる物語に依拠しながら書いてたのかよ(詩や小説が必要か? 教育的・訓告的・啓蒙的なつまんねえ作品しか思い浮かばないよ)という疑念と、どんな時代にあったってマイノリティでありアウトサイダーだったから書き物なんてメンドクサイことやらなきゃならなかったんだけどな・・・・・という立ち位置で生きて書いて作品をやってきた人にとってみたら「今更なにうろたえてるんだよ、おまえら平和ボケだな」と呆れられたんじゃないのかという思いと)、あらたな形式が模索されたり、原点(旧式・伝統的・原型)への回帰、「私」への拘泥や執着を見せるナラティブの出現が見られるだろう。
時代を読みながら書くインテリ系の詩人や、アカデミズムに拠らずとも個人的に社会状況を見つめながら詩作する書き手は、無条件に「私」と詩を書き始めることに違和感や拒否感を覚えるとしても、もっと本能的だったり野性的に書いていくタイプのなかには、社会的な物語が失われ、自己や主体の在り処が不確かになる兆候を嗅ぎ取り、並行的・同期的・感応的に「私=主体」をトレースするんじゃなく、反対にかつてないほど「私」を前面に押し出す ―― それこそ無条件で無反省で不勉強だと言わせるほどに妄・狂信される「私」のゴリ押しみたいな作品も現れるはず。
というか、九〇年代の終わりから2000年代の文芸シーンには、そんな傾向の作品や作家が居たように思うし、J-POPだとか芸能シーンの事の推移を辿ると、このような世相があったと分かる気がする。それもバブル以降の不条理・不透明・不穏な時代の反動であり反作用であり、「私」や「主体」を懐疑する(信じられなくなっている)というスタートラインから始める立場・詩作とは陽画と陰画の関わりだ。むろん、無条件で「私」を信じ、打ち出し、語り抜く人や作品が光の側であるとも言えるし、その逆も然りだ。

ついでに一言書こう。
言葉が負けたなんて高慢な物言いを平気で口にする人間は、戦争についてはこういうだろう。
「日本が負けた」
ちがう。個人がやったんだ。人のせいにするな。人じゃないもののせいにして終わらすな。大きな主体に罪を被せる「物語」を安易に語るな。
バブル時代とその後の文芸シーンについて多くは知らない。知らないが、言葉が時代に負けるなんてありえない。
繰り返すが、詩人についていえば、言葉を使う詩人が書けなくなっただけのことであって(そういう詩人がいたっていう話は、おれは聞いたことないが)、それを「言葉が負けた」なんて捏造をさもありなんみたいな口調で語るなんて。なんなんだ、それは。
「私は言葉のプロであり、私と言葉は一体であり、私が書けなくなったってことはつまり言葉の負けということです」と考えてる傲慢で尊大なバカか、じゃなきゃ、「私は言葉を使うプロです。そのプロである私が言葉をどう使おうが負け試合にしかならなくなった。言葉が時代に負けた」というプロセスを経た認識なのか。
後者だとしても、おまえが使ってる言葉はおまえが身につけたり憶えてきた言葉であって、そんなものを普遍的な物差しのように語るなよ。一億人の日本人がいれば、一億パターンの日本語体系がある。それをなんだ。厚かましいんだよ。
つまり、おまが負けたんだろ? 
なぜか正直にいえない。
自分の負けを言葉の負けに摩り替えて逃げる ―― 誰より個人的でありその責任を負っていくべき詩人が、その主体=自分を、なにか大きな主体や主語で言い換えて語るなんて、どんなエクスキューズだよ。カムフラージュ。自分の事は自分の事として喋る。そんなのは言葉を使う人間として最低限のマナーだ。ここを弁えられてない人間に詩を公表し、詩人を名乗る資格はない。
甘い。甘い。甘えに過ぎる。
それに、負けただの勝っただのと浅はかな物の見かたをする詩人の作品が奥行きのあるものになるんだろうか。
なるの? 
信じられないわ。
このとき会場にいた誰も、この点を指摘しなかったのか。
それもまた信じられない。
おれはこの本に多くを学び、考えさせられている。
でも、黙ってられなくなって、ついにここでまくしたててしまった。
城戸さんは下で「私自身は言葉が世界に負けたなんて思ってません。80年代以降の日本詩は「敗北」を設定したほうがクリアに語れるので援用したまでのこと」と語る。
いや、そりゃそうだよな、あぶねえよ、城戸さんまでガチで「負けた」と思ってるんだとしたら・・・とヒヤヒヤしてた。



