2016年09月20日

2013年03月02日

ポエムの虎 2003 秋吉台現代詩セミナー/「ポエムの虎」実行委員会編


ポエムの虎 2003 秋吉台現代詩セミナー/「ポエムの虎」実行委員会編




 ●出来事としての物語
 稲川方人 ―― ぼくは、疑いを持ったことを初発にして書いています。今までは自分の作品がどう読まれても、何も気になりませんでした。しかし、この連作は、読んだ人が一体なにを思うのか、なにを考えるのかということが気になります。そう意識させる理由の一つが、ここで作られている物語です。ぼく流に言いますと、歴史/物語といったものです。今日の歴史観に対してある時代の物語、厳密に言うとそれは歴史性というよりも出来事性と言ったほうがいい。ヒストリーと言うと言葉上、別の問題が入ってきてしまいますので、歴史における出来事というものを物語として考えたい、出来事としての物語を書こう、と思っているのです。
 なかに出てくる「町《コロニー》」、「静かな共和国」、「保護監禁」、「友愛」、「国定 ―― 言語」、「階級の没落」、などの言葉は、それ自体は文学的な言語ではなくて、直接性を持った言葉だと思います。そういうものを括弧に入れてあります。これらは、予め作っている歴史/物語に対して、この作品が何をやろうとしているのかということも、一つ背景にあって出てきた言葉ではないかと思います。 13




 『聖 - 歌章/稲川方人』 14(▼)

 05
 
 死んだ眼は見るだろう、いくつもの恒星が集まる十光年の星団も、
 サイレンの鳴りわたるあの乾いた地下水道の壁も。
 祝婚の朝の身支度をした横列の人々の顔はまだらで、
 ニュース・フィルムのカメラにみな同じ帽子をかぶっている。
 顎に手をあてて消えない耳鳴りに耐えているあまりに若い花嫁の両側に犬も並び、
 その犬を連れて、
 この駅からいくつの駅を過ぎれば
 父母も兄も、望むものすべてが甦る小さな土地の家に着くのだろうと、
 花嫁はそうして身動きせずに、奏でられる弦楽器に顔をあげ、
 この「花摘みの歌」を歳老いる日まで忘れないと誓うだろう。
 再会することのない、
 けれども生き残れとたがいに言う声から別々の道が啓蒙されて
 人々の手のロザリオの糸が引きちぎられた。
 抑えたこの約束を限りに、陽は高くのぼり
 狂ってゆく破局に二度と怖れまいとし、
 それぞれが生まれたときのすがたになった。
 脱ぎ置かれてある着類はそれでも揺れ動いていたが、
 鼠のように這う炎がそれを焼き尽くすと、
 地下水道の遮られた排水口からは次の駅もまた次の駅も見えて、
 死んだ眼はうつろいながら
 やがて深い山脈の夜へ入って行くようだった。
 聖なる彼方を ―― 最後への短い眠りを埋めるために、
 夢にさえ届くことのない楽園のために、その「彼方」を、
 聖なる彼方を ―― 飢餓の血と水浸しの花と、
 謝辞のない愛と記憶のない愛のために、その「彼方」を。




―― トークと朗読3
【 反射神経だけで詩を書きたい/松本圭二 】 23

 ●ジョージ・イーストマンとコ二−・アイランド

 はじめまして、松本と申します。ぼくは福岡の図書館で映画のフィルムを保存する仕事をしているのですが、そこで、たぶん今回のチラシを見られたのでしょう、ある年配の職員から「松本君もいよいよ詩のボクシングに出られるのですね」と声をかけられました。「いや、違いますよ。詩のボクシングではなくて『ポエムの虎』です」と言いたかったのですけど、この「ポエムの虎」というのが、職場では恥ずかしくってちょっと言えませんでした。
 今、「電波詩集」というタイトルで「現代詩手帖」(思潮社)に連載しているのですが、そのなかの一篇を読んでみます。出来がいい悪いは別として、自分のなかではちょっと大事にしている一篇です。

  『14 詩人と打ったらどじょん″になる』

  真剣などじょんは
  言語や形式について実験するように
  光についても様々な試みをする
  そのためにかなりの時間を費やすのがふつうである
  私もまた他の優秀などじょんと同様
  若いころは光の散乱している曇天を好んで書いた
  そして、その光の描写をマスターしてから
  こんどは明暗のコントラストの強い風景へと移っていった
  光の特定の面を集中して勉強することは
  どじょんにとってきわめて有益なのだ
  光を見る″ということが学習できる
  陰影や反射、光の種類や光源そのものが構図の中心となり
  物体はどちらかと言えば副次的な要素となるだろう
  どじょんはついに光の使い手となるのである
  ジョージ・イーストマンが孤独な自殺を遂げたとき
  私は卓上の白い紙を長い時間見つめていた
  それは全世界だった
  電燈が私の太陽だった
  コニー・アイランドが雪にうまっていく
  コニー・アイランドが夜をとりもどしていく

 基本的に言って気取った詩ですよね。詩というよりも散文に近いのかもしれません。

 ぼくはこれを書いたとき、もう、べろんべろんに酔っ払っていました。よく、夜に書いた手紙を朝読んで、何だこりゃ、と思うようなことがあると思いますが、ぼくもよくあります。とても自分が書いたとは思えない、大体がむちやくちゃです。この詩も、ぼくは詩をパソコンに入力しているのですが、つぎの日、仕事から帰ってきて画面を見たときに、こんなものを書いているんだ、と思いました。
 もちろん記憶はあります。前の日に妻と大喧嘩をしました。ぼくが勤めているフィルム保存の仕事というのは、ほとんど倉庫番なのですが、それでもやはり保存の色々なスキルを学びたいし、勉強をしたいと思っていました。アメリカのロチェスタ一に「ジョージ・イーストマン・ハウス」という、唯一、技術的な勉強ができるところがあります。だから、そこに行きたいと妻に言ったのです。もちろん、どこもお金を出してくれませんから自費です。「冗談じゃない」と妻から言われました。同人誌や詩集にお金を使っているわけですから、せめて仕事に関することぐらいはお金を使わずに何とかならんか、ということで喧嘩をしたのです。
 そのとき妻に、フィルムの保存の仕事がそんなに大事なのかと言われました。「一番大事なのは詩を書くことでしょう」と、偉そうに妻が言うわけです。でも、ああそうだ、言うとおりだと思いました。収入が必要ですから仕事はしますけれど、べつに倉庫番でいいやと。なにがフィルム保存だ、と思って、おれは絶対に詩人でやっていくのだ、と頭のなかにすごい気合いが入った状態だったと思うのです。
 そこでキーボードで「真剣な詩人は」と打ったら、画面の字が「どじょん」になっているわけです。普通は「詩人」と打ちなおしますけれど、いいな、と思った。「どじょん」って何かいいな、と。おれは「どじょん」だなと思って、詩人と書いて「どじょん」と呼んで欲しいぐらいの感じで、このまま行っちゃえと思ったわけです。
 そのへんまでは記憶がありますが、あとは多分、ジョージ・イーストマンのことが書いてある本を読んだりしながら、引用のようにして書いたものが続きます。ほとんどそのままかもしれません。「ジョージ・イーストマンが孤独な自殺を遂げたとき」から後は、自分で勝手に書いています。
 ジョージ・イーストマンは、ロール式フィルムを商品化して、世界中どこでも気軽に写真を撮れるようにした人です。このフィルムをジョージ・イーストマン自身が発明したと思っている方もいるかもしれませんが、実は発明者は無名の牧師さんで、その人から訴えられてジョージ・イーストマンは敗けています。それでも一代で巨額の富を築いたアメリカン・ドリームの代表のような人です。しかしあまり幸せではなかったようで、自殺しています。学校を造ったり、社会に対して色々なものを遠元していくのですが、なにか虚しかったのでしょう。そんなことに考えを巡らしながら、この詩を書いたのだと思います。ちょっと格好つけすぎですけどね。
 その本のなかにコニー・アイランドの写真があります。ご存知の方もいらっしやるかもしれませんが、福岡には海辺に大きな商業施設があって、ものすごく大きな観覧車があります。アジアで二番目という中途半端な大きさですが、職場や自宅からいつもそれが見えるのです。それと重なり合うのか、書いているときに感傷的になっていたのでしょう。ぼくは今は福岡で仕事をしていますが、もともとは知らない土地でしたし、逃げてきた東京に早く戻りたくてしょうがなかったのです。でも、このとき、自分は詩人で大きな仕事をしてやるぞ、倉庫番でもいいや、と思ったそのとき、ずっと福岡で暮らしていくことになるのだろうなと思いつつ、写具を眺めていた。なにかすごく感傷的な話ですけれど、そういう気持ちが、たぶんこの詩に書かれていて、それでぼくのなかではすごく大事な詩にしています。今日、最初に詩を読むのにどれがいいか探したのですが、なんてことのない気取った詩ですけれど、これがいいかなと思って読んでみました。

 ●電波詩集
 次は、来年(二〇〇四年)一月に出る新しい「現代詩手帖」に載せる詩です。新春第一弾の「アングラ百万年」という暗い詩です。

  『37 アングラ百万年』

  チカテツは
  見えない電車
  吐き出されたゾッキ男たち、見えない
  地上へのジュイコブス・ラダーをのぼる
  横歩きで
  蟹の思い出?
  そう、校庭で見つけた蟹のもう思い出せない
  きみはどこから来たの?
  誰んちのどぶに住んでるの?
  蟹座男
  見えないハサミ
  嫌なことは何でもチョッキン、運命的に
  泡を吹いて
  罪のように断ち切られて
  しゃがみ込む道端
  穴がある!
  無敵の、世界大の、戦えない穴が!
  toka-ton-ton
  音が聴こえて
  聴こえなくなるまで
  時間を潰す

 「チカテツは/見えない電車」というのは子どもの歌です。ご存知ですか。「ちかてつは いつもまよなか チカチカ ゴーゴーゴー」(「ちかてつ」名村宏作詞・越部信義作曲)という歌がありますが、その歌からバクっただけです。何でこんな二行をバクっているのか、自分でも分かりません。「吐き出されたゾッキ男たち、見えない」の、「ゾッキ」という言葉が好きです。どういう語源かはわかりませんが、関西では「バッタモン」といいますか。ちょっと違うでしょうか。「地上へのジュイコブス・ラダーをのぼる」の「ジュイコブス・ラダー」というのは、ヤコブの梯子という、天国に昇る梯子です。
 「横歩きで」昇るんです。「蟹の思い出?」はクエスチョン・マークがありますから、僕もわかりません。「そう、校庭で見つけた蟹のもう思い出せない/きみはどこから来たの?/誰んちのどぶに住んでるの?/蟹座男/見えないハサミ/嫌なことは何でもチョッキン、運命的に」、これは自分のことですね、きっと。蟹座ですから。蟹座と蠍座はハサミを持っていますから、何でもチョッキンチョッキン切ってしまいます。
 「音が聴こえて/toka-ton-ton」は、最初はただ「音が聴こえて」だったのです。でも、どういう音か書いたほうがいいと思って、最初は「ガタンゴトン」と書いたけれど、つまらないので「toka-ton-ton」にしました。これは太宰ですね。
 「toka-ton-ton/音が聴こえて/聴こえなくなるまで/時間を潰す」。何を書いているのかよく分からないと思うのですが、書くときの背景を言いますと、そのころ大阪の釜ケ崎に行って、野宿者ネットの生田さんに会ってうろうろしました。そのときのイメージが残っていて、「音が聴こえて/聴こえなくなるまで/時間を潰す」というのは、釜ヶ崎の世界です。時間潰しの世界。十年前の暴動のときにも行きましたが、今行くとみなさんが高齢化していて、暴動どころか、何もすることがなくて、本当にどうすればいいのだろうと思います。そういう風景が背後にあります。
 ところで、「電波詩集」とはどういう詩集ですかと、べつに誰からも聞かれないのですが、聞かれたなら、ほとんど運動神経だけで書いてやろうという気で作っています。自分では全く分析していませんけれど、中身や書き方やコンセプトなど色々な意味内容よりも、反射神経や運動神経で詩が書ければいいなと思って書いているのが「電波詩集」です。
 毎月同じくらいの分量の詩を四篇ずつ出していますが、おそらく編集者も飽きてきたのでしょう。最近「インパクトがない」などと色言われます。この間、三冊日に出した『詩篇アマ一夕イム』(思潮社)という詩集は、タイポグラフィックな色々なことをやっています。そういうものと比べられると、確かにインパクトがありません。この後に「ユリイカ」(青土社)に書いた詩は、もっとめちゃくちゃしています。けれど、もう飽きました。そういうインパクトを求められても困るなと思うのです。本当はもっと内容的な欠点なのでしょう。
 そこで苦肉の策として、本のページの、詩の上の空白部分に、別の言葉を入れようと思いました。例えば、すぐ後に紹介する「愛と誠2004」の詩の上にはつぎの言葉を入れました。

  「なぜ仕事をしない?」
  「仕事が存在しないからです」

 これも釜ケ崎の風景の影響下にあります。いいですね、ぼくも言ってみたいですね。こういうものを、何の意味があるのかはちょっと分かりませんけど、入れました。
 では「愛と誠2004」ですが、『愛と誠』(梶原一騎原作、ながやす巧劇画、講談社)というのは、ぼくが小学生や中学生のころに流行っていた漫画です。不良少年と、育ちのいい長髪系美少女の恋愛漫画、その二〇〇四年版です。ちょうどこの詩を書いたころ、小説家・阿部和重さんの『シンセミア』(朝日新聞社)という、上下巻の新刊の書評を頼まれました。暴力の世界で復讐劇です。大変でしたが、それを一所懸命に読んだのと同時期に書いた作品なので、その世界の影響がモロに出ています。

  『38 愛と誠2004』

  かっちょいい貧乏な不良青年マコトは
  エエトコのお嬢さんの美少女アイに精液を流し込んで
  まるまった世界を獲得したように錯覚し
  音のしない口笛を必死で吹いて今日も
  街ネズミどもを清掃しに行くが
  行く先には誰もいない
  救世主ビデオトロンが頭上から歌うように告げる
  「言葉を持て」と
  魔の山が自分のような精液を垂れ流すのをマコトは見た
  白いポエジーが彼をレイプした
  しかしどうしてここには誰もいないんだ?
  カツアゲしたいのに
  ジュースを買いたいのに
  魚肉ソーセージを肛門に突き刺してやりたいのに
  まあどうでもええか
  みんなまぼろしだ
  アイは自転車を立ち漕ぎして坂道をのぼって行く
  この街で一番の長い坂道を
  その足首の細いこと
  「わたしをぼろぼろにしてくれる人募集」と顔に書いて
  なにもかも振り切ってしまうつもりだ

 「救世主ビデオトロン」というのは、ビデオトロンという会社があって、ぼくはそこと長い付き合いなんです。自分が仕事をしている機材が「ビデオトロン」となっていて、ぼくはずっとその機材に使われている気がしてきて、そこから「救世主ビデオトロン」となっています。
 要するに、ぼくらが小中学生、高校生というと、八〇年代ごろです。そのころの漫画『愛と誠』の、誠のような不良というのは、今はあまりいません。だから、音のしない口笛を必死で吹いているような不良がいないなあと思って。
 「行く先には誰もいない」わけですね。
 こうやって読んでみると、反射神経で書いていますから、言うことがあまりないんですよ。内容がないのかな。すみません。
 つぎに、「野球少年は何度も爆発する」という詩の上部に入れたのがこの言葉です。

  「死滅ケ丘高校?」
  「はい。中退です」
  「それで、君はいったい何がしたいのかね?」
  「研究です。博士っぽいことです」

 ぐっちゃぐちゃになってきていますね。「死滅ケ丘高校」ってなにかなって。でもインパクトはあると思うんです。インパクトがないと言われたから書いているんですから。「死滅ケ丘高校」というのは、ここでは光っているのではないでしょうか。

  『39 野球少年は何度も爆発する』

  鯖、鯖錆、鯖もう世界じゅう鯖だらけだ!
  きみの手のひらが痙撃しているのは何かを掴み損ねたからだ
  手も足も顔もないミミズにだって意思ぐらいはあるのさ
  きみも一度でいいから真夏のアスファルトの上で干涸びてみたまえ
  脚光を浴びろ!
  おれは猛烈に爆発したくなったぞ
  おいそこのきみ、チョロQで進んでいる場合じゃない
  向こう側に行ってみないか?
  向こう側には何かある
  縫い目のある魂を打撃するようなグラウンドが!
  物と物とが衝突し合う瞬間の破裂の王と脳とヒカリと
  ピカリとピカチューと
  ああ超黄色のスクールバスが爆発する!
  ミミズのミッちゃんは問う「なぜわたしには顔がないの?」
  「それはね。まだちっちゃいからだよ」
  「でもパパだって顔がないよ」
  「……」
  「ねえどうして?」
  「……」
  「嘘ついたの?」
  パパも爆発ドッカーン!
  おれはエンタイトル2ベースみたいな権利が欲しいわけじゃないんだ
  走って走って、何が何でも本塁ゲットしてやるからな

 「鯖、鯖鯖、鯖もう世界じゅう鯖だらけだー」。いいですね。この一行と「死滅ケ丘高校」だけでいいかもしれない。「ああ超黄色のスクールバスが爆発するー」。何かこのへんはもうモロ吉増剛造若き日という感じです。「パパも爆発ドッカーン!」このあたりで何か読む気がなくなってきましたが、こういう空威張り系の詩を最近書いています。何か不満があるんでしょうね。まあ、ノイローゼなんだと思うんですけどね。
 ぼくには子どもがいまして、下が三歳、上が六歳なんですが、寝る前にお話をせがまれます。それで、いつもミミズのミッちゃんの話をしています。この通りの話なんですけど、ちょっとキツイですね。
 つぎの「ヒューマンライフ」の上にはこう書きました。

  「ヒドラの研究? 何かねそれは?」
  「必要な研究です。誰かがやらねばなりません。お金を下さい」
  「ようするに遊ぶ金が欲しいんだろう?」
  「1兆円ぐらい下さい」

 「ヒドラ」というのは神話に出てくる蛇の化け物がもとです。ちなみに昭和天皇がヒドラの研究をしていたんです。すごいですね。

  『40 ヒューマンライフ』

  ボクん名前はウ井リアム・テロ
  かぶと虫を左右のポケットに隠してんだ
  右はLOVE、左はHATE
  1、2の3で同時に投げつける
  ビュン!
  終り
  スポーツ新聞に皆殺しの詩を書くのが夢なんだ
  神話になれるなら
  TVになんか出れなくたっていい
  ボクは五十一番目の音だ
  終り
  アトピーのかたまり、ボクは
  あんたらのみだれ髪を掻きむしる匿名のマフィアだ
  今日の獅子座の運勢はエメロンの極刑
  痒いところはありませんか?
  指つっこみますか?
  終り
  ボクん名前はウ伊リアム・テロ
  遺伝子の運び屋
  絶望の助っ人
  ママはキンチョールで整髪を仕上げる理容師
  パパは競輪場の予想家

 「キンチョール」で整髪を仕上げるというのは、うちの母がよく間違ってやっていました。急いでいるときに限って父親から「早よせい、髪なんかどうでもええやんか」と言われて、最後に「キンチョール」をシューつとかけて、「あ!」っと。
「ヒューマンライフ」というのは、昔、『ガキデカ』という漫画があったんです。「ヒューマンライフこまわり君」というんですね。そのなかで「海岸通りの糖尿病」という、ギャグなのでしょうが、わけが分からない詩のようなもの
があって、それが好きで、そこから取っています。
 こうして読んでも、これが何なんだというところがあるんです。例えば「ボクん名前はウ井リアム・テロ」というのは、NHKの「お母さんといっしょ」という朝の子ども番組に「でこぼこフレンズ」というコーナーがあって、そのなかで「くいしんボン」というキャラクターがドアから出てきて、「一、二、三、ドン、一、二、三ドン、ボクん名前はくいしんボン」と言うのですが、そこからきていると思います。なにがきているのかと言われても、電波がきているとしか言いようがないですけどね。
 「かぶと虫を左右のポケットに隠してんだ」というのは、ぼくが昔書いた詩にも、カブトムシを左右のポケットに詰め込んで、列車に乗って家出する少年が出てきますが、そこから復活しています。「右はLOVE、左はHATE」というのも「狩人の夜」という映画にそういう人が出てきます。そこまでで、あとは流れで書いています。

 ●読者への意識
 さて、この辺りまできたところで、編集者から「どうにかなりませんか」という話をされました。「ヒューマンライフ」は四十篇目ですが、ぼくとしてはこの形を、「いつまでやっているんだ、松本は」と言われるくらい続けたい、
それぐらいやらないとインパクトがないですよと言ったんです。できれば延々と書かないと。でも冗談じゃないということで、十五回くらいで打ち切りになると言われました。自分のなかでは、この形式だと量で勝負という感じがしています。勝負する、というのも変ですけれど。
 ぼくは「重力」という雑誌に参加して三年目になります。これは文芸批評家や映画監督、小説家の卵など色々な人から十万円ずつ寄せ集めて作っている雑誌で、千部くらい売れています。そのなかでよく、「松本さんには書きたいことはないんじゃないの」と言われます。「いや、書きたいことはある」と。「じゃあなにを書きたいんですか」と言われるから、「そんなことはいちいち言わんでもいい」と言っています。書きたいことは、あるんだとは思うんです。
 ただ、なにを書きたいのかと言われても、困るんですね。最初からこういうことが書きたいと設定することが、もう嫌なんです。めんどくさい。どうせウソだから。
 このセミナーでも、読者をどう意識するかというような話題が出ていたと思います。でも、ぼくは意識しません。意識すべきだと言われてもね。意識するのは妻ぐらいです。こんなものを書いて、自分の妻がこっそり読んだらどう思うだろう、と。そんなことは、すごくリアルに感じながら書いています。一般読者は、書いているときは全く意識していません。もし意識するのであれば、こういうことを書きたいということを、一所懸命に用意すると思うんです。でも、なにか、これというものがあるわけではないのです。それで、反射神経だけで書いています。
 最後に、「青猫以後」という、「ユリイカ」に書いた詩を読みます。

  『青猫以後』

  そうやってね、朝がきてしまう
  緑色の顔をした緑の
  夜のおまえは膝小僧の上に小さな顔を乗せて
  部屋の片隅でベッドの上で祈っている?
  まさか冗談でしょう そんな習慣はありません
  祈る言葉なんか持っていないし
  祈りの仕方も教わっていない
  吐き気を堪えながら、ただじっと壁を見詰めてるだけね……

 こういうふうに続いていく詩です。これは今唯一、何とか一冊の詩集にしたいと思っていますが、なんにせよお金がなくて、なかなか作れません。まあ、こんなところです。




【 八〇年代以降 〜言葉の全面降伏と新たな文体・語り口の出現 】 106

 清水良典 ―― 今日は午前中に戦後についての議論があって、「日露戦後」ということが出てきて、ぼくはそれにも非常に大きな刺激を受けました。それに関連して言うわけではありませんが、近代言語は世界を言葉で征服する巨大な戦争だったと、ぼくは思います。つまり二十世紀になって、セックスの領域や人間の無意識の世界など未開拓な世界が発見されて、そこにも言語が派遣されてどんどんそこを発掘して、言葉でそれをすべて語り尽くす、そういう運動を続けてきたわけです。文学は人間の内面や組織、政治などのあらゆる問題やテーマをすべて開拓して、どんどん言葉で語り尽くして、どんどん作品化した。つまり、世界を文学の言葉で制服してきたわけです。
 けれど八〇年以降、それが全面敗戦したという気がしています。世界に負けたというか。例えばオウムのサリン事件や阪神淡路大震災、あるいはアメリカの九・一一同時多発テロもそうかもしれない。人間や世界に起こっているあらゆる事件や現象や出来事といものを語る言葉、いわば合理的にテーマとして語り、解決を語り、正しい真理を語るという、言葉によってそれに太刀打ちできるという戦いに、無条件降伏した、負けた時代だという気がします。
 そのなかで、せめて小さな自分の領域だけを言葉が埋めだす。それは昔の事故言及性そのものの伝統を受け継いでいるわけではありませんし、私小説的なこととも違う。けれども、信じられるものを言葉にすることで、リアリティを持ち得るのが、自分の本当に細やかな身の回りの小さな発見しかないという、そういう言語観のようなものがある気がします。あるいは言葉としての単なる達成というか。




―― 講演
【 八〇年代以後の詩の変容/城戸朱理 】 108

 ●八〇年代という時代
 今の清水さんのお話を大変おもしろくく伺いました。清水さんが語られた「世界に対して言葉が全面的に敗北した」ところに至る経緯みたいなものを遠回りして考えながら、八〇年代以降の詩についてお話をさせていただきたいと思います。

 ●更新される縄文時代 〜すでに殺し合いや戦争があった
 昨日、「詩を語る」として三人の方が順に話されました。そのとき、窓の外の景色が次第に暗くなって見えなくなっていった。それを見ていて、ちょっと妙なことを考えたのです。雪が舞っている秋吉台の山奥におりますと、ひょっとすると大昔にこういうなかで自分が猪かなにかを追いかけていたのではないだろうか。もちろん、ただの夢想です。でも、そのことでちょっと思い出したことがあります。
 それは私にとって大変ショックな発見でした。今年だったか去年だったか、縄文人の遺体が発掘されたのですが、それが他者によって損傷された、つまり殺された遺体だということでした。なぜ、そのことで私が驚いたのかというと、実はこれまで縄文人が互いに争った跡がないと言われていました。つまり、縄文時代には人間同士の殺し合いや戦争がなかった。日本における縄文土器の一番古いものは、炭素測定法で計測すると約一万年前で、最後の氷河期であるヴュルム氷河期が終わったころの、世界最古の土器文化になるわけです。稲作が伝播して弥生時代が始まるまで、人間が争わずに何千年かを暮らしていたのかという思いがあったわけです。
 ところが現実には縄文という時代は大変厳しい時代で、平均寿命はおそらく三十歳に達していないだろうと言われています。人間を自然界に投げ出すと、寿命は大体その程度だそうです。それが稲作というエネルギーのストックを人類が発見してから、寿命自体も変化してくる。ところが、エネルギーのストックが起こると、そのストックを簒奪するために戦争も起こり得る。そう考えますと、縄文から弥生の変化というのは、大きな意味で、近代以降まで繋がってくることの発端だったのではないかと思っています。

 ●様々な形のエネルギーと奪い合い
 エネルギーには色々な形があり、かつての奴隷も人的なエネルギーでしょう。食物も我々の体のなかでエネルギーに変換されるものです。そのようなエネルギーを求めて他者を征服していく大航海時代が、十五世紀終わりごろからヨーロッパを中心に起こってきます。当時、ポルトガルの国民詩人ルイス・デ・カモンイスが「ウズ・ルジアダス」という長編叙事詩を書いています。ポルトガルの詩人にとって、彼をいかに越えるかがそれ以降のテーマであったという話を読みまして、ぜひその作品を読んでみたいと思っていましたら、二〇〇〇年に白水社から翻訳が出ました。
 読んでいるうちに大変嫌な気分になりました。もちろんこれは翻訳ですから、原語で読めば韻律になにか素晴らしいものがあるのかもしれない。けれども意味だけを追っていくと、ポルトガルがいかに第三世界を征服していくかということを称えた叙事詩という側面を持っているわけです。やはり私は、そういうものをもろ手を挙げて文学テクストとしていいものだと評価することが、どうもできない。
 考えてみますと、ヨーロッパはその後もそういう動きをどんどん拡大していき、産業革命以降、世界をある程度征服していく。そのなかで、やはり大きな変化が起こっていくわけです。例えば、十九世紀以降にある哲学が一つの完成をみたという時代がありました。「これからは世界を解釈するのではなく、世界を変革するべきだ」と語っているのがマルクスです。それで社会主義革命とある資本主義の共存が二十世紀に実現したように見えます。けれど、これは考えようによっては同じものの裏と表だったのかもしれないと思うところがあります。