●言葉は負けたり勝ったりしない
城戸 ―― だから、細見さんの今のお話に、非常にでたらめに答えさせていただきますと、私はちっとも世界に負けたなんて思っていません。やはり勝つ瞬間には勝つだろう、と。やはり、それは、それぞれの詩人がやればいいだけで、ここで「さあ、勝とうよ」とみんなでエールを交わし合っても何の意味もない。一人一人が孤独に苦しんで、そこからしか始まらないだろうと思っています。

●散文詩について
城戸 ―― だいたい、勝つというときに、散文が詩として選ばれているという言い方は非常におもしろい言い方です。やはり、散文的な感覚で現在というものへの対置の仕方が、詩のなかにも決定されていたと考えてもいいかと思うのです。これは神秘主義的に聞こえたら、ごめんなさいと言うしかないのですが、稲川さんの詩のなかで「死者が見る」という言い方がある。なぜ、今、生きている人間が、死者が見ると語らなければならないのか。でも、詩というのは、そういうふうにどこかで妙な時間を貫いてしまうところがあると思うのです。

●詩の言葉 〜自律性があり、自走性があり、時空間を貫く ――
城戸 ―― 言葉は意味が解明されているから会話が可能になるわけですが、それにもかかわらず、詩の言葉に関しては、一篇の詩が書かれるときに、そこにまるで言葉が発生するような、そういった瞬間を私自身も感じることがあります。その詩自体は、発生であり、同時に現在であり、未来である。未来というのは、先々読まれるなどという意味ではありませんよ。一つの可能性として、そういう時間軸を貫く言語たり得るのではないかと考えているところがあります。
 そういった意味では、現在の世界に対する言語の敗北という問題と、詩自体の可能性の問題は、必ずしも、散文と同じようにリンクしないところがあると思います。これはどこかで秘教的な、あるいは神秘主義的な響きも帯びていて、おまえの思い込みだと言われれば謝るしかないところがあります。ただし、私はそのように考えています。

●いまは何の後の時代か 〜文芸の事後性についての指摘
細見 ―― もう一つ開きたいと思ったことは、午前中の平岡さんの話とも重なってくるのですが、文学をある種の戦後文学として語る、日本の近代文学はある意味ずっと戦後文学だったというところから発想を持つと、なにかの事後に生じる言語意識というところが文学にはあるようです。それは戦後文学がずっとそうでした。現代詩で言うと、七〇年代というのは、事後だという記憶がある。あるいは八〇年代も、七〇年代ぐらいまで人は元気だったというような、そういう元気だった詩の後の記憶みたいなものがある。
 では、今はなにの後なのか、ある意味では分からない、という問題でもあるのかなと思うのです。一人一人が生きている場所は、大変な問題を抱えているわけです。ところが、そんなことをあたっても誰も関心を持ってくれない。問題を共有できない。誰だって大変だよ、というようなことになってしまう。
 国木田独歩の「号外」がずっと印象に残っていて、その時間の間は全く知らない人がそのことに関心を寄せていて、共有している。それが終わったときに、非常に喪失感があって空虚である。なにかが起こっている最中にはある種の共同性みたいなものがあり得る。そしてその事後に、その喪失を巡っていろいろな言葉が語られる。その形で、文学というものはかなり作られているところがあるのではないか。
 そうしたときに、今はなにの後かよく分からない。一時期、物語の終焉とよく言われました。つまり、革命によって世界が変わるとか、戦争によって国が大きくなるとか、努力を積んで子どもが大臣になってというような、そういう色々な物語がなにも機能しなくなる。誰も信じない。ある意味で、物語の終焉みたいな語りの後、その辺の問題が二十年位ずっと同じようなことを反復してきているような気もする。
 詩の変容を言うときに、「なにかの後」という事後性と文学との関わりについて、今の状況はどうなのでしょうか。