 ●二十世紀の流れ
 二十世紀の流れを、ある側面から語らせていただきます。一九〇一年にマルコーニが無線通信に成功し、これが後のラジオ放送、さらにはテレビに発展するわけです。一九〇三年にはライト兄弟が初飛行。こういった形で我々の生活を支える基本的な科学的発明が、二十世紀初頭に超こってきます。

 ●「T型フォード」 〜労働作業のオートメーションと「超」大量消費社会のクラクション
 もう一つ大きいのが、一九〇八年、「T型フォード」と呼ばれる自動車の生産が開始されます。ヘンリー・フォードという男は、労働者に当時五ドルという通常の倍の時給を払いました。そして労働作業をオートメーション化して、労働者が二カ月分の貸金で買える自動車を作り始めたわけです。つまり、お金持ちが買える商品ではなくて、自分のところの労働者自体を消費者に位置付けるという革命的な商売の方法を考えました。そのため、この事は売れに売れて、当時一五〇〇万台も売れたそうです。これが二十世紀におけるハイパー・コンシューマリズム、超大量消費社会の最初のメガ・ヒット商品ということになると思います。

 ●一九二〇年以降のアメリカ 〜自動車、家電、通販やローンの普及と経済システムとの連動
 一九二〇年代のアメリカは、自動車普及率がすでに八二%に達していました。これは現在の日本の単身世帯を除く普及率とほぼ同じです。当時、アメリカの電化率は七〇%に達し、広告産業が大きく展開すると共に、冷蔵庫や電気掃除機などの家庭電化製品が発明されました。同時に通販やローンなどの販売システムが生まれます。さらに第二次世界大戦以降は軍隊のシステムを企業に応用して、ピラミッド的な非常に効率がいい会社経営の方法を作り出します。
 こうして一九五〇年代には、人口は全世界の六%にすぎないのに、物資は全世界の五〇%を消費する国になりました。それに追随したのが、いわゆる先進諸国で、日本もそこに参画していくわけです。今日では、我々も含めて世界人口の二〇%の先進国の人たちが、全世界の八〇%の物資を消費していると言われています。

 ●「生」をうみだすシステムと「死」をうみだすシステム 〜資本主義と社会主義
 このような動きが、ある極端な頂点を迎えたのが、日本の一九八〇年代、バブル景気と言われた時代だったかと思います。同時に、一つ前提をおくとすれば、アメリカの作り上げた大量消費社会は、より多くの人が生きて行くためのシステムではあるわけです。ただしそれは自分の国に対してで、これは大量の生をうみ出すシステムと言っていいと思います。一方、それに対立するかのように見えた社会主義国家は、ソ連が強制収容所で二千万人の死者を出したように、大量の死をうみ出すシステムとして機能し始めました。この大量の生と大量の死という裏腹の動きの過渡期のなかに、二十世紀というものがある。そしてそのシステムの完成がまだ現時点でも起こっていないのではないかと、私は考えています。

 ●八〇年代の特徴 〜過剰な「性」の告白を誘引したもの、それと抑圧や圧迫
 大量の生を生み出すシステムのなかでは、同時に生の根源である性的問題が過剰に告白される社会になります。それが先ほど清水さんがおっしゃった、山田詠美さんや内田春菊さんの作品の背景になっている問題ではないかと思います。同時に八〇年代の詩の世界でも、そのことの反映のように、八〇年代前半が特にそうでしたが、女性詩の華々しいブームの時代がありました。
 同時に八〇年代においては、ある経済の動きのなかで、文化領域が社会の狭い所に追いやられていくような、ある圧迫感が非常に強かった。これは今日、清水さんのお話をうかがっていて、なにか大きく甦ってくるようなところがありました。私は一九五九年の生まれですから、八〇年代は自分の二十代と重なります。二十五歳のときに最初の詩集を纏めました。そうしますと、八〇年代が詩を書く者にもたらしたある種の極端に強い抑圧と圧迫というものは、それは、ある大量な生をうみ出す資本主義のシステムというもの、それ自体が自立的に動き始める瞬間があるのだろうと思うのです。

 ●ディドロ効果
 経済学者がディドロ効果と呼んでいる経済原則があります。ディドロは一八世紀のフランスの思想家です。あるとき彼は友人から新しいガウンをプレゼントされました。大変気に入って毎日着ているうちに、身の回りの家具などが非常にみすぼらしく見えてきた。それで机を買い替えたら、古い椅子が合わないので椅子も買い替えた。そうしてあらゆるものを買い替えて、気付いたときには最新流行のスタイルの部屋のなかで、新しいガウンを着て居心地悪く座っている自分を発見した。これをディドロ効果と言います。つまり、なにか一つを新しくしてしまったがゆえに、ほかのものまで全て買い換えてしまわなければならなくなるような、そういう強迫観念です。

 ●資本主義/大量消費社会 〜新たな欲望を喚起するシステム
 資本主義のなかで過剰に生きることを保持しようとするシステムが、大量消費のなかで機能したときには、より過剰な欲望が常に生産されていく。一つの欲望を満足させる過程が、必ず新しい欲望をうむと言っていいかと思います。

 ●バブル時代1 〜世界の12%の金が東京周辺に集まっていた
 そのような時代を迎えたときに、八〇年代後半のバブル景気という時代は、今でこそ非常に遠い幻影のようにも見えますが、世界で流通するお金の二五%を日本が動かしていた時代でした。東京は日本の経済活動の五〇%を担っていると言われていますから、実に世界の一二%のお金が東京周辺を動いているという、とんでもない状態だったわけです。
 そうした中で、あらゆるものが作り変えられ、町の様相が日々変わっていく。そのときに、知的な領域、文芸領域や思想の領域が、そのように変化していく世界に対峙する言葉を失いかけた。世界の表層とどのように戯れるかということを主題にした時代があったように思います。それは、清水さんがお話しになった、世界を語る言葉を失ったがゆえに、ある小さな領域でしか小説世界が構成されなくなっているという状況と、ある意味でパラレルな現象だったかもしれません。

 ●バブル時代2 〜象徴的な作品『Ç考/伊藤比呂美』
 その時代の感覚を非常によく表現していると思われる詩が、女性詩ブームの立役者の一人でもあった伊藤比呂美さんの「Ç考」(『青梅』集英社)です。セディーユというのはフランス語のアルファベットにつくと発音や意味が違ってくるというものです。この詩では東京弁のことが語られます。もともとの東京弁では「し」と「す」の区別がつきません。サケのことをシャケと発音します。それが本来の古い東京弁の発音です。

 『Ç考』

 (略)
 〔Ç〕という音があった。
 音韻体系の一つとしてあった音がしだいに失われ、この土地の方言として残った。
 この土地は繁栄する都である。人々は周辺の地域から絶えず入りこみ、文化はさらに複雑になる。
 方言としての音すら、人々はしだいに失っていく。
 わたしの母。わたしの伯母。わたしの叔母たち。わたしの祖母。母方はみなこの発音を残す。八〇で死んだ祖母六〇の伯母五〇の叔母たち。彼女たちの間に最年少の女としてすわり会話を分けあうとき、その発音がみみざわりである。彼女たちはひんばんに発音する。耳障りではあるが、そのように感じるということ、つまりその発音をききわけることがわたしにはできる。
 今の人々はこれもできない。周辺から移り住み移り住み、〔Ç〕は掻き消された。

 (中略)

 喉を締め息をころし歯の裏へ舌をあて隙間をつくり歯と歯をこすりあわせる半開の鼻音、そういうびみょうな操作をほどこさなければならない音が失われていく。
 かすかな息づかいの音が失われていく。
 かすかな息づかいは、美ではなくなってしまった。
 顔をよせて、息を洩らし、感情をつたえあうことを、美ではない、とした。
 そのような文化に移っていく。そのような人々の感覚膚に移っていく。そのような人々があらわれ多くなり、友人にあらわれ恋人にあらわれる。ききわけることはできても、〔Ç〕を発音することはわたしにはできない。

 これは、ある一つの「し」と「す」の間の音、東京弁のなかに残っていた音を巡って、その昔が失われていく過程のなかで文化の変容というものを語りながら、同時に自分の母系のなかに連なる自分自身の血を確認していくという、非常に多義的で魅力的な作品だと思います。

 ●『Ç考』の時代背景 〜資本主義と社会主義の対立が、ながらく人類が共有してきた物語を粉砕した
 おそらくこの作品が書かれたときに、大量の死と大量の生というものに支えられた一つの騒乱の時代に対して、大声で語るべき理念を語ることを信じられなくなった。

 ●反動として「再構築/再生/発見」となる「個人的な語り=ナラティブ」が促される
 そこで非常に細やかな部分になにかを語り出し、世界を語り出すきっかけを掴むという方法が始まった。それが八〇年代ではないでしょうか。

 ●文学的・社会的に差別されてきた「女性」と「共有される物語が破壊された社会」とがシンクロする
 そして、これは女性詩の大きな潜在性としてあったものではないだろうか。それはおそらく、性的な経験を大声で語るより、小声で語られた失われていく音一つに対する愛惜のほうが、実ははるかに深いものだったのではないだろうかという気がするのです。

 ●ユートピア 〜幻想の時代
 同時に二十世紀は、人間が今日明日食べるものにとりあえず思い惑わずにすむようになった、有史以来初めてと言ってもいい時代です。それはある意味、豊かな時代と言っていいと思います。こうして、ある時期まで、未来に希望が抱けた時代、未来はユートピアに次第に近づいていくという幻想を抱くことができた時代があった。

 ●ディストピアのルシファー 〜熱核兵器と死の侵犯
 ところが、文明の発展が人間にとって必ずしもバラ色の未来を約束してくれないという感覚が、次第に強くなってくる。それは二十世紀後半に、熱核兵器との共存という形で起こりました。世界が何十回、何百回も滅びる可能性と我々の社会が同時に共存しているというこの感覚。そのなかで、ユートピアと並存する形で、もう一つの絶望としての世界、ディストピアとしての世界が立ち上がります。このユートピア性とディストピア性が、大きくバランスを取り合い始める。あるいは、互いに侵犯を始めた。それが八〇年代以降の詩の一つの特徴になったのではないかと考えています。

 ●現在の社会状況にも通じる城戸氏の指摘(Q.現代詩、現代小説はどのような反応を見せているのか)
 例えば先の『Ç考』という作品にも、どこか、詩の根本を支える言葉であり同時に音である多義的な言語が失われて世界がフラットなものになっていくことに対する、ささやかではあるけれど、決定的な詩のレジスタンスというものがあったと思うのです。

 ●ディストピア性を謳う松浦寿輝
 ディストピア性をさらに大きく立ち上げている作品として、松浦寿輝さんの第一詩集『ウサギのダンス』(七月堂)の冒頭に収録されている「物語」があります。

 『物語』

 一人称の物語はここで終わる もう手袋のほころびやテーブルの上の焼け焦げをかすめては消えてゆく 曇った眼ざししか残っていない 濡れた壜の口のあたりをたゆたう 倦み疲れた冬の光だけしか残っていない 波のざわめき 鳥の声 石灰がにおう世界の夕暮 書かれたものはもう声にはのらないから「うしろへ」とか「あとで」といったつつましい嘘をひっそり呟くだけだ 「蒼ざめた女の薫る髪」や「唾液に光る山狼の白い牙」を裏側からなぞりかえし 消しつくし 眼前をよぎって無意味に墜ちてゆく濡れた光景から目を逸らすだけだ 寝台の上に降り出す雪の翳った白さに耐えながら 充血した性器を押しひらく 欲望もなく 熱もなく 掃海作業のようにすすむ さめた劇 牛乳がしたたる小さな尻 掘り起こされたばかりの百合の球根 何ひとつ口にせず ただひらいた両手を暗い天候の愛撫にゆだねる 濁った時間 媚薬のように 浚渫機はゆっくりとまわり 静脈のなかに朽ちた溺死者を探す 骨と骨とが響きあう つめたい透視図法 魚のひれ 藻 息 彼は彼女が彼らの 彼女に 彼らを彼と あるかなきかの明るみに目を凝らす 修辞は狂い 構文も曖昧にただよいはじめ よどんだ室内が窓の外に流れ出し すべてが無色に溶けてゆく 手と足は相殺しあい 髪は水にそよぎ 失墜や遭遇や別離といった熱すぎる文字が削り落とされてゆく 歌ってはならぬ楽譜 投げてはならぬ石 揺れる吊り橋 視界を埋めつくす水母の死骸 それは物語の終焉ではなくて 終焉の物語のはじまりにすぎないのか 愛しています あなたを愛しています あなたを愛しています あなたを愛しています
あなたを

 これが処女詩集の冒頭の第一篇に収められた作品です。ここで語られているのは、ある、なにもできない、語れないという不可能性と、何々をしてはいけないという禁忌、そういうもののなかに言葉ががんじがらめになっていく、ということです。冒頭がまず「一人称の物語はここに終わる」です。だから、「私は」と語り出す詩が書けなくなったという、一つの宣言から始まるわけです。

 ●抒情詩の女神エラトー 〜独唱、「私」、抒情詩の基本
 「私は」というのは抒情詩の基本です。ギリシャ神話ではムーサイ(英語でミューズ)と呼ばれる九人の女神が詩を司りますが、そのうち抒情詩の女神はエラトーという名前で、もともとはギリシャ時代の劇の独唱の女神でした。だから一人の人間が歌うもの、これが抒情詩であるという前提で考えていいと思います。

 ●「私」という主体が成立するには
 その上で、昨日の稲川さん、河津さん、松本さんの話のなかで、最後に「他者を意識するかどうか」という質問が出ていました。おそらくその問題と関わってくると思うのです。近代以降においては、無邪気に「私」と語り出したときに、その「私」という主体を保証しているものがなにかという自分自身に対する省察がなければ、「私」というものが立ち上がらない。

 ●欧米における「私」という主体 〜“自覚”と“帰属・従属(他律性・相対性)”との相の子
 これは非常に不思議なことですが、欧米の諸言語では「主体」という言葉が必ず「従属」という意味を孕んでいます。つまり「私である」ということは主体であると同時に、なにかに従属することによってしか「私」でないと考えてもいいのかもしれません。もっと平たい言葉で、他者がいてこそ自己があると考えてもいいでしょう。あるいは、社会化されて存在したときに一人の人間であり得ると考えていいかもしれない。したがって、「私は」と語ることは、常になにかに帰属し従属することでもある。そのことの自覚なしに語られ始めた「私」というものは、近代以前の抒情詩しか形成し得ない。
 稲川万人さんの第一詩集『償われた者の伝記のために』(書紀書林)のなかに、非常に象徴的なパートがあります。稲川さんの詩は一冊のタイトルが与えられた連作になっていて、一篇を紹介することが非常に難しいのですが、ある連だけを紹介させていただきます。

 恩譜谷を予感する昼に
 寒霞渓、
 ということばを見ている。
 犬たちがかすみのなかで
 ひそかに子供をたべて。
 高山鉄道はきょうも事故だった。
 二人の死者が表わされて
 そのひとりをわたくしは知っている、と
 いつも、
 ひとりを知っていると書く。

 ●同一地平に並んでいる二つの経験 〜“現実の経験”と“文字を見る経験”
 これは私にとって大変に印象深いパートです。第一に「恩譜谷を予感する昼に/寒霞渓、/ということばを見ている」という、つまり彼は寒霞渓を訪れているのでもなく、思い出しているのでもない。「ことば」を見ている。その文字の形象を見ている。そのことで導き出されたイメージは「犬たちがかすみのなかで/ひそかに子供をたべて」という、つぎの行に繋がるわけです。だから、ある意味で現実の経験と一つの文字を見るという経験が、ここで同質のものとして立ち上がっている。

 ●「私」の媒介なしに紡がれる詩 〜言葉自体を根源的に経験していく詩作
 この作品は一九七六年に書かれたものですが、八○年以降の詩の歴史を考えるときに、明らかなるスラッシュ(切り込み)がこの詩集から入ったのではないかと、私は考えています。その理由は、言葉自体を根源的な経験として詩というものが立ち上がるということです。その上で、最後に「私」は「ひとりを知っていると書く」という行のなかで表明されているのは、書いている私を無媒介に措定するのではなく、書いている私自体を客観視する。つまり、清水さんが今日おっしゃった、「ある冷えた目」を自らのなかに抱え込むことによって、詩というものを立ち上げるという姿勢だと思うのです。

 ●80年代以降の詩.1 〜アンチ・テーゼ 
 (〜神から削いだ「主体」を「私」と命名《リネイム》したニーチェとの訣別)
 それに対して、先ほど紹介した松浦さんの詩、「一人称の物語はここで終わる」という言葉から始まったときに、その「私は」と語り出す不可能性から、いかに詩が書き得るのかという時代に入って行くわけです。八〇年代的な高度資本主義の経済活動のなかで、非経済活動として詩が社会の非常に狭いところに追いやられるように見えた、そのときに、そのようにして表れる世界の表層に対してどのように言葉を紡ぐか。また、そのような世界に対して、むしろ決定的な世界に対するアンチ・テーゼとして詩をいかに書き得るか。こういう二つの動きが、たぶん選択されたのだろうと思います。稲川さんや松浦寿輝さんの詩は、一つのアンチ・テーゼとして試みられたものと考えてもいいかもしれません。

 ●80年代以降の詩.2 〜スナップ・コピー・複写・転写・対置・並置
 同時に八〇年代後半、北川透さんや瀬尾育生さんが雑誌「菊屋」で、フェスティバル的な祝祭的感覚を学んだ詩の運動を試みられました。これは、むしろ詩の運動を過剰にすることによって、いつもお祭り騒ぎのようになってしまっている高度資本主義社会の日常に詩を対置させて、むしろ社会の写像として詩を立ち上げようという動きだったのではないかと思っています。

 ●天邪鬼の数は変わらない 〜猿社会における興味深い数値“12.5%”
 余談ですが、ある島で猿が掘った芋をそのまま食べていたのに、ある一匹の猿が洗って食べたとします。そうすると、鹿児島でも四国でも東北でも、洗い始める猿が現れるのだそうです。その割合が一二・五%といいます。それを見て同じような行動に出る猿が三七・五%で、あっという間に同じように芋を洗い始めるそうです。これが次第に拡大して伝播していく。ところが、決してその真似をしない猿も必ずいて、その数字が一二・五%。結局、すべてが同じように一色に埋め尽くされていくように見える世界でも、一二・五%の人はあまのじゃくで後ろを向いているのです。

 ●具体例『鳩よ!』 〜行き場の無い詩人《12.5%》
 八〇年代後半にマガジンハウスが「鳩よ!」という雑誌を刊行しました。マガジンハウスは平凡社から枝分かれして、雑誌社としては八〇年代にピークを迎えた会社です。この創業社長が俳句を詠む人で、詩が好きでした。そのために八〇年代後半、詩が社会の外に追いやられていくように見える時代に、コマーシャリズムのなかに流通させる詩の雑誌というものが無理やり企画されたわけです。ところが、そのようにして九〇%弱の人間が飲み込まれていくような動きのなかに一二・五%を投げ入れても、やっぱりダメなんですね。属している世界のコンテクストが全然違うのです。文脈がまるで違う。結局、どんどん詩の雑誌ではなくなってしまいます。そのような八〇年代的な、どうしようもない閉塞感が、今回も色々なお話を伺っていて、自分のなかにとてつもなく甦ってくるところがありました。

 ●80年代後半、詩人の実感
 (〜大きな理念、共有される物語、男性性(的な構造や神話)が失われた後で)
 あの時期は、詩を書いていることを人前で言えない雰囲気がありました。ひたすら隠すようにして自分は生きていたなと思います。おそらくこの時代というのは、先ほど清水さんがおっしゃった、大きな理念やなにかに立脚して男性的に語ることが、どこかで信じられなくなっていった時代である。それと同時に、戦後現代詩というものが持っていた一つの理念が通用しなくなり始めた時代でもあったのだろうと思います。

 ●詩の新たな潮流.1 〜定型への回帰
 そうしたなかで、飯島耕一さんが定型論争を起こした。詩も自由詩も定型がないとダメなのではないかとおっしゃった。現代詩がおじやのように間延びしたものになってしまっている。あるいはゆるんだゴムのように伸びきってしまっている。それで詩に定型が必要なのではないかということを語られ始めた。

 ●詩にとって、詩人にとって「定型」とは何か
 当時、新聞で岡井隆さんとの往復書簡が発表されました。そこで岡井さんが非常に面白い指摘をしたのです。短歌や俳句ではない近代以降の口語自由詩、とりわけ戦後の現代詩のなかにも、詩人ごとに獲得された定型というものがあるのではないかとおっしゃった。そして具体例として、吉岡実さんの「僧侶」や、谷川雁さんが毛沢東に寄せた「同志毛」という作品を挙げました。
 たしかに、五七調でもなければ脚韻や頭韻を踏んでいるわけでもないのに、詩人固有の定型性は書くなかで獲得され得るのです。私がそれを非常に強く感じるのは田村隆一さんの詩です。

 ●作品例『緑の思想/田村隆一』
 田村さんの詩集『緑の思想』(思潮社)の冒頭に「水」という短い詩篇があります。

 『水』

 どんな死も中断にすぎない
 詩は「完成」の放棄だ

 神奈川県大山のふもとで
 水を飲んだら
 匂いがあって味があって
 音まできこえる

 詩は本質的に定型なのだ
 どんな人生にも頭韻と脚韻がある

 非常に鮮やかな詩です。この詩は、冒頭の一行日では人間の生と死を巡る死について語り、二行目では詩が完成の放棄であることを語り、最後の連の一行目は「詩というものは必ず定型のもの」と語ってみせ、最後の行では「どんな人生にも頭韻と脚韻がある」つまり始まりと終わりがあるというふうに語る。論理的に意味を取ろうとすると、なにを言っているのか微妙なねじれがあるのです。

 ●微妙な“ねじれ” 〜こうした対位法的な構造が田村隆一の定型かもしれない
 あえて解釈することはできます。詩というものは未完成のまま、結局のところ手渡さざるを得ない。まったき完成というものは、一人の詩人にとってあり得ない。常に生成してやまないものであるという詩的命題がまずあるのでしょう。同時にそれは、人生に始まりと終りがあるように、頭韻と脚韻という目に見えない一つの形式を持っているのだという主張でもあるのでしょう。そういう非常にねじれた認識を、詩のなかで、矛盾を矛盾のまま貫いてみせて、一つの形を立ち上げていく。つまりここでは、人間の生死を語る行と詩を語る行が一つの対位法を作って、一篇の構造を決定していると考えていいと思います。田村隆一さんの詩は、このような対位法による構成が大変多いです。そういう意味では、これは田村さんにおける定型性と言えるかもしれない。

 ●裸の放浪者たち 〜自由詩とは自らが選んだ形式を脱ぎ捨てながら行く「生き“型”」ではないか
 ところが、岡井隆さんは、なぜそのような定型性を詩人が反復しないのかという問いかけをたてて、その答えを出してみせるのです。詩人というものは同じ場所に安住しようとしない人なのだろう。であるから、それは自らが捨てていくのだ。つまり、五七調の伝統的な短詩系文学や短歌や俳句ではなく、自由詩を選ぶということは、常に自らがそのなかで選び取った形式も脱ぎ捨てていくものなのだ、と。このように岡井さんは歌人の側から詩人を指摘してみせたわけです。おそらく八〇年代的な遊戯性に対して詩の言語が有効性を失ったように感じ、戦後現代詩的な理念がどこかで失効し始める、それに対する一つの危機感として飯島さんも定型ということをおっしゃったのではないかと思うのです。

 ●詩の新たな潮流.2 〜散文詩の勃興
 九〇年代初頭に、もう一つの別の形式が詩の世界で大きく立ち上がってきます。散文詩です。九三年ごろですか、建畠哲《たてはたあきら》さんが『余白のランナー』(思潮社)という非常に印象深い詩集で登場されたころです。「現代詩手帖」の作品特集などを見ますと、執筆者の七割もが散文詩形を採用している。明らかに散文詩の時代でした。

 ●散文詩とは何か 〜直喩でも暗喩でもなく「換喩的」な詩世界の隆盛
 では散文詩とは何なのか。この間題は常に物語性とも関わっています。明日の「物語の殺し方」というテーマのなかで、講師の先生方が話してくださるのではないかとも思うのですが、散文詩ということを一言で乱暴に語るならば、詩の方法として直喩と暗喩というやり方があります。
 
 1.直喩
 直喩は、例えば「星のような瞳」というような言い回しで、なにかをダイレクトに別のものと接続する。
 2.暗喩
 一方の暗喩は、戦後現代詩をある程度特徴づけた方法の一つですが、直接性なしに語られたものがなにか別のものを表すという方法です。このこと自体は、十九世紀フランスで生まれた象徴主義の技法の、日本語への輸入と考えていいと思います。ただし、なにかに託して暗に語るというのは、世界の詩を見渡しますと、かなり古い時代から存在しているのも事実です。
 3.換喩(応用形→散文詩)(※1)
 この直喩や暗喩という方法に対して、散文詩を方法として語るなら換喩《かんゆ》の技法と言っていいかと思います。それはなにかを示すのではなくて、なにかを入れ得る入れ物を示すことだと、とりあえず説明してもいいでしょうか。例えば、お水が欲しいときに「コップも一つ」という言い方をする方法。つまり、私はなかの水が欲しいのですけれども、水を指示するためにコップを指差すような方法です。
(※「1.2.3.」はbiboによる振り分け)

 ●世界に対して敗北した言葉/詩人の退却の場としてあったであろう散文詩形
 なぜ九〇年代初頭に、直接性を帯びた詩の言葉ではなく、別のものでなにかを代理表象する方法が選ばれなければならなかったか。これはある意味、清水さんが語られた世界に対する一つの敗北の形だったのではないかと、今日思いました。そこで一つの退却場所として、ひょっとすると散文詩形があったのではないかと強く思いました。
 では、結局敗北し続けるしかないのか、という問題が当然問われるべきです。

 ●濃灰色の中間領域 〜1995年以降の詩流
 詩の重要な関節の接続が一気に外れてしまった感覚が、九五年を境に大きく見えてきたように思います。九五年は現実に、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件という、それまでの世界の存続の関節が外れてしまうような出来事に見舞われた年でした。そのようななかで、代替物として散文詩形でとりあえず退却の場所を確保すること自体までもが、なんのリアリティも持たなくなったような時代が来たのではないかと思うのです。
 未来にユートピアがあるとは信じられない。かといって、ディストピアとしての絶望を語っているだけというのも安易にすぎない。そのなかで、単純に絶望や希望のどちらかに加担をするのではなく、どちらもが侵犯しあってバランスを取り合うような一つの世界認識からしか、もう言葉が紡げないという状況まで、ある種追いやられたように思います。

 ●象徴的な詩集『LONG RELIEF/松本圭二』
 その感覚は、大変内輪話的な形で自作解説をされた松本圭二さんの第一詩集のタイトル『LONG RELIEF』(七月堂)という言葉に表れています。表題作も同じタイトルです。どこかで、今、ユートピアとディストピアが侵犯しあっていく感じが、そういう作品のなかに非常に強く、私などには感じられたときもありました。

 ●90年代に浮上してきた詩の内部における「物語」の諸相
 そういうなかで、散文詩が持っている物語性と散文詩形は必ず通底した部分を持ちます。ただし、そこに物語を語るとすれば、小説の領域への越境になるわけです。そうすると、そういうふうに物語を脱臼させるか。あるいは、物語のように見えながら、いかに物語を回避するか、という問題が問われるようになります。つまり、世界に語り得る物語があるのではなくて、物語の断片が散在しているような状況を詩がどのように写し取るかという問題が、おそらく九〇年代を通してクローズアップされてきたと思います。

 ●孤島の詩人《おに》として生きる 〜言葉で汲めない世界《グレー》を前に
 結局、ユートピアとディストピアという侵犯の仕方のなかで問われる問題として、希望を語るのでも絶望を語るのでもない、にもかかわらず世界は目の前にある。この世界というものは、語り得ないものとして言語表現に対する完全な勝者として存在している。そのときに、どのような形で詩を紡ぐことができるのか。これは、九〇年代後半以降、詩人が各自で模索中の問題ではないでしょうか。結論はそれぞれの人が出していくしかないわけです。   

 ●詩『人類の投獄/國米隆弘』
 ここで、今回のセミナーに受講者として参加されている國米隆弘《こくまいたかひろ》さんの詩を紹介させてください。詩集一冊分の原稿をお持ちだったので見せていただいたのですが、非常に印象深いものでした。

 『人類の投獄』

 聴いてくれ、四隅がおれの世界だった。何もかもが一切の過剰に因って埋め尽くされ、一切の過剰に因って保たれる。空しい錯乱状態の疲労と桃源郷を信じて止まない人々の象徴とも言える涙が恋愛を逆説的に語る困惑を。たかがそれだけとせしめたおれの生命の初心さを。理想とはかけ離れた現実の頂から見たのは、因縁じみた遊戯以外の何物でもなく、金属膜を張巡らせた硝子から来て見つめていたものは、倣慢な三文役者が挙って競い合う何様気取りの劇壇だった。そこでは涙は永遠の引潮のように思われ、負の感情は、かつての古代人の腹を拵えさせた、月の堆積物さながらに取り残される。
 おれは感情にも習慣があることを悟った。昨夜も今日も明日も必然な星彩は、本来あるべき格差をも感じさせずに、おれから飾り気のない興味を抱かせてくれるのだが、何と酷い、地上には格差が生じたものか。まるで、一部の者にだけ秒針が与えられ、秒針は丁寧に装飾された盤の上を滑らかに進んでみせるのだが、一定の時を告げると、案の定、鳩は外へ出て、埃の被った小さな木箱と与えられた制約の中で懸命に動いてみせる。鳩は外界を傍観することでしかなく、秒針が振られれば、再三、陰気臭い木箱の中で、次の出番を待たされる。それが恰も正当な、精巧な、仕組みと成り、遣り水の流れをどうすることも出来ない、ごく当然な不変たらしめる。そのくせ、異様な権力と派閥が生活の軌条に置かれ、善悪も平然と擦れ違う処で、如何なる真実をも見せろと言う始末だ。 ―― なら、四隅がおれの世界で鳩の鳴き声を聴けば、彼らの幸せに脆き、撥条(ぜんまい)に限りあるまでは、彼らの満足に感心もしよう。若しそれで、蔑みもなく、膿しさも卑屈さもなくなれば、多少は救われることもあるだろう。そう言って、おれは裏切りと牢獄に射し入る魂の片鱗を見出し、いつ何時もこれを忘れたことはなかった。四角く錆びた鉄の枠に囲まれた黒淵の世界から、しらじらと夜が明ければ、白く塗られた混凝土の僅かな斜面にも確かに陽は昇ることを。油脂のように鬱積された、最も敬遠されるべき制約からの解放には、最も優れた自然摂理の洞察力が必用だということを。
 確信的に煉られた機械仕掛けの器におれの日が輝かされた例はない。それを悠長に哂った、お前たち、多くの民衆は、一日でも静穏が訪れるべきことを祈るように、どうしてこれらを偽れる? 誰もに存在しうる世界は極めて短い極限の連続で、その観念を翻すことなど素面の誰に出来うる?  ―― 祭祀だ、祭祀を興せ、お前たちの血が燻るなら、土臭い祭祀を興せ、捕らわれの過去から隠遁するのもいいだろう。それなら先ずは、御宮で水を汲め。権現が好んだ水を汲み、さも浄化された気で、近代都市から遠ざかれ。頂上を執拗に気にかける者なら、潔く冒涜は止めた方がいい。敬虔な浪漫主義者、偏屈な啓蒙主義者は、忌まわしい昨夜の逃走劇を思い起こせ、凡庸と陳腐の毒箭を放った、一部の犯罪者に肥える土壌があったかを。
  ―― 長き沐浴を終え、頂と頂の間に架かる橋、こうして、おれは奇跡的な五感に平伏した。

 ●読解1 〜不可能性における言葉/詩作の方法
 國米さんは今、十九歳だそうです。この詩集一冊分の原稿は、この数カ月で書き上げたというので、大変感銘を受けました。この詩で語られていることを具体的に一行ずつ追って解釈していくことは、本来の詩の読み方ではありません。ただし、今、音読しただけですので、みなさんには少し分かりにくいところがあったと思います。あえて、不必要であることを承知した上で、試みさせていただきます。
 まず冒頭の「聴いてくれ、四隅がおれの世界だった」というのが非常におもしろいのは、世界というものが広がりのなかにない。ある閉塞された隅にしか追いやられていない。同時にこの隅というのは、後で登場する鳩時計とイメージ的には重層化するようです。鳩時計のなかに囚われた鳩の独白としてこの作品を読むこともできるかもしれません。その場が捉えた現在の社会や世界というものが、このように見える。つまり詩的主体である私は、ここで鳩時計の鳩になって時間と世界を考察していると考えることもできます。同時にそれは牢獄であり、タイトルが「人類の投獄」ですから、人類がそのような箱のなかに封じられているのではないか。そういう多重性を一篇の詩のなかで仕組んでいく。
 最後の「長き沐浴を終え、頂と頂の間に架かる橋、こうして、おれは奇跡的な五感に平伏した」の部分は、単純な鳩時計のなかに封じられた主体、あるいは箱の中に封じられた人間という言葉から別の世界への接続の、可能性と言うとちょっと違う気がするのですが、一つの試みの貫きとして存在しているように思います。
「頂と頂の間に架かる橋」は、この詩篇ではブリッジの橋が選ばれていますけれど、「はし」とは一対のものの両端を表す言葉です。そういう意味では、神事に用いられるお箸は両端が同じように尖がっています。お茶事の会席で用いられる利休箸もそうですが、取り上げて片方を食べ物につけた途端にそれが先端になり、片方がもとになるという構造を持っています。つまり、世界のあちらとこちらを受け渡すもの、それが「はし」です。そのような「はし」として、頂きと頂きの間になにかを受け渡すことができるでのはないか。そのような五感=感覚の錯乱に対しての、ある信頼を語っているというふうに読めなくもありません。もちろん、こうした解釈自体が極めて野暮なもので、國米さんの作品は國米さんの作品として皆さんに見ていただける日が来るのではないかと思っています。
 この詩に表れてくる感覚というのは、これまでお話をしてきたような、世界を世界として丸ごと語り得ない、世界と詩的主体の私というのが、私と語り出して健やかに拮抗し得ない。そういう不可能性のなかで、世界のなかにどのように言葉を織り込んでいくことができるかという一つの無意識的な方法を、大変若い詩人が示してくれているのではないかと思います。

 ●現代の「私」〜資本主義/市民社会の「主体」は「他者の欲望」に根ざしている
 現実の問題として、私というものが健やかに私と語り得ない。ベンヤミンというユダヤの亡命哲学者は「幸福とは恐れもなく自らを見つめ得ることだ」と語っています。しかし、自らとは何なんだろうと振り返ってみたときに、自分などは大変に薄ら寒い思いしかしないわけです。むしろ近代は他者の欲望を内面化することによって成り立っているのではないだろうか。例えば広告産業は、別に私が欲しくもないものを常に宣伝しています。それは誰かが欲しているものかもしれない。けれどそれを見続けるうちに、それを自分も欲しているのではないかと錯覚していく。資本主義のなかにおいては、そのような欲望のインテグラルを形成するものとして、他者の欲望が内面化されていく。
 あるいは近代以降の市民民社会の成立という問題を考えると、他者と自己の間のルールがなければ市民社会は成立しません。そのルールを成立させる要因は、誰かにとって不快であることを排除していく。誰かが求めないことを行為しないこと。言ってみれば、他者の欲望を内面化することです。そのように、ふと気付くと、近代のなかで自己は他者に浸食されて、いざ自分がなにかと削ぎ落としていったときに、主体として立ち上がるものが見つからない。

 ●再確認 〜「私」は“世界”に直面した“自意識”に生じるという原理
 現実には、私という主体は、私という主観より先に存在することはありません。五感のなかで世界というものに対峙してそこで形成される主観というものが、世界認識を構成します。その構成された世界認識から逆に導き出されるのが、私という主体なわけです。

 ●算出エラーをはき続ける公式 〜「私とは?」「私とは?」「私とは?」
 その私という主体が、先ほど稲川さんの詩を例にして語ったように、私とは何なのか、私はなにをなそうとしているのかという自己推察なしに語り得なくなった。これが近代以降の詩の問題であり、あるいは近代以降の人間という存在の問題だろうと思うのです。そのことが一九八〇年代後半以降のいわゆる高度資本主義と、それに伴う高度情報化社会の実現の中で、さらに食い荒らされてしまった。「私」と語り出すときの私の内実が、そのときにどのように問われていくのか。

 ●読解2 〜自己と他者の区別がない詩的主体、現代自由詩のアプローチ
 國米さんの作品のなかでは、無媒介に措定されている私は、実は存在していません。「聴いてくれ」という言葉から始まりますから、あたかも詩的主体である私が読者に向かって呼びかけているように聞こえますが、この詩的主体自体がもう世界のなかに盛り込まれてしまっている。つまり、ここでは自己と他者の区分がない。そのようななかで、世界というものがこれだけ見えないものになったときに、なおかつ抒情詩というものを書き続けよう、「私は」と書き続けようとしたときに、結局問われるのは、世界と自己をどう再組織化するかという問題だろうと思います。このこと自体の総体が、おそらく今、各自の詩人によって試みられている現代自由詩なのではないかと考えています。

 ●「聖−歌章/稲川方人」 〜予測のたたない時代の「私」の再構成、その実践例
 そのなかで、昨日、稲川さんが朗読された「聖−歌章」(※このエントリー上部(▼)に引用)という作品があります。その05番を見たときに、最後になにを語ったらいいのかが少し見えたような気がしました。今、未来がどうなると語り得ない、同時に未来に希望があるとも語り得ない、ユートピアとディストピアというものが侵犯し合うようにして、自己と他者が審判しあうようにして、なにか不分明なもののなかに世界が投げ出されたときに、旧来のようにマスタープランによって決定され、こうすればああなるという予測がまったくたたなくなったのです。そういう意味では、絶えず変容する世界と自己というものを参照しながら、新しい自己組織化を行っていかなければいけない。

 ●免疫系をヒントに 〜絶えず変容する自己を参照しながら自己組織化していく動的なシステム
 実は、人間の体内にこのシステムがあるのです。それは免疫系です。免疫系は、脊髄で作られる一つの細胞が必要に応じて赤血球になり白血球になり、攻撃細胞になり、というふうに変化していきます。つまりマスタープランの遺伝子が決定することによって変化するのではなく、必要に応じてそれぞれが変化していく。これを免疫学者の多田富雄さんは「絶えず変容する自己を参照しながら自己組織化していく動的なシステム」という捉え方をして、スーパー・システムと名づけました。そのようなスーパー・システムとして、世界と自己の関係を問い直すところから、新しい詩が立ち上がる必要があるのではないかと考えたのです。

 ●読解「聖−歌章/稲川方人」
 作品05について、ご本人を前にして言わずもがなの注釈を加えるのはためらわれますが、あえて語ってみたいと思います。
 最初の「死んだ眼は見るだろう」とは、聖者が見るのではない。ここではある意味、主体としての私が見ることの無効化された時代が表明されているのかもしれません。同時に、生きている間だけが活動のすべてではない。ある詩の言葉の、別の時間、過去と未来が現在に折りたたまれているような時間のなかで立ち上がった一行だと考えることもできるかと思います。稲川さんの第一詩集の冒頭が「まず死者が棚を濡らして過ぎていった」という、非常に印象深い出だしですが、それを連想させるところがあります。
 同時に、眠が見るのは「いくつもの恒星が集まる十光年の星団」、これは十光年ですから十年前に発された光であって、今その星は消滅しているかもしれない。さらに「サイレンの鳴りわたるあの乾いた地下水道の壁」、これは具体的で現実的な、ある種の我々の日常生活に連続した風景です。つまりこの二行で、あるマクロからミクロ、あるいは日に見えない一つの時間から現実というもののなかに、「死んだ眼は見るだろう」ということで、これらの死がなにを語ろうとしているのかという、時間と空間の設定がなされていると思います。
 そして語られる祝婚の風景は、必ずしも幸福の相を帯びているわけではない。とりわけ「父母も兄も、望む者すべてが甦る小さな土地の家に着くのだろうと」というところで、「望む者すべてが甦る」という言葉には、なにが甦るのかという目的格が、あえて表明されていません。しかし、「甦る」という言葉で、なにか失われたものがここで回復される可能性があるのだろうかという多義性を帯びます。同時に、「望む者すべてが甦る小さな土地の家」という言葉は、どこか、そこが辿り着くべきある種の切り取られたユートピアという相も、一瞬帯びて見えます。では、この作品が、ある希望としてのユートピア性を語っているのか。例えば「人々の手のロザリオの糸が引きちぎられた」、あるいは「狂ってゆく破局に二度と恐れまいとし」という言葉から連想されるのは、もっと危機的な状況のなかで、ギリギリの絶望と自己の存在をはかり合うような姿ではないかと思います。
 その象徴的な一行が「それぞれが生まれたときのすがたになった」です。裸であること。吹きっさらしの世界のなかに、何の防備もなしに立ち続けていること。これは昨日、稲川さんが質問の最後に語られた、人間というものが今、どれだけ危機的なところに追いやられているか、そのことの詩的な表明と考えてもいいかと思います。
 しかし、そのなかでも時間は経由していくわけです。それが例えば「次の駅もまた次の駅も見えて」という、視線の移動の可能性による時間軸の経由で表明されます。そしてそれが「深い山脈の夜へ入って行く」。このなかで一つの祈念のように「聖なる彼方を」「その『彼方』を」という言葉が繰り返されていきます。ところが、「その『彼方』」が求め得られるのは「夢にさえ届くことのない楽園」。
これは、楽園として存在しているのか、いないのか、もう分からない。
 このように、この作品では、ディストピアとユートピアが浸食してはかり合うような場所で、世界とどう向かい合うのかという間題が試みられている。

 ●二つの方法《アプローチ》 
 (〜「時代や世界はおろか自分ですら明確な存在ではない」×「強烈な明暗に彫《え》られるヌード」)
 そうしますと、國米さんの作品に見られた、自己と世界の関係を無媒介に、自分に対して世界が存在していると想定するのではない方法。あるいは稲川さんの作品の、自己と世界の関わりのなかで、絶望や希望が片方に加担し得るものではなく、互いにその深さをはかって深め合うようなものとして、裸の存在としての人間というものを露わにしていくような方法。そのような形で様々なことが、今まさに試みられているのだなと感じています。

 ●むすび
 今日は講師として客観的な話をしなければならないようなので、自分の詩の話はしませんでしたけれども、自分自身も試せるものを試せる限り貫いていきたいと思っています。まとまりのない話ですが、川口晴美さんから以前「城戸さんの話は支離滅裂ね」とお墨付をいただいていますので、このまま終わらせていただきます。




bibo ―― 大量消費化以降の社会に暮らす人間の有り様は、「私」という主体を構成する要素の「他律性」「依存度」「外的成分(非自意識的/非自発的な要素)濃度」の比率が大変動したのではないかという指摘。
経済先進国に生きる人間(主に都市部でサラリーを得ながら暮らす人々)は消費社会に消耗し、疲弊し、潤いを減らしてきた。ここではそのような「人間」が、おなじように損耗した「人間」と関わるしかなく、また混迷と停滞感を色濃くした「時代」背景もあいまって、人の有様はそのバランスを変化させた。
「人間哲学、社会思想、理想や願望、人生指針、宗教性、倫理観や道徳」の効果や威光は薄まり、人間は時代も自分も将来も信じられなくなってきている。このようにグレーな社会状況・人間心理にあって、安易な依存ですら自己を確かにはさせない。寄りかかる他者/共同体/上位・外部的なサークルにしても土台や基礎、壁をぐらつかせ不安定な状態に喘いでいる。
神が居れば神に詩を捧げられた/不満をぶつけられた。
抑圧的な社会や体制が強権を振るっている時代ならば、抑圧される人間が受けるストレスが致死的な量であるかわりに「自己」の強度は揺るぎないものになり、闘いに向かえば存在意義も将来性も感じ取れた。そこでは自分を疑う暇などないし、体制側の人間は敵として明らかで、そうでなければ同じ苦しみや悲しみといった現実(強度の高い物語)を共有する同士だった。親も子も豊かで確かで伝統的な文脈を分かち合う血の通った繋がり ――
いまや主体は自意識の内部ですら分裂し、ばらばらになりながら行き場を失い、他者もおなじように戸惑い、まとまりを欠き、社会もまた行き詰まりを隠せない消費型の方向性から後戻りできず、予見される鬱屈した将来に突き進むことを止められないでいる。おそらくは、こうした悪寒を多くの人間が察しているので、ここをきっちり指摘/引責したうえで話されない政治家や官僚、学者の言葉が空々しく聞こえ、うんざりした気分が蔓延する。
軽薄な時代であればその喧噪と戯れ、一方で濃くなった影に自己を投影することで抒情詩を紡げた詩人たちは、おおよそ確かめ得ない「自己/主体」に根ざすでもなければ、敵対関係すら結べない時代や社会を向うにまわす旧来の構造は無効化して久しく、なにをどのように書くか、どこへ向けて誰としてどのように語るかが問われている。



―― 対話
【 城戸未理×細見和之 】

●「言葉の敗北」とは共通見解として有効なのか
細見 ―― 「八〇年代以後の詩の変容」ということで、女性詩の問題や、一人称を疑うところから始まる詩や、定型論争、九〇年代以降に散文詩が非常に多くなっていることなど色々な話がありました。
 清水さんの話からそのままきている問題ですが、一つ気になったことがあります。
 清水さんが、ある時期言葉は現実に対して敗北したとおっしゃった。城戸さんもあるところではその認識を共有している形で語られていました。ある意味、変な話だなという気がするのです。つまり、現代詩をめぐつて集まって議論している、その場所で、我々は敗北したということを皆で確認しているのだろうか、ということです。言葉が現実に敗北し、圧倒されていることがないかのように振舞うことの欺瞞性はあると思います。同時に、絶えずそのことを共通了解にして、ある意味、解散集会をしているようなイメージもちょっとありました。しかし最後のほうでは、それに対するポジティプな可能性としていくつかの作品を読まれました。そこの繋がりの部分、ある意味では共有せざるを得ない敗北という言い方と、それぞれの方法でやっているということを繋ぐような話をしていただけませんか。

城戸 ―― 実は、敗北したことを共有するところから話し始めたほうが、話が綺麗に繋がるかなと思ったのです。
 今の話で思い出したことがあります。散文詩は、詩ではあるけれども形式的には散文と同じように、ある物語性も帯びていきます。その散文詩が増えていったときに、藤井貞和さんが「散文が詩として選ばれている」という言い方をしました。詩が書かれている、というのではない。どうも飯島耕一さんが定型論争に至るまでの経緯のように、詩が、どうも旧来の理念では書けないのではないか。詩が書けないのなら散文を詩と呼ぼう、というくらいの退却した場所というものがあったと思うのです。そういったところからは、やはり先がなかった。その間題自体が今日、我々が提唱すべき問題として続いていないと思うのです。




bibo ―― どうしても何かを「負け」とするなら、それは書けなくなった一詩人が負けただけで、そもそも勝敗的な見立てはナンセンスだし、「勝ち負け」なんてそれこそ「物語《ストーリー》」に他ならない。「いまや時代が無い、時代から物語がなくなった、言葉は、詩人は負けた、あったものが崩れて言葉が負けた」みたいな言い方が物語のテリングだということ。
どれもこれもストーリーを語りたい(そうであると認識したい、させたい)という欲求・要望の表れ。
もちろん急にこういう話があちこちから噴きあがるんだとすれば、その背景にはそれまで長いこと機能してきた文脈や神話、ストーリーが不全に陥ったり、機能を弱め、もしかしたら失効した(しそうだというオブセッション)転換点以降の時代《ターム》があるはずで、「物語は語られ続けている。だが、内容が違うんだ。これまでは宗教や倫理、道徳といった人間が紡いできたストーリーだった。価値観や生き様、階級や地位といった役割に応じた規範だった。しかし、それが機能しなくなり、失われ、かといって新たなシナリオが用意されているかといえばそうじゃない。手探りのなかで見つからないものを探すのか、そんなものはないとして生きていくのか、どちらがいいかも誰もわからない。物語は語られている。しかし、これまでのように同時代の多くの人間には「共有されない/されえない」ストーリーかもしれないという特徴があるんだ。問題はこの点だ」という話しだ。
かつ、それがどのような物語であろうと(「有効・無効/個人的・集団的」のどちらにどれだけ偏ったストーリーだろうと)現代は「磁場がない/集団を作り得ない(得がたい、実効性・有効性が低いetc)」ので共有は難しいだろう。超資本主義以前のような物語の力や機能が発揮されないだろう」と。

「(かつてのように人々を結び付け、信じさせ、前に進ませる)物語が失われた」と声高にいわれる時代の文芸には(というか、人間が物を書くようになってから、おおよそ社会および人民を束ねる物語が機能し切ってた時代なんてあったのかという疑問と、あったとしたって失われるまえでは詩人・小説家のくせに大前提となる物語に依拠しながら書いてたのかよ(詩や小説が必要か? 教育的・訓告的・啓蒙的なつまんねえ作品しか思い浮かばないよ)という疑念と、どんな時代にあったってマイノリティでありアウトサイダーだったから書き物なんてメンドクサイことやらなきゃならなかったんだけどな・・・・・という立ち位置で生きて書いて作品をやってきた人にとってみたら「今更なにうろたえてるんだよ、おまえら平和ボケだな」と呆れられたんじゃないのかという思いと)、あらたな形式が模索されたり、原点(旧式・伝統的・原型)への回帰、「私」への拘泥や執着を見せるナラティブの出現が見られるだろう。
時代を読みながら書くインテリ系の詩人や、アカデミズムに拠らずとも個人的に社会状況を見つめながら詩作する書き手は、無条件に「私」と詩を書き始めることに違和感や拒否感を覚えるとしても、もっと本能的だったり野性的に書いていくタイプのなかには、社会的な物語が失われ、自己や主体の在り処が不確かになる兆候を嗅ぎ取り、並行的・同期的・感応的に「私=主体」をトレースするんじゃなく、反対にかつてないほど「私」を前面に押し出す ―― それこそ無条件で無反省で不勉強だと言わせるほどに妄・狂信される「私」のゴリ押しみたいな作品も現れるはず。
というか、九〇年代の終わりから2000年代の文芸シーンには、そんな傾向の作品や作家が居たように思うし、J-POPだとか芸能シーンの事の推移を辿ると、このような世相があったと分かる気がする。それもバブル以降の不条理・不透明・不穏な時代の反動であり反作用であり、「私」や「主体」を懐疑する(信じられなくなっている)というスタートラインから始める立場・詩作とは陽画と陰画の関わりだ。むろん、無条件で「私」を信じ、打ち出し、語り抜く人や作品が光の側であるとも言えるし、その逆も然りだ。

ついでに一言書こう。
言葉が負けたなんて高慢な物言いを平気で口にする人間は、戦争についてはこういうだろう。
「日本が負けた」
ちがう。個人がやったんだ。人のせいにするな。人じゃないもののせいにして終わらすな。大きな主体に罪を被せる「物語」を安易に語るな。
バブル時代とその後の文芸シーンについて多くは知らない。知らないが、言葉が時代に負けるなんてありえない。
繰り返すが、詩人についていえば、言葉を使う詩人が書けなくなっただけのことであって(そういう詩人がいたっていう話は、おれは聞いたことないが)、それを「言葉が負けた」なんて捏造をさもありなんみたいな口調で語るなんて。なんなんだ、それは。
「私は言葉のプロであり、私と言葉は一体であり、私が書けなくなったってことはつまり言葉の負けということです」と考えてる傲慢で尊大なバカか、じゃなきゃ、「私は言葉を使うプロです。そのプロである私が言葉をどう使おうが負け試合にしかならなくなった。言葉が時代に負けた」というプロセスを経た認識なのか。
後者だとしても、おまえが使ってる言葉はおまえが身につけたり憶えてきた言葉であって、そんなものを普遍的な物差しのように語るなよ。一億人の日本人がいれば、一億パターンの日本語体系がある。それをなんだ。厚かましいんだよ。
つまり、おまが負けたんだろ? 
なぜか正直にいえない。
自分の負けを言葉の負けに摩り替えて逃げる ―― 誰より個人的でありその責任を負っていくべき詩人が、その主体=自分を、なにか大きな主体や主語で言い換えて語るなんて、どんなエクスキューズだよ。カムフラージュ。自分の事は自分の事として喋る。そんなのは言葉を使う人間として最低限のマナーだ。ここを弁えられてない人間に詩を公表し、詩人を名乗る資格はない。
甘い。甘い。甘えに過ぎる。
それに、負けただの勝っただのと浅はかな物の見かたをする詩人の作品が奥行きのあるものになるんだろうか。
なるの? 
信じられないわ。
このとき会場にいた誰も、この点を指摘しなかったのか。
それもまた信じられない。
おれはこの本に多くを学び、考えさせられている。
でも、黙ってられなくなって、ついにここでまくしたててしまった。
城戸さんは下で「私自身は言葉が世界に負けたなんて思ってません。80年代以降の日本詩は「敗北」を設定したほうがクリアに語れるので援用したまでのこと」と語る。
いや、そりゃそうだよな、あぶねえよ、城戸さんまでガチで「負けた」と思ってるんだとしたら・・・とヒヤヒヤしてた。



●言葉は負けたり勝ったりしない
城戸 ―― だから、細見さんの今のお話に、非常にでたらめに答えさせていただきますと、私はちっとも世界に負けたなんて思っていません。やはり勝つ瞬間には勝つだろう、と。やはり、それは、それぞれの詩人がやればいいだけで、ここで「さあ、勝とうよ」とみんなでエールを交わし合っても何の意味もない。一人一人が孤独に苦しんで、そこからしか始まらないだろうと思っています。

●散文詩について
城戸 ―― だいたい、勝つというときに、散文が詩として選ばれているという言い方は非常におもしろい言い方です。やはり、散文的な感覚で現在というものへの対置の仕方が、詩のなかにも決定されていたと考えてもいいかと思うのです。これは神秘主義的に聞こえたら、ごめんなさいと言うしかないのですが、稲川さんの詩のなかで「死者が見る」という言い方がある。なぜ、今、生きている人間が、死者が見ると語らなければならないのか。でも、詩というのは、そういうふうにどこかで妙な時間を貫いてしまうところがあると思うのです。

●詩の言葉 〜自律性があり、自走性があり、時空間を貫く ――
城戸 ―― 言葉は意味が解明されているから会話が可能になるわけですが、それにもかかわらず、詩の言葉に関しては、一篇の詩が書かれるときに、そこにまるで言葉が発生するような、そういった瞬間を私自身も感じることがあります。その詩自体は、発生であり、同時に現在であり、未来である。未来というのは、先々読まれるなどという意味ではありませんよ。一つの可能性として、そういう時間軸を貫く言語たり得るのではないかと考えているところがあります。
 そういった意味では、現在の世界に対する言語の敗北という問題と、詩自体の可能性の問題は、必ずしも、散文と同じようにリンクしないところがあると思います。これはどこかで秘教的な、あるいは神秘主義的な響きも帯びていて、おまえの思い込みだと言われれば謝るしかないところがあります。ただし、私はそのように考えています。