●イメージの力 〜失われたものを呼び起こす機能
城戸 ―― 失われたものがあったときに、それを今ここにもう一度呼び起こすことができる力、それがイメージと言われているものの力です。その意味では、イメージは常に失われたものに対して機能するという、ある側面は持っていると思います。

●事後性への拘泥は現在性への想像力を貧しくさせる
城戸 ―― ただ、細見さんが今おっしゃったように、文学というものの事後性、例えば戦後文学といい、戦後史といい、六八年革命以後といい、阪神淡路大震災以後でも九・一一以後でもいいです。なにか分節点を作って、以後が連続しているような感覚は、批評的な言説のなかでは常にそれが起こります。
 ところが、事後性ということだけに気を取られると、現在性が必ず隠蔽されます。今がなにかの事後なのか、それともなにかの渦中なのか、この問いかけは必要ではないでしょうか。現実には、今は見えない形での戦争中で、日本も当事国の一つです。そうすると、九・一一以降という事後性のなかにではなくて、同時進行中の一つの戟争のなかにあるという部分もあるわけです。

●終わり続けてきた「物語」
城戸 ―― ただ、先ほど物語の終焉という言葉が出て思い出したのですが、一九八六年当時、「海燕」という文芸誌が福武書店から出ていました。島田雅彦と小林恭二と川村毅(劇団第三エロチカ)と俳人の夏石番失さんもいたかもしれません、それに私の五人で、座談会をやったことがあります。そのときのタイトルが、そういえば「物語の終焉」でした。延々と終わり続けていたのですね、物語は。
 これだけ殺しても終わり続けている、ということの確認だけで終わってはどうしようもないわけで、むしろ、それが破砕して断片化していったときに、それはある種、神話の発生に近い状態になります。ただ、物語は共同体がなければ成立しない。共同体のなかで共有されるものが物語だと、とりあえず言っていいかと思います。その共同体自体が日本のように崩壊していったときに、物語自体は絶対に不可能性のなかに追いやられるわけです。
 私はここしばらく「群像」(講談社)の文芸時評を書いていたので文芸誌を読んでいたのですが、本当にこれは、あるサークルの人しか読んでも理解できないだろうなというような小説がすごく増えています。そういう形に、全部が断片化して飛び散っていく感じがある。でも、それは事後性ではなくて、現在起こってしまっている出来事なのだと思うのです。結局、そこで物語が終焉するという事後性のなかに我々があるということは、もう一度、再組織化に向けての過渡期にあるということなのかもしれません。場合によっては、人類自体の終焉の前段階なのかもしれない。どちらを選ぶかは結局政府やなにかの問題ではなくて、我々一人一人の問題だと思います。

●もういちど、文芸の事後性について
細見 ―― ある意味では今が戦争の只中で、という詰もありました。ぼくは同人誌などを読んでいて、九・一一以降を題材にした作品もたくさん読みました。だけど、やはり、只中のような言葉の揺れみたいなものは、ほとんど感じられないですね。やはり只中にいないことを、むしろ非常によく表している。詩にはそういうところがあるのではないか。いくら只中だと頭のなかで考えて、それを言葉にしようとしても、反応してくれない。つまり、只中ではないことをかなり認めてしまっていることを、作品の言葉自体が露呈してしまう。そういう正直さが作品にはあるのではないかという感じがします。

城戸 ―― 事後性が強調されるのは、それが避けがたい現実の経験として突き刺ささってくるからです。そのようなものに対して言葉を与えようとしたときに、明らかに文学総体が帯びる事後性が発生するのだと思います。
 ただ、すべて事後から生まれるかというと、私は必ずしもそうは思っていません。でも、たしかに今は戦争の只中です。個人的な事情もあります。私は飛行機に乗る機会が多いのですが、そのたびに、飛行機が爆破されて落ちるとか、ビルに突っ込むとか、そういうことが何度も自分のなかで反復されるところがある。でも、こういうことは個人的な事情です。
 現実に、今は戦争中だと言っても、秋吉台にみんなで集って文学を語り合っていたりするわけです。こんなことは戦時中の出来事ではない。そういう意味では、あまりにも潜在性のなかに潜んでいる現在進行形の出来事なので、意識に乗りにくいということがある。そういうなかで、そのことを書こうとすると、どこかでリアリティーを喪失している。そうすると、どうしても事後性が強調されていく。
 文学の歴史を後追いで見たときに、事後性が強調されるケースと、ある極端な予言性のような先見性が強調されるケースの二つがあります。同時進行的に、文芸ジャーナリズムみたいなものが成立した時代には、同時代性がとても大きいです。そういったものを後になって見ると、まったく有効性を失って、当時の大ベストセラーが消え失せるということが多々起こります。こういった多義的な問題として、時間と文学作品の問題というのは、一筋縄ではいかないところがあります。結論になっていなくてすみません。