●いまは何の後の時代か 〜文芸の事後性についての指摘
細見 ―― もう一つ開きたいと思ったことは、午前中の平岡さんの話とも重なってくるのですが、文学をある種の戦後文学として語る、日本の近代文学はある意味ずっと戦後文学だったというところから発想を持つと、なにかの事後に生じる言語意識というところが文学にはあるようです。それは戦後文学がずっとそうでした。現代詩で言うと、七〇年代というのは、事後だという記憶がある。あるいは八〇年代も、七〇年代ぐらいまで人は元気だったというような、そういう元気だった詩の後の記憶みたいなものがある。
 では、今はなにの後なのか、ある意味では分からない、という問題でもあるのかなと思うのです。一人一人が生きている場所は、大変な問題を抱えているわけです。ところが、そんなことをあたっても誰も関心を持ってくれない。問題を共有できない。誰だって大変だよ、というようなことになってしまう。
 国木田独歩の「号外」がずっと印象に残っていて、その時間の間は全く知らない人がそのことに関心を寄せていて、共有している。それが終わったときに、非常に喪失感があって空虚である。なにかが起こっている最中にはある種の共同性みたいなものがあり得る。そしてその事後に、その喪失を巡っていろいろな言葉が語られる。その形で、文学というものはかなり作られているところがあるのではないか。
 そうしたときに、今はなにの後かよく分からない。一時期、物語の終焉とよく言われました。つまり、革命によって世界が変わるとか、戦争によって国が大きくなるとか、努力を積んで子どもが大臣になってというような、そういう色々な物語がなにも機能しなくなる。誰も信じない。ある意味で、物語の終焉みたいな語りの後、その辺の問題が二十年位ずっと同じようなことを反復してきているような気もする。
 詩の変容を言うときに、「なにかの後」という事後性と文学との関わりについて、今の状況はどうなのでしょうか。

●イメージの力 〜失われたものを呼び起こす機能
城戸 ―― 失われたものがあったときに、それを今ここにもう一度呼び起こすことができる力、それがイメージと言われているものの力です。その意味では、イメージは常に失われたものに対して機能するという、ある側面は持っていると思います。

●事後性への拘泥は現在性への想像力を貧しくさせる
城戸 ―― ただ、細見さんが今おっしゃったように、文学というものの事後性、例えば戦後文学といい、戦後史といい、六八年革命以後といい、阪神淡路大震災以後でも九・一一以後でもいいです。なにか分節点を作って、以後が連続しているような感覚は、批評的な言説のなかでは常にそれが起こります。
 ところが、事後性ということだけに気を取られると、現在性が必ず隠蔽されます。今がなにかの事後なのか、それともなにかの渦中なのか、この問いかけは必要ではないでしょうか。現実には、今は見えない形での戦争中で、日本も当事国の一つです。そうすると、九・一一以降という事後性のなかにではなくて、同時進行中の一つの戟争のなかにあるという部分もあるわけです。

●終わり続けてきた「物語」
城戸 ―― ただ、先ほど物語の終焉という言葉が出て思い出したのですが、一九八六年当時、「海燕」という文芸誌が福武書店から出ていました。島田雅彦と小林恭二と川村毅(劇団第三エロチカ)と俳人の夏石番失さんもいたかもしれません、それに私の五人で、座談会をやったことがあります。そのときのタイトルが、そういえば「物語の終焉」でした。延々と終わり続けていたのですね、物語は。
 これだけ殺しても終わり続けている、ということの確認だけで終わってはどうしようもないわけで、むしろ、それが破砕して断片化していったときに、それはある種、神話の発生に近い状態になります。ただ、物語は共同体がなければ成立しない。共同体のなかで共有されるものが物語だと、とりあえず言っていいかと思います。その共同体自体が日本のように崩壊していったときに、物語自体は絶対に不可能性のなかに追いやられるわけです。
 私はここしばらく「群像」(講談社)の文芸時評を書いていたので文芸誌を読んでいたのですが、本当にこれは、あるサークルの人しか読んでも理解できないだろうなというような小説がすごく増えています。そういう形に、全部が断片化して飛び散っていく感じがある。でも、それは事後性ではなくて、現在起こってしまっている出来事なのだと思うのです。結局、そこで物語が終焉するという事後性のなかに我々があるということは、もう一度、再組織化に向けての過渡期にあるということなのかもしれません。場合によっては、人類自体の終焉の前段階なのかもしれない。どちらを選ぶかは結局政府やなにかの問題ではなくて、我々一人一人の問題だと思います。

●もういちど、文芸の事後性について
細見 ―― ある意味では今が戦争の只中で、という詰もありました。ぼくは同人誌などを読んでいて、九・一一以降を題材にした作品もたくさん読みました。だけど、やはり、只中のような言葉の揺れみたいなものは、ほとんど感じられないですね。やはり只中にいないことを、むしろ非常によく表している。詩にはそういうところがあるのではないか。いくら只中だと頭のなかで考えて、それを言葉にしようとしても、反応してくれない。つまり、只中ではないことをかなり認めてしまっていることを、作品の言葉自体が露呈してしまう。そういう正直さが作品にはあるのではないかという感じがします。

城戸 ―― 事後性が強調されるのは、それが避けがたい現実の経験として突き刺ささってくるからです。そのようなものに対して言葉を与えようとしたときに、明らかに文学総体が帯びる事後性が発生するのだと思います。
 ただ、すべて事後から生まれるかというと、私は必ずしもそうは思っていません。でも、たしかに今は戦争の只中です。個人的な事情もあります。私は飛行機に乗る機会が多いのですが、そのたびに、飛行機が爆破されて落ちるとか、ビルに突っ込むとか、そういうことが何度も自分のなかで反復されるところがある。でも、こういうことは個人的な事情です。
 現実に、今は戦争中だと言っても、秋吉台にみんなで集って文学を語り合っていたりするわけです。こんなことは戦時中の出来事ではない。そういう意味では、あまりにも潜在性のなかに潜んでいる現在進行形の出来事なので、意識に乗りにくいということがある。そういうなかで、そのことを書こうとすると、どこかでリアリティーを喪失している。そうすると、どうしても事後性が強調されていく。
 文学の歴史を後追いで見たときに、事後性が強調されるケースと、ある極端な予言性のような先見性が強調されるケースの二つがあります。同時進行的に、文芸ジャーナリズムみたいなものが成立した時代には、同時代性がとても大きいです。そういったものを後になって見ると、まったく有効性を失って、当時の大ベストセラーが消え失せるということが多々起こります。こういった多義的な問題として、時間と文学作品の問題というのは、一筋縄ではいかないところがあります。結論になっていなくてすみません。




【 “共同性”への距離 ―― 短歌や俳句と、詩の 】 138

 福間健二 ―― 議論になったのは、短歌の場合は、前提とするなにらかの形の共同性がはっきりしている。俳句もそうかもしれない。ところが現代詩は、家族を看取るというようなことについても、誰かとの共同性のなかで訴えるということは、もしかしたら難しいのかもしれないということでした。現代詩を書いている人間として、そのとき、ぼくが思ったことは、ぼくらも何らかの形で共同性は持ちたい。けれど、その共同性を安易には持てないところで書いているということに意味があるかな、といことです。そう簡単に共同性に飲み込まれない、と。今日だって、本当は何らかの形で共同性を持って、我々はこういう場を持っているのだけれど、表現について安易な形の共同性を拒むようなところに詩が支えられている要素があると思うのです。それができないからといって、短歌へパッと行ってしまうのは、何だあいつは、ということになる。( 中略 )
 例えば、自分の家族の死を詩に書こうとしても、どういうふうに書けば人に繋がっていくのか( 中略 )定型の問題なども全部繋がってくる ――

(「●」はbiboによる小見出し)



(※1)換喩:修辞学の修辞技法の一つで、概念の隣接性あるいは近接性に基づいて、語句の意味を拡張して用いる、比喩の一種である。また、そうして用いられる語句そのものをもいう。メトニミー(英: metonymy)とも呼ばれる。文字通りの意味の語句で言い換える換称とは異なる。上位概念を下位概念で(またはその逆に)言い換える技法を提喩(シネクドキ)といい、これを換喩に含めることもある。
―― 実例
頻繁に用いられる換喩には、以下のような幾らかの関係性がある。

包含:ある事物が他の事物を包含する例で、典型的な換喩である。
例えば、「食卓」は「食事のための卓(テーブル)」の意味から転じて、そこに載る食事あるいは料理を指す語でもある。他に、建物の名称がそこに含まれる事物を表す例もあり、代表的なものに、「東宮」(皇太子の居所、または皇太子自身)、「ホワイトハウス」(アメリカ大統領官邸、または当地に勤務する職員)、「ペンタゴン」(アメリカ国防総省および同国の軍事)がある。

道具・器具:しばしば道具や器具の名が、それを使用する職業人を表す場合がある。
「白バイ」=白バイ隊員(警察官)
「ペンは剣よりも強し」=ここでの「ペン」は、それを手に取って文章を書く人、すなわち「文筆家」や「文学家」あるいは「思想家」などの意味に解釈される場合が多い。

提喩:ある事物の一部分(下位概念)が、全体を意味して(上位概念として)用いられる場合である。
「手が足りない」=仕事をするために必要な「人」、つまり「働き手」が足りない、という意味。
「人はパンのみにて生くる者に非ず」=ここでの「パン」は、「食べ物」あるいは、より広く「物質的充足」という意味。

地名:一国の首都名は、しばしばその国の政府を意味する換喩として用いられる(例: ワシントンD.C.=アメリカ政府)。
「霞ヶ関」=日本の官庁。
「永田町」=日本の国会。

その他:「赤頭巾」=赤い頭巾を被った少女。
「きつねうどん」・「きつねそば」=キツネの好物とされる油揚げの入ったうどん・そば。

慣用表現:「漱石を読む」=漱石の作品を読む。
「玉座に就く」または「王冠を戴く」=王位に就く。
歴史的には、換喩により語の意味が変化することもある。例えば「殿(との)」は「宮殿」の意味から(婉曲的に)そこに住む「貴人」「主君」の意味へ、さらに敬称あるいは代名詞的用法に変化した。「みかど」なども同様。









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2013年02月25日

ネオンと絵具箱/大竹伸朗




ネオンと絵具箱/大竹伸朗
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【 今の有様に絡み付く“過去” 】
「過去」を生殺し的に引きずりながら生きていくのか、成仏させて前に進むのかは否応なく進行形の「今」に絡み付く。形にしないことによってまやかしに美化しすぎる「過去」の時間に逃げ続けるズルさのようなものも人の本能の中には潜んでいるようだ。形にすることによって予想外の発見が立ち現れることももちろんあるが、こんな程度だったのかといった残酷な無力感を味わうことにもなる。またどれだけ正直にその形に近づこうと思ったところで過去の出来事を全く同じにつくり上げるのは不可能だ。できるだけ後悔のないように、また無意識にせよ新たな嘘をつくり上げてしまわないよう「今」に集中するだけだ。 75

【 コンプレックス→規格外のイマジネーション 】
ラッセル(・ミルズ)は美術学校では一応グラフィックやイラストレーションを専攻していたが、彼の芸術に対する考え方の基盤には音や音楽、アート、化学や科学、生物学、哲学、文学などあらゆる分野が関わり合っていて、いわゆる「芸術家」には思いも着かないアイデアやユーモアに溢れておりアーティストと発明家が合体しているような印象を自分は感じていた。 92

【 嘘はないか? 〜暗中の光 】
自分自身、初めて使用する素材での作品制作は、それが一体うまくいっているのかそうでないのか判断がつかないことが多い。そういった時は、自分なりに様々な角度から客観的に進行中の作品を見、そして冷静に考えながら事を進めていくのだが、結局最後には「自分に対してそれが正直な思いの結果なのかどうか?」といった自問自答に行き着く。
「嘘はない」との確信にさえ行き着けば、例え判断がつかなくてもそのまま先へ進むことにしている。 99

【 心《ネオン》の音色《ジージー》を聴きながら 】
作品をどんなに一生懸命につくっても発表の機会が与えられなかったり、また無視されるのは辛いことだ。
この連載がスタートした頃(二〇〇三年四月〜)はそれまで同様、特に大きな展開も見い出せないまま、この先永遠に仕事場中央に作品が積み重なっていくだけのような重さが時々訪れる時期だった。
どんなに強く芸術に思いを馳せても心の叫びはカエルの合唱にかき消され、また信じることを言葉でいくら主張したところで、ちっぽけな負け犬の遠吠えが山奥のアトリエ上空のトンビが描く輪の中心にスッと吸い込まれるような夕空の心境で、定期的に文章を書く機会を与えられたことには救われる思いがした。
本のタイトルは「ネオンと絵具箱」に決めた。
国の内外を問わず、裏通りを一人歩いている時、不意にジージーと音を発しながら、チカチカ点滅を繰り返すもどかしいネオン管に出会うことがある。そんな時は妙に自分の内側を覗いているような気分にもなり同時に絵を描いている時の心の動きが頭に浮かぶ。
ネオンと絵が自分の中でどうつながっているのか今のところさっぱりわからないが、そんな意味不明の回路の中を行ったり来たり、何の役にも立たぬことを考えながら日々が過ぎていく。
二〇〇六年九月十八日 227



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2013年02月24日

失われた風景の記憶 〜吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』をめぐって




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『折り返し点/宮崎駿』から
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 吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』をめぐって
【 失われた風景の記憶 】 456p〜



●変な古本屋との出会い
僕が『君たちはどう生きるか』(初版は新潮社より一九三七年発行。現在、岩波文庫版ポプラ社版などがある)という本を初めて読んだのは小学生の時で、確か教科書に載っていた記憶があります。
その後、家の近所に変な古本屋が出来て、そこで再び出会った ―― というか、それが一冊の本としての『君たちはどう生きるか』を手にした最初です。

●戦争資料を読み漁る“遅れてきた軍国少年”
この時期に読んだ本の記憶は、ほとんどがこの古本屋に通っていた記憶と重なっていて、僕は小学校と中学校を通して、かなりの時間をこの古本屋で費やしていました。
本当に小さくて変な古本屋で、子供からみても絶対に商売がうまくいかないと思える店構えなんですね。井の頭通り沿いの京王帝都の井の頭線の車庫のあたりに広い繁みが残っていて、その道路際にポツンと一軒だけある。お客がいたためしなんてほとんどなくて、お兄さんに近いようなおじさんが一人いるきりでした。
当時、僕は疎開先の宇都宮から東京へ戻り、永福町に住んでいたんですが、遅れてきた軍国少年と化していたので、その時期から戦争に関する本、要するに戦争を否定する本や戦争の惨憺たる写真とか、そういうものばかりを読みあさっていたんです。

●四歳〜小学生時代の戦争体験と記憶
僕は四歳の時に実際の空襲を受けた記憶が残っていますけれど、戦争そのものについて知る手がかりは当時は何にもなかったんです。そういう本は公にはほとんど出版されていなかったし、ましてや子供が目にできるようなところにはなにもなかった。
街には傷痍軍人がいたし、親たちも戦争の話をしていて、ケロイドを持った人が物乞いに来たりもしていたけれど、そういうことが、そのころの僕の世界の中で、戦争という現実とちゃんとつながっていなかったんです。小学校五年のころに、初めて大人の飛行機雑誌を目にして、日本にこんなに飛行機があったんだということにようやく気がついたくらいに、とにかく情報がありませんでした。

●わけもなく懐かしかった冒頭のシーン
初めて本を手にとって、ページをめくったときに感じた印象は今でもよく覚えています。冒頭に主人公のコペル君が叔父さんと一緒に雨の中をハイヤーで帰って来る挿絵があるんですけど、それを見た瞬間にわけもなく物凄く懐かしくなったんです。
まだ小学生だった僕が、「懐かしかった」なんて感じるのはおかしな話ですが、本当に懐かしかった。
もちろん、そんなシーンは自分が生きてきた記憶の中にはなんの痕跡もないし、どうしてそれが懐かしいんだかも全く理解できない。そういう映像をかつて見たのか、そういう経験をしたのか、それも自分の中で混沌としていてわかりませんでした。

●原風景としての“挿絵”
それと似た経験は、実はもっと小さいころにもあって、ただ男の子が歩道を歩いているだけの絵がひどく懐かしく感じられたことがあった。詰襟の服に半ズボンをはいて小学校に通っているような格好の少年たちが歩いている絵で、でも、僕がその絵を見た当時は、そんな歩道なんてもはやなかったし、そういう風景を懐かしく思う体験は僕の中にはありませんでした。
だから懐かしいという感覚は、自分の記憶にあるから懐かしいのではなく、もっとべつの何かがあるんじゃないかということを、子供ながらにうすぼんやりと意識したことを覚えています。ある意味で、そういうふうに何かを懐かしく想う感覚を、僕はこの本の挿絵を目にすることで学んだといえるかもしれません。
この本はもちろん、挿絵だけでなく、その内容も本当に面白い。でも、僕はそれがどう面白かったのかについてはあまり語りたくないんですね。君たちはどう生きるか ―― ということに関して言えば、僕はもうこういうふうに生きてしまったという年齢だから(笑)。それよりも、この本が書かれた時代に著者が目にしていた風景のほうに、僕は興味があります。

●同時代《せんぜん・せんちゅう》と同時代人へのイマジネーション
この本は満州事変の頃に書かれ、昭和十二年に新潮社が刊行した『日本少国民文庫』(山本有三編纂)の一冊として出版されたものですが、広く読まれ始めたのは戦後です。
昔のものを読むというのは、そこに書かれた内容だけでなく、その時代のことを抜きには考えられない。だから、僕はその本を著した人が見ていた、その時代の中で失われた風景のことを考えてしまうんですね。
少し前に『失われた帝都東京大正・昭和の街と住い』(新装版『写真集 幻景の東京―大正・昭和の街と住い』柏書房)という写真集をジブリの会議室の書棚でみつけたとき、表紙の写真にとても惹かれたのも同じ理由からでした。その写真を見て、僕は『君たちはどう生きるか』の本の冒頭にある主人公のコペル君と叔父さんがデパートの屋上から東京の街を眺めている挿絵を思い出したんです。写真集の表紙は、白木屋というデパートのビルのテラスを写した写真です。そのテラスはその後増改築したために昭和三年から六年のわずか三年でなくなってしまったのですが、どう考えても『君たちはどう生きるか』にある挿絵と同じ風景なんですね。それで、この写真集を編集した人間 ―― 建築家の藤森照信さんがその一人なんですが、彼も絶対、『君たちはどう生きるか』の挿絵を見ているなと勝手に思い込んでいるわけです(笑)。

●砂時計《TOKYO》を見つめて
『君たちはどう生きるか』が出版された昭和十二年あたりになると、軍事上の理由から、デパートのような高い建築物から下を撮る写真撮影そのものが禁止されているんです。この本が書かれるまでの昭和の十二年間という近代史を見ると、思想的な弾圧や学問上の弾圧があって、とにかく民族主義を煽り立てて、国のために死のうという少年達を作り上げていく過程が、あまりに僅かな期間にやられていることがわかる。本当に異常なまでの速さで昭和の軍閥政治は、破局に向かって突き進んでいく。今も世界はそんなふうにたちまちのうちに変わっていく可能性があるんだということです。
つまり吉野源三郎さんは『失われた帝都東京』にあるような風景が、まさに目の前で失われつつあった時代に、そんな東京の町を見つめながら、そのとき自分に何が発信できるのかを真正面から考えて、この本を書いている。だからこそ、表題にある「君たちは〜」という問いかけに意味があり、物語の中に出てくる叔父さんは、少年であるコペル君に向かって、本当に切実な想いで真正面から語りかけているのだと僕は思うんです。

●根源的な文明の危機と問題のすり替え《現実逃避》
僕は、現在我々が生きている目の前の状況も、この本が書かれた時期とそれほど大差のない、ある意味ではもっと根源的な文明の危機に直面していると思っています。
中国や北朝鮮がどうとか、あれがいけないとか、あれがなくなれば済むということではなく、文明の危機っていうのはアメリカを震源地にして、世界中に波及して、今日のこういう姿になっている。
じゃあ、今更アメリカ型の生活を捨てられるのかってことになると、現在はもうそれしか知らない人達だらけだから、そう簡単に捨てられっこない。けれど、それでもすべてがなくなっちゃうことを覚悟して暴力的に捨てるしかない状況にまで、現在の大量消費文明は逼迫していると思います。
だから、今ある風景もまたあっという間に消えていくし、その時期がひたひたと近づいているのは、本当は誰もがどこかで感じているんじゃないかと僕は思っています。そして、その根源的な不安を今は目の前にある、手頃な別の問題にすり替えているだけなんだと。

●戦後 〜駿少年が見た風景
僕自身は戦争が終わった四歳の時期に物心ついているから、そもそもが物がない時に生まれています。
そして、ウロウロとあちこちへ遊びに行くようになると、かつては遊園地だったところや公園だったところが、廃墟のようにいっぱいあるんですね。
草が茫々に生えた公園の奥には苔むした木の橋が池に渡されていて、それを渡って小さな島の草むらの奥にわけ入ると、動物がいたらしき赤錆びた檻があって、その中を覗くと動物の水場だったらしきコンクリートの台の中に落ち葉が深く積もっている。
それは戦前のある時期まで ―― つまり昭和十年頃かもうすこし後まで、東京の西部に郊外住宅を建てるために鉄道会社が中心になって生み出した、人寄せの文化的施設だったんです。今ある井の頭公園や石神井公園や善福寺公園もそもそもは戦前に別荘地を売るために田んぼをつぶして生まれていて、それが戦争によって一度、廃墟になったわけです。その戦前の人間達が文化的な生活を目指した残存物である、モダンな螺旋形の滑り台や水鳥を飼っていた檻が、草むらの中で赤錆びて傾いていたり、穴だらけになって朽ちているというのが、僕が子供の頃に日常的に目にしていた風景です。

●遊びのなかで知り得た真理 〜“文明は衰退する”
だから僕にとっては文明は衰退するというのが、最初に遊びの中で自分で見たものなんです。かつてここに華やかなものがあったけれど、なくなっている。今あるものは壊れて、廃墟になる。それはほんのわずかな期間だったと思うんだけれど、そういう体験が、僕の中の至極深いところに植えつけられているんですよね。

●“たった五歳”の違いが世界の印象《かお》を変える
僕より年齢が上の ―― 例えば五つ上のパクさん(高畑勲監督)だったら、物があったのになくなってしまったという欠乏感があって、戦後はそれが少しずつ戻ってくるっていう過程だったと思います。
でも、僕は初めからないんです。そうするとそれだけの違いで、世の中が全然遣って見えてくる。パクさんたちの世代だと廃墟と化した公園を見ても「ここはかつて僕らが遊んだ遊園地だった場所だ」と思うのでしょうけれど、その時代を知らない僕にとっては、それらはローマの古代遺跡を見るようなものです。そのおかげで、ひたすら想像力を刺激されたということもありますけど。

●透ける廃墟《はざま》
僕が『君たちはどう生きるか』を初めて手にしたとき、その挿絵に懐かしさを感じたのも、そういう僕自身が経てきた子供の頃の体験と、昭和十年頃のこれから空襲で焼かれてしまう予感に満ちた町の挿絵とが、どこかでくっついて、ある種の切なさとともに懐かしいという想いを起こさせたのかもしれない、と最近は思います。そして、僕はあの小さな古本屋で、赤錆びた檻がまだ真新しく光っていた頃に書かれていたものを探していたんですね、きっと。

●ヒューマニストとヘドニスト 〜二人の父〜 狂気の時代に
僕がそんなふうに戦前の失われた風景や戦争のことを知りたがった大きな動機の一つには、この本が書かれた昭和初期の、灰色の時代を現実に生きていた自分の親父やお袋の姿が、どうにもうまく想像できなかったということがあると思います。
東京に大正十二年に関東大震災があって、そこから世界恐慌を経て、日本中が戦争に向かい、空襲で燃えてしまうまで、わずか二十年そこそこしかない。それほどまでに短期間に異常なスピードで破局へ突き進んでいた大嵐のような時代なのに、そして、この本の著者である吉野源三郎さんは本当に切実に時代の危機感と向き合っているのに、子供の頃にうちの親父に当時の話を聞くと、本当に能天気に「いやあ、面白かったよ」とか「一円あれば〜」とか、そういう話しかしなかった。
一方で僕が公的に受け取る日本の歴史の中には、思想弾圧や大不況の中を満州事変へ向かう嵐のような狂気がたちこめていて、若い男女であった父と母がそんなふうに能天気に生きてこられたような隙間なんてまったくといっていいほど感じられなかった。そのギャップが大きな疑問として、ずっと僕の中について回っていたんです。

●“死んだらおわり”だからこそ? 〜ブレなかった父親の生き方
そして、そのへんのことがようやく初めてわかったような気がしたのは、最近、昭和七年ころに作られた小津安二郎の『青春の夢いまいづこ』という喜劇を観たときですね。不景気で就職もままならない時代にもかかわらず、そこに出て来る主人公のモダンボーイの無責任でアナーキーな姿が、まさに親父と生き写しだったんです。ポマードで髪を撫でつけて、本なんか読みもしないのに小脇に抱えて(笑)、眼鏡をかけている。
『青春の夢いまいづこ』という映画は、田中絹代が演じるカフェの娘の気を学生たちがみんなで惹こうとするだけの本当にしょうもない話なんだけれど、全く同じ話を親父に聞かされたことがあるんです。
通っていたカフェの娘に親父が「好きだ」と言われて、試験の当日の朝だったから、呆然となって試験が全然できなかったとかね(笑)。
そういう自慢話ばかりするどうしようもない親父で、活動写真が大好きで、浅草で遊び歩いてばかりいた。そんな親父の話を聞いている限り、けっきょくはどんな時代でも隙間はいっばいあるということなんだというふうに思うわけです。何が起こっているのか気がつかないで、あるいは気がついていても知らんふりして生きていれば、世の中、隙間はいっぱいあるんだというふうに思うわけです。
僕の親父が、あえて時代を意識せずにアナーキーに生きていたのか、あるいは単に無関心なだけだったのかは僕にはわからないけれど、でも、なぜそんなふうに生きたのかっていったら、やっぱり関東大震災の体験で、本当に死んだらおしまいだっていうことを、哲学的にではなく、実感として理解していたからだと思うんです。
だから、本当にその日暮らしでデカダンスでありながら、生涯生き方が崩れなかった。

●とらえきれなかった父
僕は遅れてきた戦時下の少年で、十八歳くらいまで、戦争は嫌いなくせに日本という国への想いみたいなものはあったものだから、父に対して「なぜ戦争に反対しなかったんだ」「なぜ軍需産業なんかやったんだ」っていうことがずっと自分の中に澱のように積もっていたんです。僕も体験した宇都宮の空襲のなかで、子供である我々を抱えてうろうろしている親父とか、その一方でその戦争を利用して儲ける時は儲けるんだという親父とか、息子としては、父がとらえきれないわけですね。そういう父に対して、いちいち自分の若い考えで突っ張ったまま親子をやっていたけど、今になって、自分がこの歳なら、もう一回ちゃんと親父とお袋がどういうふうに生きたかという話を素直な気持ちで聞けたかもしれないなと思うんですね。もうちょっと、居ずまいを正して聞くチャンスがあったんじゃないかと。後悔しているんじゃないです。ただ、親の問題は親の問題だということで過ごしてしまったなという、そんな思いがある。親も愚かだったけれど、子供も愚かだったと(笑)。

●国家的な議事録とは必ずしも一致しない“大衆の記憶、戦争史”
親父にしてもお袋にしても別に何者でもない市井の1人の人間だけれど、でもそういう人間が背負っていた昭和史とか大正史というものには、公的な歴史とは別の風景があったんだろうなと今では素直に思うんです。

●個人を超える大切なもの
僕は一人の人間の幸せよりも大事なものがあるんじゃないか、そのために死ななきやいけないんじゃないかって想いはあって、でも、それは日の丸とはくっつかないという少年でした。今も、個人の存在とかそういうものを超える意味あるものっていうのはあると思っているんです。政治的に、右翼とか左翼とかということを離れてね。

●“じぶんも人間だ”という前提を汲んで 〜白薔薇よりウェストール
とはいっても、僕は、戦争に抵抗するにしても、ドイツの学生たちのナチへの「白バラ抵抗運動」のようにファナティックすぎるのは嫌なんです。それよりもイギリスの児童文学の作家であるロバート・ウェストールが描いた人々のように、戦場に引っ張り出されたけれど、そこで精一杯人間的に生きようとしながら、ボロボロになりながらも、とにかく生きようとしているという人間達の方が好きなんです。
というよりも、それならまだ僕にもやれるかもしれないと思う(笑)。
だけど虚勢でファナティックにやりたくなる自分がいるのも知ってるから、本当に大嵐の時にどうやって生きるのだろう……というふうに考えているうちにずいぶん年月が経って、自分達が戦争に行くことはもうない。だから今はせめて、殺すとか殺されるのを手伝うような映画は作りたくない ―― それだけは、僕は一線を画そうと思っています。

●“殺さない国”になった日本 〜戦後民主主義の成果
今は戦前と似ているとか言っている人もいるけれど、僕は似てないと思いますね。なぜかと言ったら若者が攻撃的じゃないから。新聞がいくら取り上げたり、マスコミが騒いだって、やっぱり少年の起こしている犯罪事件って少ないんです。日本は殺人事件は世界で一番少ない国になっている。それは戦後民主主義の成果なんですよ。

●普通の人を育てよう 〜残虐性のある人間という自覚の上で生きる
最近、僕らはジブリ社員のために小さな保育園を作ろうかという話を進めているけれど、別にそれは立派な人を育てようということじゃないです。普通の人を育てようとしているだけです。普通の人は残虐行為もやる。異常事態になって残虐行為をしてしまうっていうのが普通の人なんです。

●人間でいろ 〜ニヒリズムの陥穽はそこら中にあるし、自信なんてないけれど
人間というのはけっきょくそういうもので、だからそういう異常事態の中で、『君たちはどう生きるか』の吉野源三郎さんは軍閥政治を止めることはできないと感じていたんだと僕は思います。戦争をやって負けるしかないだろう。そして、負けた後はもっと惨憺たることが起こるだろう、と思っていた気がしますね。
だから『君たちはどう生きるか』の中には、どういうふうに時代を変えていったらいいのかってことは書いていない。だけど、どんな困難な時代とか酷い時代にも「人間でいろ」っていうメッセージはあったと思っています。逆に言えば、僕らにはそこまでしかできないんじゃないかっていう絶望にも思えますね。
アウシュビッツに入っても人間でいようねと言っても、それは早く死んでしまう結果になるかもしれない。あるいはそういう時に支えてくれるのは家族の「待ってる」っていう想いかもしれない。でも、そういう極限状態に自分がどれだけ耐えられるかっていうのは、僕ははなはだ自信がない(笑)。

●人間は自我をコントロールできるだろうか
人間は自我をコントロールしていくことが本当にできるのだろうかってことに関しては、僕はあきらめがあります。
だから僕は、この物語の中で、人間らしく立派に生きようと語りかけているコペル君の叔父さんが、この後の戦争の中でどのように生きていったのかを思います。本当に全く無駄に死んでいく可能性もある。

●戦中の実情
昭和のこの時代っていうのは、震災や戦争以外にも結核が蔓延して本当にたくさんの人が死んだ時代です。貧困でもいっぱい人が死んだし、子供たちもずいぶん自殺しました。そして、さらに多くの人が戦争で死んだ。本当に無残な時代として昭和が始まるんですよね。

●人間の自我と戦後〜経済偏重社会の相互依存 〜必然的帰結としての“即物主義”
だから、戦後の文明社会もここまで発展せざるをえなかった。その行き過ぎが問題だっていうけれど、人間はそうせざるを得ないんです。
この土の道は、しょっちゅう工事しているけど、どうにもならないからやっぱりコンクリで舗装しちゃおう。北風が寒くてどうにもならないからサッシだけでもアルミサッシに替えよう。プロパンガスが入ったから囲炉裏も使わなくて済む。石油ストーブがあると暖かい。今はもうそういう生活になっちゃったんです。そうして、すべての風景が壊れてしまったんです。

●この星を食い尽くす
そういう人間の自我みたいなものを本当にコントロールできるのか。理性とかで片付けることができるのかっていったら、僕は全然自信がないです。それは要するに人間は度し難いものだっていう、堀田善衛さんや司馬遼太郎さんが繰り返してきた言葉に帰着してしまうんだけど、本当に度し難いんですよね。だから食い尽くすんですよ、この星を。

●廃墟と虚空の畔で描かれた伝心《メッセージ》 〜“物事をきちんと考えて、困りながら、無駄死にしながら生きなさい”
『君たちはどう生きるか』というのは、だから、困って生きなさいという意味なんですよね。こういうふうに生きればうまく生きられますよ、じゃないんです。物事をきちんと考えて、困りながら、無駄死にしながら生きなさいという。無駄死にしながらです。そういう時代の暴力については直接的には書けないから、そういう時代が来ても、君は人間であることをやめないで生きなさいっていうことしか伝えてないです。吉野源三郎さんは、たぶん、それしかできないことがわかっていたんだと思います。

●傍にある真実 〜五百万人より、となりの三人を喜ばせよう
僕自身は最近、あまり遠くのこととか先のこととかを考えるのではなく、自分の半径五メートル以内のことをちゃんとやっていこう、そこで見つけたもののほうが確かだという想いが強くなっていますね。
五百万人の子供に映画を送るよりも、三人の子供を喜ばせたほうがいい。経済活動は伴わないけれど、それが本当は真実だと思います。僕はそのほうが自分自身も幸せになれると思うんです。
(『熱風』スタジオジブリ 二〇〇六年六月号)











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2013年02月23日

箱《パンドラ》を開けた




『ファンタジーは深層心理の扉を開く』 267
――『千尋』という映画の中には、『不思議の国のアリス』から『ゲド戦記』、『クラバート』まで、さまざまなファンタジーや児童文学の要素が入っているようですが。
宮崎 いろんなものが混ざってますね。
―― それは意図的に、そうされたのですか。
宮崎 意図的にというよりも、やっていくうちにそうなっちゃうんですよ。自分たちの深層心理の中に繰り返し繰り返し出てくるモチーフというものがあるんだと思うんです。そもそも『クラバート』自体、突然作家が思いついたものではなく、中世の民間伝承を基に書かれたものですから。だから自分が入れたいと思ってて、入ってないものもたくさんありますよ。……僕はね、この作品を作る過程で、自分にとって開けてはいけない頭の中のフタを開けてしまったみたいなんですよ。ファンタジーを作るって、普段は開けない自分の脳みそのフタを開けることなんです。そこにある世界が現実なんだと思ってやっちゃうから、時折、現実のほうが現実感なくなっちゃう。どこかで自分の生活よりも、リアリティ持ってきますからね、その世界のことの方が。今、こういう話をしていても、ある種現実感を喪失していくんですよね、そっちの世界が中心になっていくから。
―― 絵コンテを描かれている時というのは、そこで描いている異世界が現実というか、その中に自分がいるという印象なのでしょうか?
宮崎 ……そうですね。そこまで入っちゃう時が多いと思います。本当にあったことなのか、それとも自分が空想したことなのか、わからなくなっちゃうこともありますよ。スケジュールがあるから繋ぎとめてるだけでね。ここで寝ていてハッと目が覚めると、俺はなんてとんでもないところにいるんだろうって背筋が寒くなることがありますから。この映画は本当にできるんだろうか、と。作品を作るっていうのは、作品に食われる部分がありますからね。
―― ご自分が、作品にですか?
宮崎 ええ。そういう部分が確実にあると思いますよ。どうしてそういう部分に踏み込まなくてはならないというのか……ある種、狂気の部分を背負うっていうのかわからないけど。作ってる最中に、ある種の呪縛に囚われていくんでしょうね。自分がふだん開けないはずだった脳みそのフタが開いて、違うところに電流がつながっちゃう。
―― どの映画を作る時も、そのようなことが起きるんでしょうか?
宮崎 いや、どうだろうな。あんまりそういうふうに思ってなかったですけどね。開けるのもだいぶ手だれになってきたから。ああ、「開いてるな」、と。ただ映画を作ってると、表側のことじやなくて裏側のことばっかり考えてるでしょ。自分の深層心理のほうに扉を開けていく。そうすると突然道が繋がって、ああ、こういうことが自分が本当にやりたかったことなんだ、ってわかったりするけど、それがこの世で全然通用しないことだったりするんですよね。……で、あんまり深く入ると、戻れなくなる。
―― 戻れなくなるとは?
宮崎 いや、だからあらゆるリアリティが映画のほうにあるんですよ。
―― こっちの世界のほうが現実味がない?
宮崎 現実味がない。

《しばらく沈黙が続いた。待っている時間は、果てしなく長いようにも、一瞬のようにも感じられた》

宮崎 ……映画との距離が日によって違うんですよ。本当に入り込んでいる日は矛盾しているのに、ものすごく整合性があるんですよ、多分。離れてみると何の整合性もないのに。一瞬、その狭間に落っこちるんです。おもしろいですね。それまでリアリティを持っていたものが、その瞬間に全部リアリティをなくすんですね。それで脈絡のないものが、突然立ちあがってくる。……だから、絵コンテに戻ると、本当にあっけないもんですよ。あっ、こんな絵コンテだったのかって。

『折り返し点/宮崎駿』つづく(鋭意抽出中・・・・・)







(この二つもつづく・・・・・)

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2013年02月14日

『リトアニア/畑中幸子(要約)』と『カチンの森』




リトアニア―小国はいかに生き抜いたか (NHKブックス)

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●日本の単一民族イデオロギーを揺さぶるリトアニアの民族問題 4
小国リトアニアの実情を伝えることが、「民族問題」に対する日本人の鈍い感性を刺激するのに恰好の例を提供すると思った( 中略 )単一民族国家のイデオロギーのもとで近代の政治・社会への展望を作り上げてきた日本は、国家の安定した枠組みを内部から動揺させるような民族間題に対処しうるビジョンを持たずにきた。しかしながら、今後はそれでは済まない。民族間題は、その解決を二一世紀に持ちこされようとしている。私たちも人ごとではない。従来までのアイヌ民族、在日中国人、朝鮮・韓国人に加えて、合法ならびに非合法の外国人労働者が
日本には既に多数居住しており、この趨勢は弱まることはないであろう。もしも北方領土が返還された暁には、ロシア人など旧ソ連邦出身の人々を社会の一員に迎え入れることにもなるからである。 

●リトアニアは存在し、リトアニア人は消える
旧ソ連に主権を奪われていたリトアニアでは民族問題はタブーであった。「リトアニアは存在するであろう。しかしリトアニア人はなくなるであろう」と民族の計画的絶滅を企てた旧ソ連の策略にもめげず、リトアニアでは「民族」は健在であり続けた。4

●リトアニアの夏 42
リトアニアでは短い夏の間が農繁期にあたる。ライ麦、紫色のきれいな花をつけている亜麻、じゃがいもの収穫期でもある。

●小さな村のメロディ〜森の兄弟、パルチザンの誕生 43
戦争末期、退却するドイツ兵が村にやってきて豚や作物を略奪した。ズザナは怖くなり、子供たちを連れバブルンゲ川を渡ったところでドイツ兵に出会った。子供が泣きだしたため、士官がやってきて、「子供が泣くと居所が敵にわかるから泣かせるな。家へ戻れ」と言われ、みなで来た道を引き返した。やがてソ連軍が戻ってきて、村の青年たちを徴用しはじめた。拒否した者は射殺された。「前線に送られ知らない土地でドイツ軍と戦って死ぬよりも、母国で死ぬほうがいい」と、大勢の若者が森に逃げ込んだ。彼らがパルチザン(ミシュコ・ブロリアイ=森の兄弟)となった。村に空襲はなかったが、銃で撃ち合っている音は始終開こえてきた。ソ連軍の将校が来て、農民が持つ馬と彼の貧弱な馬との交換を強要きれた。この村の女性がドイツ兵を地下室に匿っていたがソ連兵に見つかり、ドイツ兵は射殺され、女性はシベリアへ送られた。小さな村にもいろいろ事件があったのである。


8 世紀の悲劇 71
一九二〇年、リトアニアは帝政ロシアから離れ、穏健な国家を誕生させることに成功した。第一次世界大戦後に国家権力が樹立されたものの、リトアニアの安全は、領土拡張をはかったロシア、ポーランド、ドイツにより、二二年間に六度にわたって脅かされた。これら三国政府の計画には民族の根絶や国家の消滅も含まれていた。一九三九年、スターリンヒトラーの秘密取引により、モロトフ=リッペントロップ秘密議定書が結ばれ、二つの超強大国が一八世紀末と同じ手口でバルト三国とポーランドを分割した。リトアニアは、ソ連による国民の計画的絶滅政策(ジェノサイド)をウクライナ、ラトヴィア、エストニアとともに経験することとなった。それは、ナチスによるユダヤ人撲滅とともに二〇世紀の人類社会に例を見ない、凄惨な計画であった。


ジェノサイド 71
リトアニア国家に対するジェノサイドはリトアニアの東部から南西部のポーランド占拠地で始まった。ソ連共産党のリトアニア事務所の責任者ススロフは「リトアニア人なしのリトアニアがやがて存在するであろう」と豪語した。
ソ連によるリトアニアのジェノサイドは様々な形で現れた。リトアニア市民の抹殺、シベリアへの流刑、経済機構の破滅、共産主義イデオロギーの定着、宗教の撲滅、植民地化、ロシア化へのレジスタンス及び反体制派の掃討であった。国家の物理的・民族的撲滅を目的にあの手この手を使った。
ジェノサイドは一定の時期を決めて行われたこともあれば、恒常的に行われていたこともある。ソ連共産党政権は国の政治的、経済的、学術的、文化的エリートを撲滅することなしに国家を消滅させることができないことはよくわかっていた。リトアニア占領後、直ちに国の大立者のシベリアヘの追放、レジスタンス勇士や反体制派の人々の逮捕が実施された。

リトアニアからの追放者の登録と名簿の作成はリトアニア人の手によって行われた。
このことはリトアニア人にとって衝撃を与えた。 72


平和に暮していたリトアニア市民の虐殺は秘密警察とリトアニア全土にいるソ連の占拠軍によって行われた。
明確な理由もなく、知名の士というだけで殺された市民は七〇〇人を越えた。
弾圧されたリトアニア市民の名簿は独立後、様々な情報源から、二万七八〇六人分が集められた。彼らのうち四八四〇人の運命は知られていない。 79

リトアニアの植民地化、ロシア化、ソヴィエト体制への協力者の増加、リトアニアに残っていたリトアニア国民の精神的破壊は加速された。これらは一九九一年、リトアニアが独立国家として再び誕生するまで続いた。共産主義者の暴挙、つまり一九四〇年から四一年と一九四四年から五三年に精神的、肉体的絶滅を謀ったリトアニア人加害者や組織した者は、今もって罰せられていない。 81


6 国家のパニック 54
・最後通牒と粛清
第二次世界大戦前夜、ヨーロッパでは大国の利害をめぐり国家間の取引きが行われていた。
一九三〇年半ば過ぎ、バルト三国は刻々と迫るヨーロッパ動乱には中立の立場を取ることを考えていた。その矢先の一九三九年八月二三日、独ソ不可侵条約がスターリン政権とヒトラー政権の間で締結された。この条約とともに調印された秘密の付属議定書、いわゆるモロトフ=リッペントロップ協定がその後のバルト三国の運命を決めてしまった。
バルト三国のソ連への帰属が、両大国により勝手に決められたのである。
ナチスドイツは、国際連盟によってリトアニアに統治が委任されていた都市、タライペダ(メーメル〉を要求していた。リトアニアは、大国ドイツを恐れていた。クライペダを割譲しない限り、ドイツ軍がリトアニアに進駐してくることは目に見えている。外部からの応援は全く期待できず一九三九年三月、ついにリトアニアはドイツの最後通牒を受け入れたのである。

一方、ポーランドがロシアから一九二〇年一〇月九日、ヴィルニュスを奪取して以来、リトアニアの反ポーランド感情は強くなった。一九三九年九月一日、ドイツのポーランド攻撃が始まるやリトアニアは中立の立場をとる声明を発表した。二つの隣国が戦争状態になったリトアニアは、国家の危機にさらされていく。

一九四〇年以前のリトアニアの政治状況は緊迫の連続であった。一九三八年から四〇年にかけてポーランド、ドイツ、ソ連から、それぞれの最後通牒を受けている。当時、リトアニアの新開はリトアニアの敵はポーランドであることを強調し、またドイツについても、クライペダの割譲は忘れられない旨の社説を掲載した。一九三八年、ポーランドがリトアニアに最後通牒をつきつけた。第一次世界大戦以降、両国間に外交関係はなく、「外交関係の復活か、戦争か」と囁かれた。国内のどこでも話題はポーランドやドイツに集中し、ソ連のことは滅多に話題にならなかった。

一九四〇年、ソ連軍兵士が暴行を受けたという小事を理由に、ソ連は最後通牒をリトアニアに叩きつけた。リトアニア政府は一九四〇年六月一四日、最後の閣僚会議を開いた。
スメトナ大統領、ムスティキス国防相、ヨカンタス文相、シャカーニス長官(国家監察局長官)の四閣僚のみが、最後通牒の受諾について反対投票した。
最後通牒を拒否することはリトアニア国家の消滅につながるとして、多数の閣僚が受諾賛成の票を投じた。

・内政干渉と晒し首
ソ連はこの最後通牒で内務大臣スクカスと政治誰も察局長ポヴィライティスを裁判にかけることを要求してきた。リトアニア側の意向を待つことなく、モスクワの指令によりこの二人は逮捕され、直ちに処刑された。スメトナ大統領は閣僚たちに「自分はソ連のリトアニア占領を認めることができない故、国を離れる」と告げ、メルキス首相にすべてを委ねて去った。リトアニアとドイツの国境でドイツに身柄を拘束された彼とムスティキキス国防相はドイツ経由でアメリカヘ亡命した。ソ連邦併合の一週間前というのにメルキス首相、ウルブシス外相が逮捕された。ヨカンタス文相も逮捕され、流刑先で処刑された。シャカーニス長官はシベリアヘ追放されたが、一九五六年、リトアニアに帰国し死去。タモシャイティス法相は拷問のあげくに処刑、副首相であったビザウスカスも処刑、運輸相のマルセルーナスは流刑先で死去した。ソ連は占領後二週間の間に国の中枢にいた人々を流刑、処刑したばかりか、リトアニア政府のすべての機関を破壊した。カルバナウスカス大蔵大臣は西側への脱出に成功、オーディエナス農林大臣は流刑を免れカウナスの市役所で働いたが、ドイツヘ逃れVLIK(リトアニア解放最高会議〉のリーダーとなった。彼は一九四六年から四八年、ドイツのハナオのキャンプに収容されたが、四九年、アメリカヘ移住した。

第二次世界大戦が始まるやリトアニアの兵士たちはドイツ軍の来るのを待ち望んだ。誰もソ連軍に好意を寄せなかった。ドイツ軍がリトアニアへ進撃してくると、ドイツ軍はリトアニア軍に加わることを申し出た。しかし、国際条約によりバルト三国は中立を保つことになっていたのでリトアニア軍幹部はこれを拒否した。

・ソ連に制圧されたリトアニア軍の紆余曲折
リトアニア陸軍の士官としてカウナスの部隊に所属していたブザス氏からリトアニア軍の最期について話を聞くことができた。
ソ連は占領後、リトアニア軍を解散させずに「人民軍」という名で存続させることとした。ソ連邦へ併合後、人民軍はソ連軍の一組織、赤軍二九となり、指揮官にはロシア人が任命され、旧リトアニア軍の再教育が行われた。兵隊一人一人にソ連国家への忠誠を誓う署名を求めた。ロシア語やソ連軍の軍規、編成についてリトアニア兵たちは学ばねばならなかった。一八七二人の士官一二〇〇人の下士官、二万五〇〇〇人の兵隊が再訓練を受けた。そのような状呪のなか、リトアニア人のヴィトカウスカス将軍が赤軍二九で政治教育を始めた。軍人のある者は政治教育を嫌って逃亡したり、森林に逃げ込んでパルチザンに加わったりした。

ヴィトカウスカス将軍(彼の兄弟はリトアニア独立の戦いのとき、共産党のスパイだとして一九二〇年、リトアニア軍の手により殺されている)は一九四〇年四月、ラスチキス将軍の解任後、リトアニア軍総司令官に任命された。ソ連に完全に占領された一九四〇年にヴィトカウスカスはリトアニアのソヴィエト行政に影響を持つ人物となった。多くの人々は、ヴィトカウスカスはソ連の秘密工作によりリトアニア軍へ潜入させられたと思っていた。彼はリトアニアの最も緊急時にリトアニア軍の最高司令官となった。しかしヴィトカウスカスがソ連の手先である証拠はない。

・悲劇《ジェノサイド》
一九四一年五月、ソ連軍は旧リトアニア軍の解体を謀った。
六月、主だった将官、佐官はソ連軍士官としての研修コースを取るためモスクワへ送られた。赤軍二九のリトアニア兵たちは演習のため東部リトアニアのヴァレナとパブラーデの二か所へ送られた。西部リトアニアが避けられたのは、国境を越えてドイツへ寝返られるのを怖れたからである。
演習場に着くと士官・下士官が逮捕された。
三大隊の兵隊たちは演習という名目で森林へ送られた。ヴァレナでは直ちにソ連赤軍に包囲され、「手をあげろ、武器を捨てよ」と命じられた。パブラーデでは一人一人おびき出され、武器を取り上げられ逮捕れた。ブザス氏はこの部隊に属していた。二か所で二五六人の将校たちが逮捕された。続いてさらに六〇人が逮捕され、全部で一二〇人が射殺された。
ブザス氏は七年の刑を受け、シベリアのノリリスクのラーゲルに送られた。ここには主にリトアニア軍の将校や佐官が収容されていた。六〇〇人中一六〇人がラーゲルで死去、一〇人が処刑された。一五五人が祖国リトアニアへ帰国できたが、あとの人びとの消息は不明である。士官たちのなかには赤軍への編入を逃れパルチザンのリーダーになった者、ドイツ軍が進攻してきたときにドイツ軍に入った者もかなりいた。
ソ連軍によるこのリトアニア軍に対する措置はポーランド将校ら四〇〇〇人あまりが殺された「カチンの森事件」を想起させる。
(上の「カチンの森事件で、ポーランド将校ら四〇〇〇人あまりが殺された」という一節は古い(誤った)情報かもしれない。最下部(※3)に詳しく)

KGB 73
KGBは一九一七年にチェーカー(反革命・サボタージュ取締り全ロシア非常委員会)として創設されて以来、全歴史にわたるソヴィエトの保安機関を指す名称である。
リトアニア国内で活動していたKGB構成員の正確な数はつかめていない。


10 生き抜いた人々 87
一九四一年、突如リトアニアから二万人以上の市民が追放されたり、ラーゲル(収容所、キャンプを意味するロシア語)へ送られたことは内外のリトアニア人に大きな衝撃を与えた。一九四五年までに追放されたリトアニア人の五〇パーセントが死んだ。
処刑や追放ばかりではなかった。
一九四四年から四五年の間に約五〇〇〇人の市民がリトアニア国内で虐殺されたという事実も知った。一九四四年二月には一四四か所の農場で二六五人のリトアニア人が虐殺され、農場とともに焼かれた。
共産党にとって農民や労働者は同志ではなかったのか。
ソ連共産党政権ははじめからジェノサイドにより民族としてのリトアニア人を抹殺しようとしたことが明らかになった。
人々の物理的な抹殺はひた隠しにされていたが、後日、KGBや秘密警察(内務人民委員部)の記録がことの詳細とテロ組織の実態を暴露したのである。
一九四六年から一九五二年の間、ソ連による全追放者の六分の一がリトアニア人であった。とりわけ一九四一年から一〇年間の追放者は約二万八〇〇〇人と言われるが、厳しい極北地帯で病気、飢餓、耐えがたい重労働で、多くの人々が死んでいった。一九四四年から一九五二年、ラーゲルへ送られたその数は十四万二五七五人に達している。この膨大な数にはパルチザン兵士、コルホーズに非協力的な農民が含まれていると思われる。信じがたい話であるが、三〇万人を超す人々が期間の長短はあるもののシベリア追放、強制労働でラーゲルへ移された。国内でも二万六五〇〇人が殺害されたのであった。

ラーゲルには神父もいた。ある神父は畑で穫れたぶどうでワインまがいのものを作り、ミサを密かに行っていた。他の人々を励まし、機会を見ては団結をはかろうとした。コーラスのグループを作り合唱し、「食べ物もなく明日をも知れない命なのに」と、ソ連兵を呆れさせた。 157


●葦を喉《ストロー》に 110
逃亡した二人(のリトアニア兵士)はソ連兵に追跡された。昼間、川の葦の生えている中に身を隠し、人が近づくと水中に潜り葦の茎をストロー代わりにくわえ呼吸をした。


11 レジスタンス 116
・森の兄弟
一九八九年まで、リトアニア社会ではパルチザンについて何の情報も流されてはいなかった。
私が初めてリトアニアを訪れたときには、すでに独立後六か月という時間が経過していた。私の研究目的が民族間題であることを知っても、農村のみならず町でも誰一人としてレジスタンス、「森の兄弟」と呼ばれたパルチザンについて話そうという者はいなかった。一九九二年夏のことである。
バブルンゲナイ村のせせらぎの岸辺に座っていると小学生たちが集まってきた。女の子ばかりであったが、人見知りするでもなく可愛い。「何か歌ってくれない?」と話しかけると、小声で相談したあとみんなで歌いだした。調子外れの子もいたが、一生懸命に歌ってくれる。美しいメロディであるが哀愁を帯びており、何か悲しげな歌であった。「何の歌?」と尋ねると、「森の兄弟の歌」だという。これが、私がパルチザンの別名である「森の兄弟」という言葉を聞いた最初であった。
「森の兄弟?」私は、勘でただの歌ではないと思い、子供たちを待たせ急いで通訳を呼びに行った。
子供たちはこの歌を学校の先生から教わったという。それを開いた通訳は先生が勇敢だと感心した。歌の題名は「一つの窓がある小さな家」というもので、戦死したパルチザン勇士が残した詩に誰かが曲を付けたものである。

 一つの窓がある小さな家で
  糸車が動いている
 聞かれよ祈りの言葉を
  老いた母の畷り泣き
  なぜか誰もわからない
 緑溢れるうるわしの村で
  育った三人の息子
 樫の木のように強く
  敵から我らを守ろうと
 戦いにますらおは向かう
  聖なる戦いに身を捧げた
 楓の門の側で
  佇む老いた母よ 待たないで
 息子たちは再び戻らない
  シルヴィンタイで
  ラドヴィリシュキスで
  海辺の灰色の砂の中で
 命をなくした、ああ
  なぜか乙女が畑で泣いている
 妹が丘の森へ小径を作った
  なぜか誰もわからない