【 “共同性”への距離 ―― 短歌や俳句と、詩の 】 138

 福間健二 ―― 議論になったのは、短歌の場合は、前提とするなにらかの形の共同性がはっきりしている。俳句もそうかもしれない。ところが現代詩は、家族を看取るというようなことについても、誰かとの共同性のなかで訴えるということは、もしかしたら難しいのかもしれないということでした。現代詩を書いている人間として、そのとき、ぼくが思ったことは、ぼくらも何らかの形で共同性は持ちたい。けれど、その共同性を安易には持てないところで書いているということに意味があるかな、といことです。そう簡単に共同性に飲み込まれない、と。今日だって、本当は何らかの形で共同性を持って、我々はこういう場を持っているのだけれど、表現について安易な形の共同性を拒むようなところに詩が支えられている要素があると思うのです。それができないからといって、短歌へパッと行ってしまうのは、何だあいつは、ということになる。( 中略 )
 例えば、自分の家族の死を詩に書こうとしても、どういうふうに書けば人に繋がっていくのか( 中略 )定型の問題なども全部繋がってくる ――

(「●」はbiboによる小見出し)



(※1)換喩:修辞学の修辞技法の一つで、概念の隣接性あるいは近接性に基づいて、語句の意味を拡張して用いる、比喩の一種である。また、そうして用いられる語句そのものをもいう。メトニミー(英: metonymy)とも呼ばれる。文字通りの意味の語句で言い換える換称とは異なる。上位概念を下位概念で(またはその逆に)言い換える技法を提喩(シネクドキ)といい、これを換喩に含めることもある。
―― 実例
頻繁に用いられる換喩には、以下のような幾らかの関係性がある。

包含:ある事物が他の事物を包含する例で、典型的な換喩である。
例えば、「食卓」は「食事のための卓(テーブル)」の意味から転じて、そこに載る食事あるいは料理を指す語でもある。他に、建物の名称がそこに含まれる事物を表す例もあり、代表的なものに、「東宮」(皇太子の居所、または皇太子自身)、「ホワイトハウス」(アメリカ大統領官邸、または当地に勤務する職員)、「ペンタゴン」(アメリカ国防総省および同国の軍事)がある。

道具・器具:しばしば道具や器具の名が、それを使用する職業人を表す場合がある。
「白バイ」=白バイ隊員(警察官)
「ペンは剣よりも強し」=ここでの「ペン」は、それを手に取って文章を書く人、すなわち「文筆家」や「文学家」あるいは「思想家」などの意味に解釈される場合が多い。

提喩:ある事物の一部分(下位概念)が、全体を意味して(上位概念として)用いられる場合である。
「手が足りない」=仕事をするために必要な「人」、つまり「働き手」が足りない、という意味。
「人はパンのみにて生くる者に非ず」=ここでの「パン」は、「食べ物」あるいは、より広く「物質的充足」という意味。

地名:一国の首都名は、しばしばその国の政府を意味する換喩として用いられる(例: ワシントンD.C.=アメリカ政府)。
「霞ヶ関」=日本の官庁。
「永田町」=日本の国会。

その他:「赤頭巾」=赤い頭巾を被った少女。
「きつねうどん」・「きつねそば」=キツネの好物とされる油揚げの入ったうどん・そば。

慣用表現:「漱石を読む」=漱石の作品を読む。
「玉座に就く」または「王冠を戴く」=王位に就く。
歴史的には、換喩により語の意味が変化することもある。例えば「殿(との)」は「宮殿」の意味から(婉曲的に)そこに住む「貴人」「主君」の意味へ、さらに敬称あるいは代名詞的用法に変化した。「みかど」なども同様。









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