「森の兄弟」は通称ミシュキニアイと呼ばれていた。ソ連兵は彼らのことを「バンディタイ」と呼び、森の中での彼らとの戦闘を恐れていた。
パルチザンを助けた者はもちろんのこと、身内とわかれば容赦なくシベリアへ追放されることが周知されて以来、「パルチザン」は人々の意識から抹殺されてしまった。
パルチザンの身内は、ほとんどが農民であった。彼らは追放先のシベリアから帰国を許されて後、彼らに対する周囲の冷たい視線に耐えながら今日まで生きてきた。今もパルチザンに関する問いかけには貝のようになり、知らぬ存ぜぬで通されたのには当惑した。
プルンゲ地方で「サユディス」(※2 ―― ページ下部に詳細なセグメントあり)の先頭に立っていた女性がこの地方で活動していたパルチザンについて独自に調査を始めているというニュースが私の耳に入った。プルンゲの市立図書館に勤める彼女を訪ねた。彼女の協力でパルチザンに関する情報が入り始めた。

・パルチザン活動 119
パルチザンはリトアニア全土で五万人はいたといわれる。
そのうち約三万五〇〇〇人は確実に死亡したと見られている。

一九九三年、カウナスで初めて元パルチザン生存者の集まりがあった。障害者にされた者、老け込んだ者、病気をおしてきた者など、かつての愛国の青年たちは痛々しい姿で現れた。元パルチザンの一人が現在リストを作成中だが、生存している元パルチザンは、リトアニア全土で二〇〇人から三〇〇人である。一九四九年、パルチザンの司令部が閉鎖され、申し合わせで各地方ごとにリストの作成が行われた。しかしパルチザンが殲滅されたため、これらの資料の行方は不明である。一部だが、森の中にシリンダーに入れて埋めてある資料が発見された。シベリアのラーゲルでもかなり大勢のパルチザンが死んでいるほか、シベリア、カザフスタン、カリーニングラードには元パルチザンが帰国できないままに残っている。そのため生存者ですら正確な数字がつかめていない。
KGBの記録では、パルチザン二万人を殺害、同一万九〇〇〇人を逮捕した、となっている。

リトアニアでは一九四一年に入って、知識階級を中心に社会的に活動していたエリートたちがソ連共産党により突然逮捕されてシベリアの極北地方に送られたり、また独ソ戦の合間に国外へ脱出したりした。そのような状況下でパルチザンに農村の若者、小学校の教師、前共和国時代の陸軍兵士、学生、聖職者が参加した。

パルチザン活動は一九四一年六月、ドイツ軍の進撃でソ連軍が兵力増強のため、リトアニアで青年を召集しはじめたことに起因する。一九四四年、ドイツ軍の占領時に地下組織に入る若者が増えた。ソ連軍に徴兵されることを嫌い、ドイツとの戦闘で命を落とすより故郷の森で死ぬことを選んだ者もいた。また、この時期に結成された「リトアニア自由軍」のメンバーが、後日地下組織に入り、ソ連軍へのレジスタンスに加わった。パルチザンの活動が目立ちはじめたのはこのころからである。

前共和国時代に愛国教育を受けた若者の多くはソ連軍による占領・ソ連併合への抵抗としてパルチザン活動を展開した。また大戦後、ドイツ軍に編入されていたリトアニア兵たちは、帰国後、一九四四年から一九四五年にかけてパルチザンに加わった。パルチザンの武器はリトアニア軍が隠していたもの、ドイツ軍が撤退するとき残していったもの、秘密警察から盗んだものである。

一方、教育のある若者でもドイツ軍に加わり行動をともにした者も少なくない。
大国の犠牲になった国の青年たちは、受難で右往左往した。

パルチザン活動のピークは一九四七年から一九四八年にかけてである。
農民たちはパルチザンが活動しはじめて二、三年は積極的に協力した。それは彼らの息子や親類の若者がパルチザンに加わっていたからで、身内に限らず食糧、衣類、薬品などを提供したばかりか、時には自分の家の地下に彼らを匿ったりもした。ところがそうした農民がパルチザンを装ったイストリビテリ(※1)に摘発され、一九四六年にはパルチザン協力者とみられた農民が大勢シベリアへ送られた。
当時ソ連では農業が振るわず、より多くの労働力を必要としていたため、これら農民は農業振興のための労働を強いられた。森の近くに住む農民の中には、やってくる偽のパルチザンを恐れ転居するものも少なくなかった。
一方、秘密警察も昼間は農家へ聞き込みに、夜は同じ人物がパルチザンの制服を着て別の農家に現れるということがあった。農民も当初は森にいる身内のパルチザンに差し入れに出かけていた。秘密警察は一軒の家から一、二人が姿を消していると疑念を抱いた。彼らはパルチザンと農民の関係を察知し、関わった農民を片っ端からシベリアへ追放するなどして農民を恐怖に陥れた。

一九四五年から一九四七年にかけて、大規模な農民のシベリア(主として西シベリア)追放があった。
この中にはパルチザンの家族や協力者だけでなく、コルホーズへの移行に非協力的な者もかなり含まれていた。かつて協力してくれた農家にパルチザンが食糧の補給のため訪れたとき、農民が秘密警察に密告し、パルチザンが農家で射殺されるというケースも少なくなかった。食糧をはじめ物資が不足してきたパルチザンに農民とトラブルを起こさないよう、厳しい規律が新たに作られていた。

一九四五年以降、秘密警察はパルチザンを秘密裏に殺害していく方法へと戦術の転換をはかった。
一九四七年、パルチザン殲滅にソ連軍が介入し、イストリビテリは全体として少なくなった。イストリビテリはパルチザンにかなりやられた、とも聞く。一方、パルチザンが直接ソ連兵と対決するこのころになると、多くの老がパルチザンに協力した。物資の補給をしたり、メッセンジャーとして、若者たちが男女を問わず動いた。教会も協力した。

一九四八年に入ると、パルチザンの活動が困難を究める。リトアニア系ロシア人やリトアニア人秘密警察がパルチザンの中へ潜入し始めたからである。
仲間を失くしていくパルチザンにとって志願者は願ってもないことのように思われた。パルチザン側は当初、彼らを他地域から移動してきた本物のパルチザンかどうかを見分けることに腐心した。
森から連絡のために出た伝令が戻ってこないときには、秘密警察に逮捕され拷問に耐えきれず居場所を白状しているかもしれない。彼らは別の森へ移動した。

パルチザン兵士は家族の安全のため実名は使わなかった。互いに歴史上の英雄や動物の名前から取ったニックネームで呼び合い、このニックネームがサーネームとして使用された。リーダーのみニックネームのあとに暗号が付く。付いていなければ信用されない。署名に際しニックネームのあとに、例えばLVとかLBと付けてある。リーダー以外のパルチザン兵士には、地方名やグループ名がニックネームのあとに付く。彼らは農家を訪れたときには、互いを異なったニックネームで呼び合った。秘密警察のスタッフもイストリビテリもニックネームで行動していた。


(※1)イストリビテリ
KGBの下部組織に雇用されたリトアニア人。
パルチザンに扮して農民から密告を吸い出したり、パルチザンの悪評を流布して猜疑心を煽り仲間割れを引き起こすなど、KGBの手足となって殲滅作戦に協力した。
教養を身につけることができない低階級《暮らし》の出身者が多かった。


●拳銃と放火 149
パルチザンが全滅したとき、一人生き残った者が畑の真ん中にある農家の空き家に行き火をつけて、ピストル自殺したことを話してくれた。一人ではとても生きていけないと覚悟したのである。これに似た話を何度か耳にした。


●奪い返す誇り
「サユディス」(※2) 190
一九八八年の春、知識階級にリードされ、政治社会と民族自決の拡大を目指す大衆運動「サユディス」が他のバルト二国の人民戦線と歩調を合わせて生まれた。
「サユディス」は組織ではなく、最初から正式なメンバーシップといったものはなかった。民族再生の運動がソ連におけるペレストロイカグラスノスチにより始まったとはいえ、リトアニアで噴出してきたことは、これまでの民族主義者の地下運動が必ずしも孤立していなかったことを示している。
一九三九年八月二三日に署名された独ソ不可侵条約、及びその付属秘密議定書への抗議記念大集会がヴィルニュスのヴィンギス公園で開催された。一五万から二〇万と推定される人々が、それまで語ることのなかったことを討議するために公園に集まったのであった。人々はどのようにしてリトアニアの国土がソ連の一部になったのか知りたがった。議題は一九一八年から一九四〇年にかけてのリトアニアの歴史について、つまりリトアニア共和国の運命についてであった。戦間期にリトアニアは国際連盟のメンバーであり、オリンピックに参加した。ところが第二次世界大戦以来、ソヴィエト連邦の一部となった。本当のリトアニアはどこにあるのか、という質問をはじめ、ブレジネフ時代まで口にすることがタブーとされていたリトアニアのソ連併合や、独立を喪失していった真相の究明が叫ばれた。そして集会では次のような決議がなされた。

 一、ペレストロイカを支持し、民主化と民族の自立を目指す。
 二、独立の通貨を含む共和国の経済自立。
 三、リトアニア語の公用語化と民族の自立を目指す。
 四、スターリン時代に弾圧された者の名誉回復と犠牲者の慰霊碑建設。
 五、良心と信仰の自由


運動が高まる中で、民族再生の感情が強くリトアニア国民の心をとらえたことは明らかであった。「サユディス」の宣言は、人々を民族の自主拡大を求める民族運動に向かわせた。最初の「サユディス」グループは主として作家同盟、芸術家、学者、ジャーナリスト、芸術大学の学生らで理想を求めた。徐々にリトアニアのあらゆる職業の人々を団結させたが、運動のリーダーシップは知識人が取っていた。主導権を握る人々の半分は共産党員であったが、彼らはリトアニア政府とのコミュニケーションの重要なチャンネルを提供した。有名な作家、オペラ歌手、詩人たちの「サユディス」への参加は運動をかなり目立たせた。学術会議に属する科学者、若手の哲学者、経済学者らも「サユディス」にエネルギーを与えていたが、主導グループのメンバーに著しく欠けていたのは歴史家であった。一九八八年に居合わせたリトアニア系アメリカ人歴史学者のA・E・セン教授がこのことを指摘している。 

第二次世界大戦後のソヴィエト支配へのレジスタンスに対するリトアニア史家の態度は、運動が起きている時点でも非常に曖昧である。元パルチザンが口を揃えてわたしに嘆いたことでもあった。「サユディス」はペレストロイカのために出版物を発行し、社会における公的立場を高めた。パルチザンの手記も出版した。リーダーの一人であったユオザス(ドマルカス)・ルクシヤの手記はアメリカで英訳された。

「サユディス」の運動を進めるに当たって、セクレタリーが一名、事務職員が五名置かれた。「サユディス」は市民、企業からの献金があり、ある時期には短期間であったが、財源は豊かで一〇〇万ルーブルの貯金が銀行にあったことがある。

「サユディス」が絶頂のとき、リトアニア共産党も「サユディス」に参加した。
リトアニア共産党は一九八九年七月、ソ連共産党からの独立を決定した。これはソ連共産党の歴史の中で初めての出来事であり、共和国の自立化を促進する結果となった。独立が仮想から現実のものになろうとしていたのである。ソ連邦国家に対して「独立要求」の運動はもはや避けられなかった。バルト三国がソ連に対して分離・独立を主張したとき、ソ連は一九四〇年の併合自体、バルト三国側との合意によるもので合法という立場を変えなかった。しかし、リトアニア共和国外相ユオザス・ウルブシスの歴史的証言ともいえる回想録で明らかなようにスターリンとヒトラーの横暴、かつ強引なやり方で併合された。

 リトアニア共産党第一書記アルギルダス・ブラザウスカスと「サユディス」のメンバーたちは二、三か月は蜜月の関係が続いた。しかし、一九八八年二月「サユディス」はブラザウスカスと政治的に対立した。エストニアは、ソ連邦下の憲法にエストニア憲法を優先させたが、ブラザウスカスがこのやり方をリトアニアがとることに反対したからであった。
一九八八年七月にモスクワから戻った政党代表者の報告に約一〇万人の人々が集まった。八月二三日には独ソ不可侵条約締結の条約無効を求め、抗議デモに約二五万人の人々が参加した。デモ行進や集会ではこれまで禁じられていた民族の歌が歌われるようになった。バルト三国の首都を結ぶ約六〇〇キロメートルにわたり一〇〇万人の抗議の「人間の鎖」が作られた。一〇月にはエストニア、ラトヴィアでも人民戦線が結成され、三国が共和国の主権の回復を目指して共同の歩調をとることになった。この年に独立時代の国旗が民族の旗として認められた。

八月二三日の会合を主催した知識人たちは、彼ら自身は宗教的である必要はなかったが、歴史の中で重要な役割を持っていたということで、教会を認める用意があった。また、他のバルト国家と呼応して公害問題が取り上げられた。事故のあったチェルノブイリ原子力発電所と同じ型のイグナリア発電所はリトアニア国民を絶滅させると危惧された。「サユディス」のみならず、リトアニア共産党もモスクワの中央政府にその安全性について疑問を投げかけていた。

リトアニアでは「サユディス」により最高会議の議長に音楽院教授のヴィタウタス・ランズベルギスが選出された。
当時、地方の人は未だコルホーズのボス、つまり共産党に支配されていた。それでもヴィルニュスで起きていることはその日のうちに地方に伝わっていた。プルンゲ地方でもヴィルニュスで愛国的な人々が組織を始めたという噂が入る。エスニック・アイデンティティを訴えるかのごとく有志が集まり、土・日には考古学上の遺跡に出かけ、遺跡の掃除や整理を始めた。
一五人から五〇人が集まり、二か月ほど作業した。
ヴィルニュスでの政治家のモスクワからの帰国報告でモスクワのペレストロイカの話を聞くため、プルンゲから七人が参加した。ソ連下であったため、地方では人々が少し怖がっていた。プルンゲの地方政府の文化課の責任者が会合の参加にミニバスを提供したことに、政府共産党やKGBが抗議した。
2013_0214
(カチンの森の例があるように、本書が示す「数値」に関しては暫定的なものとして捉えている。あくまでも参考まで)






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カチンの森 zbrodnia katyńska/Катынский расстрел
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カティンの森事件は、第2次世界大戦中にソ連のグニェズドヴォ近郊の森で約22,000人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者が内務人民委員部(NKVD)によって銃殺された事件。
「カティンの森の虐殺」などとも表記する。(以下もウィキぺディアから)
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●ポーランド人捕虜問題
1939年9月、ナチス・ドイツとソ連の両国によってポーランドは攻撃され、全土は占領下に置かれた。 武装解除されたポーランド軍人や民間人は両軍の捕虜になり、ソ連軍に降伏した将兵は強制収容所(ラーゲリ)へ送られた。 ポーランド政府はパリへ脱出しポーランド亡命政府を結成、翌1940年にアンジェへ移転したがフランスの降伏でヴィシー政権が作られると、更にロンドンへ移された。

1940年9月17日のソ連軍機関紙『赤い星』に掲載されたポーランド軍捕虜の数は将官10人、大佐52人、中佐72人、その他の上級将校5,131人、下級士官4,096人、兵士181,223人となった。その後、ソ連軍は将官12人、将校8,000人をふくむ230,672人と訂正した。

ポーランド亡命政府は将校1万人を含む25万人の軍人と民間人が消息不明であるとして、何度もソ連側に問い合わせを行っていたが満足な回答は得られなかった。
1941年の独ソ戦勃発後、対ドイツで利害が一致したポーランドとソ連は条約(en)を結び、ソ連国内のポーランド人捕虜はすべて釈放され、ポーランド人部隊が編成されることになった。 しかし集結した兵士は将校1,800人、下士官と兵士27,000人に過ぎず、行方不明となった捕虜の10分の1にも満たなかった。
亡命政府は捕虜の釈放を正式に要求したが、ソ連側はすべてが釈放されたが事務や輸送の問題で滞っていると回答した。 12月3日には亡命政府首相ヴワディスワフ・シコルスキがヨシフ・スターリンと会談したが、彼は「たしかに釈放された」と回答している。

●捕虜の取扱い
ポーランド人捕虜はコジェルスク、スタロビエルスク、オスタシュコフの3つの収容所へ分けて入れられた。その中の1つの収容所において1940年の春から夏にかけて、NKVDの関係者がポーランド人捕虜に対し「諸君らは帰国が許されるのでこれより西へ向かう」という説明を行った。この知らせを聞いた捕虜達は皆喜んだが、「西へ向かう」という言葉が死を表す不吉なスラングでもあることを知っていた少数の捕虜は不安を感じ、素直に喜べなかった。彼らは列車に乗せられると、言葉通り西へ向かいそのまま消息不明となる。

●事件の発覚
スモレンスクの近郊にある村グニェズドヴォでは1万人以上のポーランド人捕虜が列車で運ばれ、銃殺されたという噂が絶えなかった。独ソ戦の勃発後、ドイツ軍はスモレンスクを占領下に置いた際にこの情報を耳にした。1943年2月27日、ドイツ軍の中央軍集団の将校はカティン近くの森「山羊ヶ丘」でポーランド人将校の遺体が埋められているのを発見した。3月27日には再度調査が行われ、ポーランド人将校の遺体が7つの穴に幾層にも渡って埋められていることが発覚した。報告を受けた中央軍集団参謀ゲルスドルフは「世界的な大事件になる」と思い、グニェズドヴォより「国際的に通用しやすい名前」である近郊の集落カティンから名前を取り「カティン虐殺事件」として報告書を作成、これは中央軍集団から国民啓蒙・宣伝省に送られた。宣伝相ゲッベルスは対ソ宣伝に利用するために、事件の大々的な調査を指令した。

●発見当初の動静
4月9日、ゲッベルスはワルシャワ、ルブリン、クラクフの有力者とポーランド赤十字社に調査を勧告した。ポーランド赤十字社は反ソプロパガンダであるとして協力を拒否したが、各市の代表は中央軍集団司令部に向かい、調査に立ち会った。ドイツ側は赤十字社の立ち会いの後に事件を公表する予定であったが、4月13日には世界各紙で「虐殺」情報が報道された。このためドイツのベルリン放送でカティンの森虐殺情報が正式に発表された。
4月15日、ソ連及び赤軍はドイツの主張に反論し1941年に侵攻してきたドイツ軍によってスモレンスク近郊で作業に従事していたポーランド人たちが捕らえられ殺害されたと主張した。しかし捕虜がスモレンスクにいたという説明はポーランド側に行われたことがなく、亡命政府はソ連に対する不信感を強めた。ポーランド赤十字社にも問い合わせが殺到し、調査に代表を派遣することになった。すでに回収された250体の遺体を調査した赤十字社は遺体がポーランド人捕虜であることを確認し、1940年3月から4月にかけて殺害されたことを推定した。4月17日、ポーランドとドイツの赤十字社はジュネーヴの赤十字国際委員会に中立的な調査団による調査を依頼した。
これをうけてソ連はポーランド亡命政府を猛烈に批判し、断交をほのめかした。ソ連の反発を見た赤十字国際委員会は全関係国の同意がとれないとして調査団派遣を断念した。4月24日、ソ連はポーランド亡命政府に対し「『カティン虐殺事件』はドイツの謀略であった」と声明するように要求した。ポーランド亡命政府が拒否すると、26日にソ連は亡命政府との断交を通知した。
ポーランド赤十字社はカティンに調査団を送り込み、またドイツもポーランド人を含む連合軍の捕虜、さらにスウェーデン、スイス、スペイン、ノルウェー、オランダ、ベルギー、ハンガリー、チェコ各国のジャーナリストの取材を許可した。さらに枢軸国とスイスを中心とする国から医師や法医学者を中心とする国際調査委員会が派遣された。5月1日、国際委員会とポーランド赤十字社による本格的調査が開始された。

●第一次調査
調査はソ連軍が迫る状況下で行われた。国際委員会は遺体の発掘と身元確認と改葬を行い、現地での聞き取り調査も行った。ドイツは「12,000人」の捕虜が埋められていると発表していたが、実数はそこまでには至らなかった。
発掘途中の調査では、遺体はコジェルスク捕虜収容所に収容されていた捕虜と推定された。遺体はいずれも冬用の軍服を装着しており、後ろ手に縛られて後頭部から額にかけて弾痕が残っていた。遺体の状況は死後3年が経過していると推定され、縛った結び目が「ロシア結び」だったことなどがソ連軍の犯行を窺わせた。
また、調査に同行したアメリカ軍捕虜ヴァンブリード大佐とスチュワート大尉は、捕虜の軍服や靴がほころびていないことから、ソ連軍による殺害であることを直感したと後に議会公聴会で証言している。
5月になると現場付近の気温が上昇し、死臭が強まったために現地労働者が作業を拒否するようになった。6月からは調査委員会と赤十字代表団が自ら遺体の発掘に当たった。明らかに拷問に遭った遺体や今までに見つからなかった8番目の穴が発見されるなど調査は進展したが、この頃になるとソ連軍がスモレンスクに迫り、委員会と代表団は引き上げを余儀なくされた。ポーランド赤十字社代表団は6月4日、委員会は6月7日に現地を離れた。
撤収までに委員会が確認した遺体の総数は4,243体であった。

●大戦中の西側連合軍の対応
イギリスは暗号解読の拠点であったブレッチェリー・パークでドイツ軍の無線通信を傍受し解読していたため、ナチスが大きな墓の穴とそこで発見したものについて気づいていた。
失地回復したソ連は1944年にカティンの森を再調査し、死体を再び掘り起こした。同年、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトはカティンの森事件の情報を収集するために、ジョージ・ハワード・アール(英語版)海軍少佐を密使としてバルカン半島に送り出した。アールは枢軸国側のブルガリアとルーマニアに接触してソビエト連邦の仕業であると考えるようになったがルーズベルトにこの結論を拒絶され、アールの報告は彼の命令によって隠された。アールは自分の調査を公表する許可を公式に求めたが、ルーズベルトはそれを禁止する文書を彼に送りつけた。アールは任務からはずされ、戦争の残りの期間をサモアで過ごすこととなった。

●大戦後の調査
1946年、ニュルンベルク裁判においてソ連の検察官はカティンの森での虐殺についてドイツを告発。彼は「もっとも重要な戦争犯罪の内の1つがドイツのファシストによるポーランド人捕虜の大量殺害である」と述べている。しかしアメリカとイギリスがこの告発を支持しなかったため、カティンの森事件についてはニュルンベルク裁判では一言も述べられていない。
この事件の責任が誰にあるのかについては西側でも東側においても議論が続けられたが、ポーランド統一労働者党の幹部たちはこの事件についてソビエト連邦に遠慮してか誰も真相を究明しようとはしなかった。この真相を問われることのない状態は1989年にポーランドの共産主義政権が崩壊するまで継続した。

1952年にアメリカ議会でカティンの森事件がソ連内務省によって1939年に計画され、赤軍によって殺害が実行されたと認定された。また1970年代後半のイギリスでは事件の1940年の日付で犠牲者のための記念碑をつくる計画があったが、冷戦下の政治情勢を刺激するとして非難された。

●冷戦後の調査
1989年、ソ連の学者たちはスターリンが虐殺を命令し当時の内務人民委員部長官ベリヤ等が命令書に署名したことを明らかにした。

1990年、ゴルバチョフはカティンと同じような埋葬のあとが見つかったメドノエ(Mednoe)とピャチハキ(Pyatikhatki)を含めてソ連の内務人民委員部がポーランド人を殺害したことを認めた。

1992年、ソビエト連邦崩壊後のロシア政府は最高機密文書の第1号から公開した。その中には、西ウクライナ、ベラルーシの囚人や各野営地にいるポーランド人25,700人を射殺するというスターリン及びベリヤ等、ソ連中枢部の署名入りの計画書や、ソ連の政治局が出した1940年3月5日の射殺命令や、21,857人のポーランド人の殺害が実行され彼らの個人資料を廃棄する計画があることなどが書かれたフルシチョフ宛ての文書も含まれている。

2004年、軍検察の捜査は「被疑者死亡」などの理由で終結した。捜査資料183巻のうち116巻は「国家機密を含む」との理由で公開されないままである。

●和解
2009年、ロシアのプーチン首相はポーランドを訪問した際、事件を「犯罪」と呼んだ。さらに2010年4月7日、プーチン首相はポーランドのトゥスク首相と共にスモレンスク郊外の慰霊碑に揃って跪き、さらに事件を「正当化できない全体主義による残虐行為」とソ連の責任を認めた。ただし、ロシア国民に罪をかぶせるのは間違っていると主張し、謝罪はしなかった。なお、4月10日に現地でおこなわれるポーランド主催による追悼式典に参加する予定だったポーランドのレフ・カチンスキ大統領が、搭乗したポーランド政府専用機がスモレンスクの空港付近の森林地帯に墜落して大統領夫妻及び多数のポーランド政府高官が死亡する惨事が起きた(ポーランド空軍Tu-154墜落事故)。この事故のため、追悼式典は中止された。
同年11月26日、ロシア下院はスターリンら複数の指導者が指令を下して起こしたとする声明を決議した。
なお2011年、墜落事件の追悼碑の碑文がロシア側により作り替えられ、当事件の記述が削除されていたために物議をかもした。






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“森の兄弟”と“森の人”
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宮崎駿が『風の谷のナウシカ』を描き始めたのが1982年。
この『リトアニア』は1996年が初版だ。
つまりナウシカにおける重要な登場人物(一族)「森の人」は、ここで畑中さんが解いた「パルチザン=ミシュコ・ブロリアイ=森の兄弟」にはインスパイアされていない。

だが、ナウシカの世界にあって「無知で残虐な人間に追い立てられるように森に入り、誇りと慎みを失うことを拒み、そこで死ぬことを選んだ“森の人”」と、リトアニアの国難にあって死を賭した若者達「パルチザン」の命運 ―― 生態/生体的な一致はどうだろう。

「森の人」は火を扱うことを拒否し、生成の母体であり宇宙といえる森林に衣類や子宮を喩え、星の再生 ―― 人類の終末に備えたた。そしてメシアのナウシカに添い遂げた。

一方リトアニア、現実に起こった戦争でパルチザンは、残虐非道のファッショ・スターリンの支配のもと全体主義に突き進むソ連ばかりか、なんと同胞であるリトアニア人の手によって殲滅されたという救いのない結末と ――

森の兄弟の死闘=地下政治運動はやがて源流となり、ソ連のペレストロイカやバルト二国の独立機運との共鳴の呼び水となったこと、そして20世紀の終わりにあってなお数百名が存命していたという光の一線と ――
K・N









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2013年02月02日

出発点 1979〜1996/宮崎駿 (2/意訳あり)




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描く
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●徹夜のコンテをも棄てろ
たとえ一枚のペラにまとめられたメモでも、考え抜かれて生まれたものからは、流れるように絵コンテが生まれてくる。何かつまずいたり、何となくすっきりしない時は、必ずどこかに問題がひそんでいる。ためらわずに、積み上げたものをくずして別な方向を探せば、必ずいつかは、これしかないという段階に辿り着けるものである。( 中略 ― 時間に追われようと)わずかな不安もないがしろにしないことが大切な心構えである。( 中略 ― 徹夜したコンテだろうと)ゴミ箱に放り込む決断をして、初めて使える部分と使えぬ部分が見えてきたりするものなのだ。 98

●やれるだけやる。なんにせよ、それしかない。
いつだって人材は不足している。足りない力で作品を作るしかない。それが自分たちの力なんだから。 166

●こういう物が作りたいと思う物があったら、出来る
いちばん良いシナリオって一つあるんです。この辺に( 中略 ―― 頭の上を指して)あるんです。それを探す作業がシナリオを書く事なんです。
こういう記号で、これをくっつけたらこうなるなんて、どうでもいいんです。映画は、かつて何もなかったんです。芝居をただフィルムに写してたのが映画だったんです。
( 中略 ―― シナリオの書き方とか映画の作り方なんてウソなんです)
こういう物が作りたいと思う物があったら、出来るんです。それだけは間違いない。
自分で、なんとか行けるなと思えば行けるんです。その時に、自分の常識で行けるんじゃなくて、自分の思い描く志というか、この辺(頭の上)にありそうな物を一生懸命探すことが大事なことなんです。そうでなければ、映画はとても出来ないんですよ。
(あがいてもがいて描き出すもののなかに、社会性やパーソナリティのようなものは全て入ってくるんですよ)
世界中が統合出来ないで苦しんでるわけですから、自分が統合出来ないのは当たり前だけれども、その中で、なんとかそれに近づこうと努力をしながら、映画に作らされる、という体験をしていただきたいと思います。 140

●閾下にゆだねる
最初、大脳皮質のほうで、前頭葉のほうで考えていたようなことは、どっかで役に立たなくなるんです。そうするともう少し奥のほうで、自分の意識の下のほうで考えているようなことが、追いつめられてでてきますから、そっちのほうにゆだねないと、理詰めだけの映画になっちゃう。 540

【 虫や動物の眼差しで 】
●一秒という世界 180
人間の子供が一歩歩くのに0.五秒、象なら一歩二秒、ねずみはもっとずっと速く歩く。そうすると一秒っていうのはみんな同じ長さだと思っているけど、象の感じる一秒と、人間の感じる一秒と、ねずみの感じる一秒と、ハチの感じる一秒っていうのは、みんなそれぞれ違うんじゃないか ――
( 中略 )
●ハチは雨をよけられる 180
ハチはものすごい勢いで羽ばたいているけど、たぶん僕らが歩いているとき手を振っているのが見えるように、自分が羽ばたいているのが見えると思うの。そうするとね、雨のつぶだって見えると思う。
●想像力〜擬人化でなく、生き物が体験している世界へ 187
ただ顕微鏡で大きくした世界にハチをホイと置いてね、人間と同じようなことをさせるよりも、本当にハチの世界に入って、ハチから見たように世界を描けたら、たぶん他の星に行く話しよりも面白い映画が作れるんじゃないかなあと、ずーっと思ってるんだけど、難しくてできないんですよ、なかなか。
(一九九二年六月十九日 仙台 八幡小学校六年三組にて)
●擬人化は退屈
( 中略 ―― 原作とはちょっと違ったけど)「ネバーエンディング・ストーリー」という映画がありましたね。その中に竜が出てくるのですが、非常にわかりやすい顔をしていましたね。何を考えているかわかる顔をしているんですよ。これが全然つまらないんですね。何を考えているかわからない方が、自分たちにとってはるかに憧れの対象になるんです。要するに擬人化して感情移入のしやすいものにすればするほど、つまらなくなる。 543

●青春《煩悶》の炎で本物の志を焼き締めろ 224
自分がどういうものなのか、自分になにができるのかと自問すること、たとえば毎日絵を必死に描き、イケる、だいじょうぶだな、と思う反面、自分の絵がはたして通用するものなのかな、本当は錯覚で、自分には絵の才能などまるでないんじゃないか、とも思うわけです。その不安と焦燥の真っただ中で煩悶するのが青春なんです。
みなさんには、それをとことん味わってもらい大きな志をもってほしいと思います。
ぼくにも、その志があります。( 中略 なかなか達成できないけど)志が大きければ大きいほどいいのです。そうしないと、志にふさわしい作品に近づけようとして一センチ、それが無理なら一ミリでもいいからツメ寄ろうとする気構えが萎えてしまうからです。
( 中略 )
毛沢東がこんなことをいってます。
「創造的な仕事をなしとげる三つの条件がある。それは、1.若いこと、2.貧乏であること、3.無名であることだ」
( 中略 )
心の乾きを指しているのだと、ぼくは考えています。

●ボロボロになるまで 〜一冊を繰り返し(意訳)
ぼくは不勉強な人間なんでね。映画も見ない……アニメーションも実写も。
仕事上の刺激だったら、本を読んでいたほうがいい。よく書いてある本というのは、何度も繰り返し読んでいくと映像的になっていく。
女房にあきれられましたけど、ぼくは結婚してから、十年以上、寝床で必ず読む本があった。
( 中略 )
小さな国の軍用機ばかり集めた本で、もうボロボロになりました。 351
僕は、戦争のことが好きなものですから、いろいろ読んでいるんですけれども ―― それで「宮崎さん、戦争が好きなんですか」とか、いろんなことを聞かれますが、そういう時には「エイズの研究者がエイズが好きだと思うか」とか、言い返したりしてるんですけど ―― 529

●非連続性とエニグマ 〜ダイナミズムと説得力の源泉
山本哲士 ―― 因果性、連続性のある語りからは、何か先が見えてしまい、感動を感じないのです。しかし、「風の谷のナウシカ」のように、非連続性があり、存在を解決されないものを指摘されると、それが感動をもたらしてくれるのです。何かを飛躍した非連続の世界が伝わっていく感動があるわけですね。 556


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『“風の谷”の未来を語ろう』334
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  火を捨てる? 
 「ナウシカ」と冷蔵庫のある「エコトピア」 
  対談者/E・カレンバック(1985年6月7日)

●活かされない教訓 336〜
カレンバック 歴史的に西欧社会で資本主義の発達を見ると、少なくとも二百年はかかった。

宮崎 日本の国は、環境問題に関しても、これから小さい修整がいろいろ行われていくだろうと思うんです。でも、隣の韓国、北朝鮮、中国、みんなこれからですよ。僕らがやってきたことを、まさにやろうとしています。
それがどういう結末を迎えるかは、僕らは容易に想像がつくけれども、彼らを説得して止めさせることは不可能だと思うんです。( 中略 )くやしい思いをしながら、避けられない業として見ているしかないだろうと思う。
( 中略 )
自然の世界と折り合いをつけながら生きていく術を、アジアもアフリカも持っていた。特に日本は功名に持っていた。それを失わせたのは、西欧の近代文明だと思うんです。それに乗っかってしまった日本人も悪いんですが、世界全体がいま、そうしなければ生きられないような政治情勢にある。だから、マネするとかしないとかいう単純な問題ではなくて、違う哲学を手に入れない限り、同じ過ちは際限なく繰り返されるでしょう。
( 中略 )
進んで貧乏になろうという決意をしない限りだめなんじゃないか。(それが)人間にとっていちばん困難なことだと思うから、いつも困るんですね(笑)。
( 中略 )
日本で縄文時代の平均寿命は成人で三十歳です。それが当然のこととして受け入れられた時代だったと思うんです。いまは七十歳を超えてしまいました。
( 中略 )飢餓と病気と老いと死を免れたい( 中略 )ところに人間の煩悩がある。いまの僕らの社会は、その四つに挑んでいるんです。( 中略 )
かつて宗教で癒そうとしたけれども、宗教のかわりにテクノロジーなんかで癒すことができるんじゃないかと思ったところに、実はいま僕らが突き当たっている精神的な大きな問題点があると思うんです。
いま僕らが直面しているいちばん大きな問題は、人間の数がふえて、しかもたくさんのものを消費して、エントロピーをどんどん増大させ環境を悪化させて、まるで癌細胞のように生みの母を食い荒らしていることです。
もしこの癌細胞を何とかしようと思ったら、たとえば僕らが消費している物質を半分に減らす。日本で全員が半分だけ貧乏になろうと、もし決められたら、日本の国土は確実によみがえるでしょう。五十歳で死のうと決める。乱暴な言い方をすると、病気も運命として甘受しようという考え方さえある。
僕はだらしなくてちょっとでも熱が出るとあわてて薬を飲む人間ですから(笑)、偉そうなことはいえないけれど、この問題を突き詰めていくと、どうしても体を健康にしてむりやり八十歳まで生きなきゃいけないのか、なぜ人が死ぬのを食いとめなきゃいけないのかというところに突き当たってしまうんじゃないだろうか。

カレンバック でも、ご自分で、たとえば五十歳で死ぬということを、自分から進んで受け入れますか。( 中略 )

宮崎 ですから、長生きしたい、貧乏もしたくない、お腹いっぱい食べたい、その結果、こういう状況にきた。やり方を間違えたからじゃなく、文明の本質の中に、こういう事態を引き起こす原因があったんだと( 中略 )。

カレンバック そうおっしゃる場合に、二つのことを混同しないほうがいいんじゃないか。私たち人間も動物であって、動物というのは生きようとし、ものを食べようとし、なるべく気持ちのいい暖かい環境を選ぼうとする。そのこととは別に、たとえば金持ちになりたいとか、より多くのものを食べたいということは人間の作りだす文化に属するのではないか。

宮崎 その本能を文化という形で追求してきた結果が、こうなったということ。つまり本能を発揮するときに、僕らは社会を構成し、分業し、ものをつくり、ものを売り、よかれと思って追求してきた結果、こうなってしまった。

カレンバック (こうなってしまった)とおっしゃるけれども、どこの社会でも同じような文化を築いたわけではない。( 中略 )私たちの文化も、方針を変えて違う方向に進もうということができるんじゃないか。( 中略 )大変なことだし、時間もかかるけれども。

宮崎 話がズレてるところが、とても大事な点だと思うんですけど、自然という問題について、自然の中に自分がいるという考え方と、自然をいかに上手にあやつりながら一緒に暮していくかというのは、違う考え方なんじゃないか。( 中略 )
僕は悲観論ばかりいってるようなんですけど、実は滅びるとわかってても元気に明るく生きられると思ってる人間なんです(笑)。だって、みんな死ぬとわかってても、ちゃんと生きてますからね。(笑)。









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2013年01月31日

フィルムアート/デイヴィッド・ボードウェル&クリスティン・トンプソン(意訳 ―― 2)




映画作品はそれぞれ特定の技法をパターン化して発展させる。そのように、特定の技法の選択をまとまった形で発展させる意味のある使い方を、スタイルと呼ぼう。
スタイル(A)と形式上のシステム(B)は相互作用している。

(A)スタイル ―― 技法、ミザンセン、撮影法、編集、音
(B)形式上のシステム ―― 物語、カテゴリー・ジャンル、レトリック、抽象、連想


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3 形式の上のシステムとしての物語
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 物語構成の原則
 ストーリー情報の流れ
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(プロデューサーのアーサー・フリード)がわたしの方にやってきてこう言った。『いったいそれで何をしようというのだね?』『まだわからない』とわたしは返答した。『でも、わたしが歌わなくてはならないこと、そしてそこには雨が降っていなくてはならないことはわかってるんだ』。それまでの映画のなかに雨が降ったことはなかったんだよ。
―― 俳優兼振付師、ジーン・ケリー 『雨に唄えば』について 119





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4 ミザンセン ―― 舞台、照明、衣装、演出
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わたしたちが経験するのは絵画でも小説でもなく、映画である。
ここからは映画媒体の特徴を理解していく。
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・ショットに関する二つの技法
・ミザンセンと撮影法
・ショットとショットを関係づける技法、編集
・映像と音との関係

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●ミザンセン 172
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本来フランス語であるmise-en-sceneは「(劇を)舞台上にのせること」を意味し、そもそもは、戯曲を演出することに適用された。
映画的には「映画のフレーム内に現れるものを監督がコントロールする」という用語。

●ミザンセンとリアリズム 173
現実世界(における人間の振る舞いや様式)=リアリズムとし、これを基準にミザンセンの有効性やリアリティを評価しようとする向きがある。しかし現実世界のリアリズムは「文化、時代、個体差」によって再定義される動的な(暫定的な)ものでしかない。
また映画作品を構成する要素にしても、各時代の影響ありきで成立しているので(例:1950年と2010年の言葉遣いは同じじゃない)厳格な「リアリズム」に則ったミザンセン分析は妥当性を欠いた「非現実」に陥る危険性《パラドックス》がある。

●リアリズムを標榜する
ミザンセンは、ミザンセンの一形態・志向でしかなく、それとはまったく異なった効果 ―― 喜劇的な誇張、超自然的な恐怖、抑圧された美など ―― を追求するケースも多々ある。
ミザンセンが映画内でどのように展開され変化していくか、そして他の映画技法や諸作品とどのような関係性があるかに留意すること。

【 ミザンセン 】
主に
1.舞台設定(セッティング)
2.照明
3.衣装
4.演出
がこれにあたる。

●舞台設定(セッティング) 175
――
演劇では、人間が何よりも重要である。スクリーン上では、ドラマは俳優なしでも成立しうる。バタンと音をたてて閉まるドアや、風に舞う木の葉、浜辺に打ちつける波によって、ドラマチックな効果を高めることができる。いくつかの映画の傑作では、人が単に、添えもののような装飾として、あるいは、真の主役である自然に並置されるものとして使われている ―― アンドレ・バザン" target="_blank">
――

●セッティングの勘所
・既存の場所を選ぶ
・セットを作る
・色、デザイン
・小道具(マグガフィン)

●照明 186
フレーム内の明るい領域と暗い領域が助けとなって、各ショットの全体的な構図が生み出され、それによって、観客の注意が特定の事物やアクションへと導かれる
またハイライトと影は空間の感覚(ニュアンス)、構図、バランス、形や質感を生み出し、強弱(光量)にコントロールされる。
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明るさ ―― 木目、模様、光沢、輝きなどの意味、象徴
暗さ ―― ミステリやサスペンスなど「覆う、隠す」ことの心理的な効果
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・キーライトとフィルライト 188
主光源と副光源。
映画の照明にはこの二つが組み合わされている。
キーライト、フィルライト、バックライトの「三点照明」が映画の基本的な照明のセット。
これによって奥行きの発生、立ち位置におけるキーパーソンの起立、画面内の視線の誘導とモデルの優劣やプライオリティを示唆できる。

・影
二つの基本タイプがある。
 付随的な陰=陰影
 投射的な影=投影

「光にはすべて、もっとも明るい点と、拡散して完全に見えなくなる点がある。……その中心の核から暗闇のなかへ溶けて消えていくまでの光線の旅は、光の冒険でありドラマである」 ―― フォン・スターンバーグ 187

「カラー映画でクロースアップを撮影するときは、背景に視覚的な情報が多すぎます。背景は、顔から注意をそらしてしまう傾向があるんです。だから、古い白黒映画の女優の顔はすごく鮮明に思い出されるんです。( 中略 ―― ノスタルジックに)ディートリッヒ……ガルボ……ラマールを思い出すでしょう? 白黒で撮影されると、被写体がまるで内側から光を当てられているように見えるからです。顔が過度にスクリーンに露出されて現れると ―― いわゆるハイキーの技法で、欠点も消えるんですけど ―― 、まるで明るい物体がスクリーンから立ち現れるように見えたのです」 ―― ネストール・アルメンドロス(撮影監督) 188


・ライティングのタイプ 187
 フロント・ライティング ―― 影を取り除こうとするライティング。平面的にモデルを浮かび上がらせる。サイドライトとのセットで容貌を立体的に浮き立たせられる。
 バックライティング ―― 被写体の後ろから。シルエットを生み出すことが多い。フロントとの組み合わせで、目立たない光で輪郭をはっきりさせることができる。(=エッジ・ライティング、リム・ライティング)
 アンダーライティング ―― 被写体の下から。容貌を歪めて見せる。恐怖を煽ったり、熱源・光源を示す。
 トップ・ライティング ―― 真上から。グラマラスなニュアンスを出す。

●演出 192
――
演出は俳優の演技を助け、創造性を豊かにする。
・視覚的要素 ―― 外見、身振り、顔の表情
・音声 ―― 声、効果音
(現実的であることが「良い/正しい」演技ではない。映画内における自律性と必然性を鑑みること。(たとえば突飛なSFやコメディと、シリアスなドラマとでは求められる演技が違う)
上の「ミザンセンとリアリズム」を参照すること)

また、ミザンセンにおける演出は人物に限らない。
ここにあげた諸要素の形象《フィギュア》をいかにコントロールし、多様な運動と複合的なイメージを作り出せるかが監督(スタッフ)の腕にかかっている。

※なぜミザンセンが観客を捉える? 201
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人間の視覚システムは、時間的にも空間的にも「変化」を知覚するのに適している。言い換えれば「差異を認知することに適している」のだ。
さらに、「見る」という意図と汲み取られる情報は、観客それぞれの経験に基づいて質が決定される。ここにも差異が機能している。
こうして「印象付けの技法」であるミザンセンがその複合的な作用でもって、観客の印象を決定的な役割を担う。


フィルムアート/デイヴィッド・ボードウェル&クリスティン・トンプソン(意訳 ―― 1)











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2013年01月26日

フィルムアート/デイヴィッド・ボードウェル&クリスティン・トンプソン(意訳 ―― 1)




フィルム・アート -映画芸術入門- [大型本]
デヴィッド ボードウェル (著), クリスティン トンプソン (著), 藤木 秀朗 (翻訳), 笹川 慶子 (翻訳), 飯岡 詩朗 (翻訳), 板倉 史明 (翻訳), 北野 圭介 (翻訳), 北村 洋 (翻訳)

――――――――――――――――
本書は、評価はおおむね最小限に抑えている。
文中に取り上げる作品は、この本が想定する平均的な水準(クオリティ)を上回るが、目的は評価付けではなく、映画作品の芸術的なシステムを理解する手がかりを書き起す点にある。
本書を読み通すことで、自律的に映画を楽しむための学識的な基盤を習得してもらいたい。 ―― 57

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1 映画制作、配給、興行
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映画のメカニズム
映画を作る
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―― ニューヨーク州北部の映画館経営者
食べ物を売ることがわたしの仕事です。映画館でたまたま働いているだけです。 9



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2 映画形式の意味
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 映画形式という概念
 映画形式の原則
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“映画形式”のまとめ
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「原因/結果、ストーリー/プロットの区別、動機づけ、平行性、オープニングからエンディングへの進行、語りの範囲と深さ」は映画分析に有効なカテゴリー(見立て、見通し)だが、すべての分析にこれらを当てはめる必要はない。
批評家は、実際に分析を行うことをとおして、こういった分析道具によりよく慣れ親しむようになり、自らのアプローチを分析対象の特定の作品に合わせて、柔軟に使いこなすのが望ましい。
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「システム、機能、要素、ヴァリエーション」
―― システムとしての形式 46
どんな映画作品もシークエンスをより大きな全体へと結びつけるように観客を導く。しかし、このプロセスはどのように働くだろうか。無機質な物体、紙の上の詩、公園の彫刻が、どのようにしてわたしたちをそんな知覚活動へと導くのか。
( 中略 )
わたしたちの知覚活動は、芸術作品自体のなかにはない。詩は、紙の上の言葉に過ぎない。歌は単なる音波の揺れだ。映画は、単に、スクリーン上の光と闇のパターンにすぎない。物体は何もしない。
芸術作品とそれを経験する人は、むしろ、相互に依存し合っているのだ。

芸術作品が受け手の知覚活動に与える手がかり ――
こうした手がかりはけっしてランダムなものではなく組織されている。
ここでは、相互に依存し合い、影響し合う複数の構成要素のまとまりを“システム”と呼ぼう。

※映画作品は諸要素がランダムに配置されてはおらず、形式を備えている。
 映画の形式とは、広義には、作品全体の構成要素間に認められる諸関係の総合的なシステムを意味する。

―― 機能 57
映画の形式が諸要素の多様なシステムの相互関係からなる全体的なまとまりであるなら、この全体における各要素はすべて一つ以上の機能をもっていると考えられる。すなわち、すべての要素はシステム全体の内部で、一つ以上の役割を果たしている。

―― 要素について 58
要素の機能を把握するのに有効な一つの方法は、その要素の存在にとってほかのどんな要素が必要であるかを問うことだ。
( 中略 )
形式上の機能について問う際に問題なのは「この要素はどのようにそこに盛り込まれたか」ではなく、むしろ「この要素はそこでどのような働きをしているか」や「それはどのように見る人が反応する手がかりを与えているか」ということあ。
ある要素の機能に気づく一つの方法は、その要素の「動機付け」を考えること。

―― 分析するなら「類似と差異」を突き止めろ! 60
反復とヴァリエーションは表裏一体である。一方に気づけば他方にも気づく。映画作品を分析する際には、類似と差異を探るべきだ。両者を行き来することで、モチーフを指摘し、そこで起きているさまざまな変化を対比し、反復としての平行性を認識し、さらには決定的なヴァリエーションを突き止めることが出来る。

「物語とは何か」 66

●物語とプロット
―― 物語に欠かせない「因果性、空間、時間」
物語は、“時間と空間”のなかで生起する“因果関係をもつ出来事”の“連鎖”である。
原因と結果のパターンに応じて、さまざまな変化が生じ、新たな状況が終わりを告げる。
いわゆる「物語内」の出来事がまとめられた文脈。
(ここでいう物語は、一般的には「ストーリー」とされる概念)

―― プロット
プロットは観客の前に映し出される映画作品中で、視覚的・聴覚的に示されるものすべてを言い表す用語。
ここには物語内の出来事が含まれ、さらにはそこにない要素(音楽や監督・スタッフの情報など「非物語的/物語外」要素)までもが包括される。


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●『市民ケーン』のプロットのセグメンテーション 90
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C.クレジット・タイトル
1.ザナドゥ:ケーンが死ぬ
2.映写室:
 a.「行進するニュース」
 b.記者たちが「薔薇のつぼみ」について議論する

3.エル・ランチョのナイトクラブ:トンプソンがスーザンに取材を試みる
4.サッチャーの図書館
(第1フラッシュバック)
 a.トンプソンが入室し、サッチャーの日誌を読む
 b.ケーンの母親がサッチャーに連れられていく息子を送り出す
 c.ケーンが成長し『インクワイアラー』紙を買収
 d.ケーンは『インクワイアラー』紙で大企業への攻撃を開始
 e.大恐慌:ケーンはサッチャーに自分の新聞社系列会社を売却
 f.トンプソンが図書館を退室

5.バーンスタインのオフィス
(第2フラッシュバック)
 a.トンプソンがバーンスタインを訪問
 b.ケーンが『インクワイアラー』紙を買い戻す
 c.モンタージュ:『インクワイアラー』紙の成長
 d.パーティー:『インクワイアラー』紙が『クロニクル』紙のスタッフの獲得を祝う
 e.リーランドとバーンスタインがケーンの外国旅行について話す
 f.ケーンが婚約者エミリィと帰国
 g.バーンスタインが思い出話を終える

6.老人ホーム
(第3フラッシュバック)
 a.トンプソンがリーランドと話す
 b.朝食のテーブルのモンタージュ:ケーンの結婚生活が悪化
 c.リーランドが回想を続ける

(第3フラッシュバック つづき)
 d.ケーンがスーザンと出会い彼女の部屋に入る
 e.ケーンの選挙運動がスピーチで最高潮に達する
 f.ケーンがゲティーズ、エミリー、スーザンと対面
 g.ケーンが選挙で負け、リーランドは異動を願い出る
 h.ケーンがスーザンと結婚
 i.スーザンのオペラ初演
 j.リーランドが酔い潰れたので、ケーンがリーランドの劇評を仕上げる
 k.リーランドが思い出話を終える

7.エル・ランチョのナイトクラブ
(第4フラッシュバック)
 a.トンプソンがスーザンと話す
 b.スーザンが歌のリハーサルをする
 c.スーザンのオペラの初演
 d.ケーンが、スーザンに歌を続けるよう説得
 e.モンタージュ:スーザンのオペラ歌手としての経歴
 f.スーザンが自殺をはかり、ケーンはスーザンに引退してよいと約束
 g.ザナドゥ:退屈するスーザン
 h.モンタージュ:スーザンがジグソーパズルで遊ぶ
 i.ザナドゥ:ケーンがピクニックに誘う
 j.ピクニック:ケーンが、スーザンを平手打ちにする
 k.ザナドゥ:スーザンがケーンのもとを離れる
 l.スーザンが思い出話しを終える

8.ザナドゥ
(第5フラッシュバック)
 a.トンプソンがレイモンドと話す
 b.ケーンがスーザンの部屋を壊し、文鎮を拾い上げながら「薔薇のつぼみ」とつぶやく
 c.レイモンドが思い出話しを終える:トンプソンが他の記者たちと話す:みんなが去る
 d.ケーンの所持品が捜査され、薔薇のつぼみの秘密が明かされる:門の外観、城の外観:完結

E.終わりのクレジット


―― 古典的ハリウッド映画 86
古典的ハリウッド映画の物語の前提には、主として「因果的な作用因としての個々の登場人物からアクションが生じる」という考えがある。自然や社会問題が作用しているケースもあるが、ほとんどが「個人の心理的原因 ―― 決心、選択、人物的特徴」を中心に展開する。
その中でも最も重んじられるのが「欲望」である。

―― 個人=主人公のいない映画 87
『戦艦ポチョムキン』『十月』『ストライキ』など1920年代のソヴィエト映画では、主人公として機能する個人が一人もいない。
またリヴェット『狂気の愛』やアルトマン『ナッシュヴィル』では主人公を取り除く試みが行われているし、小津安二郎の映画では、出来事の多くが登場人物ではなく、より大きな力によって引き起こされる。
(エイゼンシュテインなら社会的な原動力、小津ならば森羅万象)


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2 “映画形式”のまとめ 100
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―― 形式上の構造を理解するために
物語映画を見る場合、次のような問いが形式上の構造を理解する助けになる。

1.ストーリーとプロット
どのストーリー上の出来事がプロット上で直接的に提示されているか。また、観客はどの出来事を想定したり推測したりしなければならないか。プロットには、非物語世界的なものがあるかどうか。

2.冒頭とその後のシーンの因果関係
観客が知る最初のストーリー上の出来事は何か。それは因果関係の連鎖をとおして、どのように後の出来事と関係しているか。

3.時間 〜並び、シーン同士の関係、恣意性と編集性
ストーリー上の出来事の時間的な関係はどうなっているか。時間的な順序、頻度、時間経過はプロット上でどのように操作され、出来事に関する観客の理解にどのように影響しているか。

4.オチ/サゲの様式
エンディングははっきりとした展開パターンを反映し、それをオープニングと関係づけているか。物語の進行はすべて完結しているか、それとも、未解決のままのところがあるか。

5.語り
語りはストーリー情報をどのように観客に提示しているか。一人か数人の登場人物の知識に制限されているか、それとも、さまざまな空間の登場人物たちの間に自由に広がっているか。語りは、登場人物の心理状態を探り、それによってストーリー情報にある程度の深さを与えているか。

6.古典との相違
その映画作品は、古典的ハリウッドの慣例にどれほど忠実にしたがっているか。もしその慣例から逸脱しているなら、どのような形式上の原則を代わりに用いているか。

7.ジャンル
ヒューマン、ホラー、サスペンス、SF……作品のタイプを見極める。


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A guide to film art - film art - [Large-sized book]
David A bow dwelling (work) and Christine Thompson (work) and Fujiki Hideo (translation) and Sasagawa Keiko (translation) and Iioka Shiro (translation) and Itakura Fumiaki (translation) and Kitano Keisuke (translation) and Kitamura 洋 (translation)
????????????????
Evaluation is minimizing this book in general.
Although the work taken up in a sentence exceeds the average level (quality) which this book assumes, the purpose is that it begins writing the key which understands not evaluation attachment but the system of a movie of art.
By reading through this book, the learning base for enjoying a movie autonomously should be mastered.
??
57
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1 Moviemaking, Distribution, Performance
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The mechanism of a movie
A movie is made.
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It is my work to sell the movie theater managerial food of northern ?? New York State.
It is only working by chance in the movie theater.
9

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2 Meaning of Movie Form
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The concept of movie form
The principle of movie form
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The conclusion of "movie form"
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"it is the range and the depth of the advance to ending from distinction of a story/plot, motivation, parallelism, and opening, and narration as a result of" the cause /-- a category (selecting prospect) effective in movie analysis -- it is necessary to apply these to no analysis but
As for a critic, it is desirable to push [ actually analyzing and ], to get used well with such analysis tools, to come to be familiar, and to master one's approach flexibly according to the specific work for analysis.
------------------------
Form as a "system, function, element, and variation" ?? system 46
A spectator is led so that any movies may tie up a sequence to the bigger whole.
However, how is this process committed?
How do the poetry on a minerals object and paper and the sculpture of a park lead us to such a perceptual action?
(Omission)
There is no perceptual action of ours in the work of art itself.
Poetry is only the language on paper.
A song is the shake of a mere sound wave.
Movies are the light on a screen, and only an illegal pattern.
No objects are carried out.
A work of art and those that experience it depend for each other mutually rather.
The key which a work of art gives to a recipient's perceptual action.
Such a key is by no means random, and is organized.
Here, it depends for each other mutually and I will call a "system" a settlement of two or more components which influence each other.
* Elements have not been arranged at random but the movie is equipped with form.
The form of a movie means the synthetic system of relations accepted between the components of the whole work in a broad sense.

?? function 57
If the form of a movie is the overall settlement which consists of correlation of a system with various elements, it will be thought that the whole of each element in this whole has one or more functions.
That is, all the elements have played one or more roles inside the system whole.
About ?? element 58
One method effective in grasping the function of an element is asking what kind of other elements being required for existence of the element.
(Omission)
all that matters when asking about a pro forma function -- "how this element to have not been incorporated there" but ことあ rather "what kind of work this element is carrying out there" or whether "whether it to have given the key to which those who see how react."
One method of noticing the function of a certain element should consider "motivating" of the element.
Trace "resemblance and a difference", if ?? analysis of is done!
60 repetition and a variation are two sides of the same coin.
You will also notice another side, if you notice one side.
You should explore resemblance and a difference, when analyzing a movie.
To going both back and forth, a motif can be pointed out, various change which has occurred there can be contrasted, the parallelism as repetition can be recognized, and a still more decisive variation can be traced.

[ "what it is with a tale" ]? 66- tale and plot
A "causality, space, and time" tale is "a chain" of "the occurrence with causal relationship" which occurs in "time and space". [ to be indispensable to ?? tale ]
According to the pattern of a cause and an effect, various change arises and a new situation ends.
The context in which the so-called occurrence "in a tale" was summarized.
(Concept by which a tale here is generally made a "story")
?? plot
A plot is a term which describes all the things shown visually and auditorily in the movie projected before a spectator.
Even the element (non-tale elements "outside a tale", such as music and information of a supervisor and the staff) which the occurrence in a tale is included here, and also is not there is included.
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- Segmentation of a plot of "citizen Kane" 90
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C. Credit title 1. Xanadu : 2. projection booth where Kane dies:
a. "news which marches"
b. Journalists argue about "a rose bud."
Nightclub of El Rancho : 3. Library (1st Flashback) a. Thompson of 4. Thatcher to whom Thompson Tries Coverage to Susan Enters Room, Thatcher's diary The mother of b. Kane who reads the son by whom it is accompanied to Thatcher c. Kane who sends out grows, buying-over d. Kane is "inquirer" paper about "inquirer" paper, and, as for start e. Great Depression:Kane, sale f. Thompson leaves [ the attack to a major company ] a library for his newspaper publishing company subsidiary company to Thatcher.

5. Bernstein's Office
(The 2nd flashback)
a. Thompson visits Bernstein.
b. Kane repurchases "inquirer" paper.
c. Growth of montage:"inquirer" paper
d. f. Kane to whom e. Leyland in whom party:"inquirer" paper celebrates acquisition of the staff of a "chronicle", and Bernstein talk about Kane's traveling abroad goes back with fiance Emily.
g. Bernstein finishes a reminiscence.
6. Home for the Aged
The montage of the table of b. breakfast which a. Thompson says as Leyland: (The 3rd flashback) In Kane's married life, aggravation c. Leyland continues recollection.
(3rd flashback continuation)
d. Kane meets Susan and goes into her room.
e. Kane's election campaign reaches the climax by a speech.
f. Kane meets ゲティーズ, Emily, and Susan.
g. Kane loses at an election and Leyland requests for a change.
h. Kane is an opera premiere of Susan and marriage i. Susan.
j. Since Leyland got dead drunk, k. Leyland whom Kane makes to Leyland's dramatic criticism finishes a reminiscence.
7. Nightclub of El Rancho
(The 4th flashback)
a. Thompson talks with Susan.
b. Susan does the rehearsal of a song.
c. Premiere of Susan's opera
d. It is a promise, when career f. Susan as persuasion e. montage:Susan's opera singer may aim at [ that Kane continues a song to Susan and ] suicide and Kane may return to private life to Susan.
g. Xanadu: -- bored Susan h. montage: -- i. Xanadu: which Susan plays with a jigsaw puzzle -- j. picnic: which Kane invites to a picnic -- l. Susan in whom k. Xanadu:Susan to whom Kane makes Susan a slap leaves Kane's basis -- recollections -- finish the talk
8. Xanadu
(The 5th flashback) b. Kane whom a. Thompson tells Raymond breaks Susan's room, c. Raymond who murmurs "a rose bud" while picking up a paperweight -- recollections -- : which :Thompson who finishes the talk says as other journalists -- the appearance:conclusion of the appearance of :gate where last d. Kane's personal effects are investigated for everybody, and the secret of a rose bud is revealed, and a castle
E. The last credit

?? classic Hollywood film 86
There is an idea mainly "action arises from each characters as causal 作用因" in the premise of the tale of a classic Hollywood film.
Although there is also a case where nature and a social problem are acting, most develops focusing on "an individual mental cause ?? decision, selection, and the person feature."
A "desire" is most respected also in it.
?? individual = movie in which a hero is not On Soviet movies of the 1920s, such as "87 "battleship Potemkin" month, October", and a "strike", one person does not have an individual who functions as a hero, either.
Moreover, the trial which removes a hero in a rivet "crazy love " and Altman "Nashville" is performed, and many of occurrences are caused by not characters but bigger power on Yasujiro Ozu's movie.
(If it is Eizenshtein and is a social driving force and Ozu Nature)
------------------------
Two "movie form" conclusions 100
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??
When you see a tale movie in order to understand a pro forma structure, the following questions help to understand a pro forma structure.
1. Story and Plot
The occurrence on which story is on a plot. The occurrence is shown directly?
Moreover, which occurrence does the spectator have to assume [ an occurrence ] or guess?
a plot -- a non-tale -- are some global or not?

2. What is the occurrence on the first story that the causal relationship spectator of the scene of the beginning and after that knows?
Does it push it in a causal chain and how is related to Ushiro's occurrence?
3. Time ? Do you stand in a line and what has happened to the relation of scenes, and the time relation of the occurrence on arbitrariness nature and an edit story?
A time order, frequency, and time progress are on a plot, how were operated, and how influenced an understanding of the spectator about an occurrence?
4. Style of Punch Line/サゲ
Has ending connected it with opening reflecting the deployment pattern carried out clearly?
They completed all advance of a tale or have that as is unsolved however?
5. Narration
How has narration shown the spectator story information?
Is it restricted to the knowledge of the characters of one person or several persons, or spread freely among the characters of various space?
Did narration explore the state of mind of characters and given story information a certain amount of depth by it?
6. Difference with Classic
Is the movie in the custom of classic Hollywood however faithfully therefore?
Supposing it has deviated from the custom, what kind of pro forma principle is used instead?
7. Genre
Human one, horror, suspense, SF .... The type of a work is discerned.
Tag: Strike Chain Parallelism Motif Nature October Crazy love Rivet Soviet Yasujiro Ozu Nashville Altman Personal effects Montage Quality クリスティン bow dwelling David Film art System Cause Form Manager New York Thompson Plot Story Ending Opening Parallel Motive Critic Range advance Approach Tool Category Analysis Whole Sequence Process Spectator Repetition Difference Two sides of the same coin Variation Causal relationship Segmentation Citizen Kane Xanadu Rose bud El rancho Projection booth Flashback Library Thatcher Nightclub Breakfast home for the aged Inquirer Resemblance Organization Random Screen Minerals Premiere Opera Climax Speech Rehearsal Dramatic criticism Jigsaw puzzle Picnic Classic Hollywood film 作用因 Causal Hollywood Potemkin Action

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2013年01月23日

出発点 1979〜1996/宮崎駿 (1)




●親に食い殺されるな〜無垢に捧ぐエートス
(ぼくは)少年・青年と成長していくにしたがって( 中略 )いい子ではいけない、自分の目で見、自分で立ち上がって生きていかなければと気づき、それが高じて、子どもの本質的な純粋ささえもないがしろにしようとし、しかも、受験という暗ヤミ状況もあって、恨みツラミの劇画を描いたんですね。
それが「白蛇伝」を見て、目からウロコが落ちたように、子どものすなおさ、大らかなものを描いていくべきだと思ったわけなんです。しかし、親というものは、子どもの純粋さ、大らかさをややもすれば踏みにじることがあるんですね。そこで、子どもに向かって「おまえら、親に食い殺されるな」というような作品を世に送り出したいと考えたのです。親からの自立ですね。 82

●魅惑と畏れ〜映画を見ていた子どもたちが、一斉に椅子の下に隠れた
どこかの幼稚園で(の上映会か何かで?)、トトロの穴蔵にメイが入っていった時、子どもたちが椅子の下に隠れたということを聞いて、うれしかったですね。子どもにとって、恐いとか、不気味というのは、可愛いとか、面白いとかと交ざっているんです。ワクワクするというのは、どこかで怖いんですよ。それを分けてしまって、小鳥やお花、蝶々が可愛くて、こちらは気持ち悪いとか、害を与えるものと、分けるのは間違いですね。ビールビンもラムネのビンも蝶々も、どこかで世界がくっついているんですよ。それを大人の価値観で分けて、「蛇が出てきたらキャーと言うべきだ」とやっちゃうから、実につまらない子どもたちができてくるんですね。 557



『マイトレイ/エリアーデ』〜魅惑についての覚書
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急にマイトレイの顔が見たくなり、書庫へ行った。
この物語にとってその日のことは重要な意味がある。日記を書き写そう。
<彼女はうち萎れて、半泣きだった。ぼくはきみに呼ばれたので来たと言った。その言葉に彼女はびっくりした。そのあと、手紙の途中だからまた、と別れた。書き上げて戻って行くと、マイトレイは机の前の長椅子で眠っていた。
呼び起こした。彼女ははっとして、目を大きく見開いた。ぼくはひたと見つめた。彼女は目と目を合わせてぼくの視線をむさぼり、ささやくように「なあに?」と訊ねた。そのあと彼女はもう声が出ず、ぼくの方も問いかけることができなかった。二人は陶然としてじっと見つめ合い、得も言われぬ同じ優しく流れるものに身を委ねたまま、抵抗できず、魅惑を振り捨ててわれに返ることができなかった。その情動をうまく描写できない。その前では魂が何一つあらがおうとしない、静かで同時に凶暴な喜び。天上の幸せに、恩寵に関わっているかのような、官能を超えた諸感覚の至福。初め、その状態はただ見つめ合うだけで保たれていた。それから、二人は互いの手に触れ始めた。それでも目は離さずに。荒々しい握り締め、献身の愛撫。(注記/その直前にチャイタニヤの神秘愛について読んでいたので、自分の体験をここで神秘的用語で表現している。)その次は、自然に、手への接吻。彼女はほとんどわれを忘れて、情熱的に(しかも純潔に)唇を噛みしめていたから、唇にもキスできたろうし、何でもできたろう。ぼくは力を振り絞って自制した。状況は危険そのものだった。階段から丸見えだった。マイトレイは神秘的情動状態である。(注記/当時私はヴァイシュナヴ派の文献の影響で、日記で盛んに「神秘的」という用語を使った。いずれにせよ、殴り書きの手帳に書き留められたこの日のできごとの注釈は、終始「神秘的体験」ばかりだ。こっけいなもの。)もう一度、なぜぼくたち二人は結ばれることができないのかと訊ねた。彼女は震え上がった。試そうとして、ぼくは彼女がタゴールに教わった純潔を危険から守るためのマントラを二度唱えてくれと頼んだ。しかしながら、それを彼女が繰り返した後も、魅惑は消えなかった。これで彼女に証が立ったわけだ。というのは、二人の経験は、正直な肉感として表明されているにもかかわらず、性ではなくて愛に根ざしているとぼくも信じていたから。ぼくは、触感による、視覚による、肉による超自然との接触という人間的驚異を感覚し、検証した。この経験は、二人が疲れはてるまで二時間続いた。それは、相手の視線を見つめるだけで、いつでもまた始めることができるのだった>
マイトレイは、私にサンダルを脱いで足を彼女の方へと言った。初めての足の接触の興奮を決して忘れることはあるまい。それまでに堪え忍んできた嫉妬羨望のすべてが酬われた。くるぶしとふくらはぎのこの忘我において、いまだかつてなかった形ですべてを私に与えきったのだと分かった。テラスでの情景は忘れた。これほど神々しく私をだますことはだれにもできないだろう、この足の接触ほどには、と私は胸につぶやいていた。 88



●子育ては大変
子育ては本当に大変で、終わると「今度はもう少し、うまくできるんじゃないか」という気がするんですが、その時はもう体力がないんです。 558


●迷惑をかけあうのが人の世
「他人に迷惑をかけない」なんてことはありえないのだと思います。愛情と善意に溢れていても、互いに自分の影を押しつけあい、迷惑をかけあって、育ったり暮したりするのが人の世なのだと思うようになりました。 170

●本物の自律と、満たされない思いに
本当に自分というものが確立している人間は、どこへ行っても誰に対しても、同じ態度がとれるはずなんです。( 中略 )世の中に出ていくということは、そういうことをいっぱいやらなくてはいけないんです。そうやってうまくいったかどうかということじゃなくて、それで満たされない部分があるということが問題なんです。そういうときに何がいちばん自分たちを満たしてくれるのだろうか。 514

●愚かさは否定できない〜自覚、自意識、我が身だって・・・・・という痛覚
ひどいときには駅員にこの改札口でいいのかどうか、訊くことすらできない、町の中でどの道を行けばいいのか、立ち止まって見回すのも恥ずかしい。ひたすら違う道を歩いてとんでもないところへ行ってしまう。そういう愚かなことをいっぱいやって( 中略 )この歳になったら、そういうことを一種ほほえましく客観的に見られるようになったんです。
( 中略 )
誰でも経験があると思うけど、いろいろとバカなことをやってるいんですよ、人間は。だからそれをよくないとか正しくないと否定することはできないと思うんです。いくらでもやっていいということじゃなくて( 中略 ―― 思い出したら叫びたくなるようなことも)やってるいるわけだけど、それも必要なんだ、そういうこともやらなきゃいけないんだ、という感じかな。 516

●加速の時代に〜仕事があるという感動 518(意訳)
日本はまだ仕事がいっぱいあると思っているから、仕事を持っていること自体にみんな感動を持っていないけど、世界的にみれば仕事がない国のようが多い。学校を出たらそのまま失業とか、そういう国のほうが多いんです。
( 中略 )アメリカが債権国から債務国になったのは第一次世界大戦のときで、それからピークを迎えたのは五〇年代。( 中略 ―― アメリカの経済が落ちてきたといわれるが)それはイギリスの全盛期のヴィクトリア時代から没落していくまでの期間よりも、はるかに短い。中国の春秋戦国時代だったら五百年でももっていた( 中略 ―― 貧乏や戦争があっても、それくらいは)。ソ連も昔の王朝なら三百年はもったのに、社会主義体制が七十年しかもたなかった。時代にものすごく加速がついている。



――――――――――――――――
【 時代について 】(BT 2012_7 『デミアン・ハースト』)
――――――――――――――――
H 僕がやったことの多くは、あるいは若いアーティストがやることの多くは、すでに誰かがやったアイデアと同じだったりする。何かをやるためには美術史を貪るように勉強しなければだめだ。そうすることで、自分にしかできない何かのための用意ができる。あるとき、自分がつくっているものに、僕が生きている時代がまったく反映されていないと気づいた。 「今はどんなものが意味を持つんだ?」 
ある意味、今までこんな時代はなかった。とにかくたくさんのことが起きている。現状に対応するには、今までとは違う方法で臨む必要がある。まずは自分の過去に立ち戻ってみよう。ということで、リーズの解剖学博物館で人体を観察してドローイングを描いていたことを思い出した。
僕が求めていたのはダヴィンチとは違った。僕の興味が直接的に向かっていたのはタンクの構造だった。それをそのまま作品にした。
 48



●カオスの時代を生きていく 519(意訳)
(紅の豚の)製作に入ったとき、時代の転換点に来たなということは感じていたのですが、( 中略 ―― 今までは、どんな時代か把握した上でやってきたつもりだけれど)、この転換点がどういう変化をもたらし、どんな意味を持っているか……よくわからないまま作るしかなかった。
作り終えて、見極めがつきました。
一言でいって「グチャグチャになりながら、それでも生きていくしかない」ということです。
八〇年代までの未来観として、ある種の終末論があったと思うんです。日本がこのままどんどん大きくなって、ある日ドカーンとなにかがはじけて、文明が一挙に滅びたり、東京に再び関東大震災がきて、一面焼け野原になったりとか。( 中略 ―― ひどいことになると思いつつ)みんなそうなったらしえせいするだろうなという、願望があったと思う。
一種、終末観すら甘美だったんですよ。
それが九〇年代に入って、ちょうど「紅の豚」の企画が動き始めたころですが、ソ連は崩壊し、民族紛争が激化して( 中略 ―― 日本では)経済のバブルが弾けたのを目の当たりに見てきた。そう潔い終末は来ないと感じるようになったんです。
( 中略 )
二十一世紀というのはケリがつかない。全部引きずって、同じばかなことを繰り返しながら、それで生きていくしかない。(気候も環境も悪くなって)アトピーや神経症、エイズや癌患者も増える一方で、いろいろなことに脅えながら、それでも何とか健気に生きていこうと、子どもをなるべくたくさんつくって、時代と一緒に生きていくほうがいいんだと。日本だけ鎖国して、世界と離れて生きていくことができない以上、人口は増えつづけていく世界のなかであいつらが悪いんだといって鎖国するとか、人種間戦争をやるとかじゃなくて、まあしょうがない、一緒に生活しようよ、頭に来ることがあっても我慢しあって暮そう、それしかないし、それがいいという見極めがついたんです。
これで、ぼく自身はあと十年半ぐらいは元気で生きていられるんじゃないかな。「紅の豚」でそんな元手を手に入れたような気がします。(「アニメージュ」一九九二年八月号) 520

●暮らしのレベルでやれることをやる〜総論ではなく各論 532(意訳)
人間、どうも各論と総論のあいだのギャップが分裂しているからうまくいかないんですね。ところが往々にして、人間は各論で満足できるんです。
総論で俯瞰して眺め下ろすと、これはもうダメだ……と鬱々した気分に陥るんだけど、下へ降りて状況をあらためて見てみたら、目の前にはキラキラした道があって、歩いてるとなんとなく元気になったりする。どこに目線を定めるかで考え方は変わる。それもどうなんだろうと思うところもあるけれど(笑)
僕はシンポジウムや講演で壇上から大きなことを喋るより、車に乗って排気ガスを出したりダメな自分でダメに生きてることを忘れずに、暮らしのレベルでやれることをやっていきたい。本当はこういうことについてだって、なにも言いたくない。言い訳もアピールもしたくない。黙ってやっていたい。

【 矛盾的自己同一 ―― 西田幾多郎西田幾多郎 】



最晩年に示された「絶対矛盾的自己同一」は、哲学用語と言うより宗教用語のように崇められたり、逆に厳しく批判されたりした。その要旨は「過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて、現在から現在へと働いていく」、あるいは、鈴木大拙の「即非の論理」(「Aは非Aであり、それによってまさにAである」という金剛経に通底する思想)を西洋哲学の中で捉え直した「場所的論理」(「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」)とも言われている。そこには、行動と思想とが言語道断で不可分だった西田哲学の真髄が現れている。


●手塚治虫との訣別〜まったく無意味な死しかないのだ!
描いたものが手塚さんに似ていると言われました。それは非常に屈辱感があったんです。模写から入ればいいと言う人もいるけどぼくは、それではいけないと思い込んでいた。( 中略 )手塚さんに似ていると自分でも認めざるをえなかったとき、箪笥の引き出しいっぱいためてあったらくがきを全部燃やしたりした。全部燃やして、さあ新しく出発だと心に決めて、基礎的な勉強をしなくてはとスケッチやデッサンを始めました。でもそんなに簡単に抜けだせるはずもなくて…… 232

【 サッカーの長友との酷似 】 Number" target="_blank">Number 
「高校進学のために福岡へ発つ時、友人たちが渡した手紙や写真を破り捨てる場面がありますが、これは新たなスタートを切るための儀式的なものと言えるのかもしれません。こうした自己暗示によってモチベーションを上げ、より厳しい努力を積み重ねることができるのは、極めて重要なメンタルスキルと言えます」




ブラッドベリがやってくる/レイ・ブラッドベリ
劣等感を宿していると、ただただ経験不足によって、本当に技術が劣化することが多い。 157


虫プロの(作品である)『ある街角』を見た時、僕は手塚治虫に本当にさよならが出来ました。戦争をかざりたててます。終末の美(美という言葉を使いたくないだけれど)のナルシスムです。ヤマト(『戦艦ヤマト』)と同じ、あの世代特有のいやらしさが、ポスターのあの二人の男女の燃える様に現れている。そのクセ、少女だけが生き残っている。いや生き残らせる為に原爆をさけ、通常戦争にした。( 中略 ―― 戦争を省み、戦争を考え、戦争を表現するならば)あの小さな女の子には、まったく無意味な死しかないのだ! と描くしかないのです。 147

カチン族の首かご/妹尾隆彦
――――――――――――――――
送還乗船物品検査のとき、検査に来たイギリス軍の兵隊が聞いた。
「この紙は何か」
「今次大戦中のわたしの体験をつづった記録であります」
わたしは正直に答えた。
「キロク? 前もって指示されてあるとおり、そのような書き物の持ち帰りは許されぬ」
イギリス兵は無情に言った。
絵画、写真の類はダメだと聞いたが、個人の記録についてそのようなことは聞かぬ。わたしは必死になって抗弁したが「ノー」の一点ばりだ。
数次の戦闘中も、あの白骨街道さえ、命に代えてもと守りとおしてきた記録である。
これこそわたしの夢であり、命でさえもある。これを取り上げられたら、今のわたしに何が残るのだ……
クワーッと血が頭にのぼってきた。
英兵につかみかかろうとするわたしをおさえて、戦友が叫んだ。
「バカなまねはよせッ。今そのようなことをして、われわれの帰還に影響を与えては重大事だ。記録なぞ帰国後思い出して書けるではないか」
わたしは涙をのんで、かれの言に従った。
一時は、エピソードの創作者か、と見えた一面をもつ戦争も、所詮、徹底した悲劇の演出者にほかならなかったのだ。
刻明にしるした記録の没収とともに、わたしのカチン高原に対する夢も持ち去られてしまった。
わたしは、精魂こめたわたしの記録を、無造作にぶら下げて去るイギリス兵の背中を、万感こもる目でいつまでも、いつまでもにらみつけていた……


●リミットは五百億人
アシモフというSF作家が試算していますが、五百億人というのは、地球上の光合成でつくられる有機物の限界であると。(そのときには人間以外の生き物は全滅してる) 202



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Starting point 1979?1996-/Hayao Miyazaki (1)
- Don't let parents 食い殺? As it grows up with the 捧ぐ ethos boy and the youth innocently (omitted) in a good child, [ bad ] There is also a dark ヤミ situation of taking an examination. Did he notice [ it was going to see by its eyes, and ] if it rises by itself and does not make a living, and did it develop, and you were also going to neglect a child's essential pure support, and did it moreover, draw the graphic novel of grudge ツラミ?
It looks at "white 蛇伝", and as the scales dropped from the eyes, it is a reason for having thought that a child's gentleness and a generous thing should have been drawn.
Parents are disposed to trample [ however, ] down a child's purity and generosity.
Then, I thought that he would like to send out at a world a work which says toward a child, "Don't let you and parents 食い殺."
It is independence from parents.
82
(Parents will be society and will be organization.)
at the same time it does substitution of child-rearing that Mr. Miyazaki is carrying out messaging to a child, and he was not occupied with work -- one's childhood = -- balance is maintained somehow or other as a social oppression and power are irrational
- When May went into the cellar of トトロ, I was glad to have heard that children hid under the chair in some kindergarten (it is ? at a show meeting or something) where the children who were seeing the movie hid under the chair all at once.
if interesting when if fearful eerie are lovely for a child -- it is mixed.
It is dreadful that it is exciting at somewhere.
It is a mistake which it is divided and is divided with if a little bird, flower arrangement, and 蝶々 are lovely and it is unpleasant here, the thing which does damage.
Also in the bottle of a soda, and 蝶々, the world has adhered [ the beer bottle ] by somewhere.
Since it will be divided in a grown-up sense of values and will do, saying "You should call it キャー if a snake comes out", can very petty children do it?
557

The memo about a dynamite lei / "Eliade" ? fascination
------------------------
As soon as the face of the dynamite lei saw and cooked suddenly, it went to the library.
That day has an important meaning for this tale.
I will copy a diary.
< -- she was dejected among them and on the verge of tears.
I said that I came since you were called.
She was surprised at the language.
since it is after it and in the middle of a letter -- again -- it separated.
It finished writing, it returned, and when it went, the dynamite lei was sleeping on the sofa in front of a desk.
It stirred up.
It was startled by her and she opened eyes wide greatly.
I gazed closely.
She united eyes and eyes and inquired with "what ?" that she coveted and whispered about my look.
In the back, voice was not able to come out of her any longer, and I was not able to ask.
Two persons could not resist, were not able to shake off fascination, 陶然と(ing), gazing at each other and leaving the body to the same indescribable thing that flows gently, and were not able to return to a crack.
The emotions cannot be described well.
No souls try to resist before that, and it twists, and is [ quiet ] atrocious joy simultaneously.
Extreme happiness of the feelings beyond organic functions as if it was concerned with the happiness on heavens at 恩寵.
At first, the state was maintained only by merely gazing at each other.
And two persons began to touch a mutual hand.
に [ it still does not look aside ].
Violent caress which it grasps tightly and is self-sacrifice.
(Since it was reading about the mysterious love of chai タニヤ notes / just before that, its experience is expressed in the mystical term here.) the next -- natural -- kiss in a hand.
She forgets most cracks, since she was biting her lip passionately (to purity [ Moreover ]), will also be able to kiss a lip and will be able to do it anything.
I strained my power and controlled myself.
The situation was very dangerous.
It was open from stairs.
A dynamite lei is mystical emotional status.
(I used notes / term [ in a diary ] briskly [ those days / the influence of a ヴァイシュナヴ group's literature ] of "being mystical".)
Anyway, "mystical experience always" of notes each time this day written down on the scribbled notebook is made from beginning to end.
Humorous thing. It was inquired once again why two of me could not be connected.
She shuddered up.
Trying to try, I asked recite twice the mantra for protecting from danger the purity which she learned from Tagore.
However, even after she repeated it, fascination did not disappear.
A proof stood on her now.
Because, two persons' experience is since I also believed when it took hold on the love instead of a sex in spite of having been expressed as an honest feeling of meat.
I sensed and verified a humane wonder by vision by tactile feeling called contact with the supernature by meat.
This experience continued for 2 hours until two persons were tired out.
It is > which only gazes at a partner's look and was able to be begun again at any time.
The dynamite lei removed sandals to me and told me the leg to her direction.
He never forgets excitement of contact of the first leg.
All the jealousy envy borne by then is 酬われたs.
In this trance of an ankle and a calf, it turned out that all had been given to me in the form which was not yet once.
He has forgotten the sight in a terrace.
I had murmured like the contact of this leg where nobody can do deceiving me that divinely on the breast.
88
- Child-rearing is serious.
Child-rearing is really serious, after it finishes, it is carried out [ mind "whether it can do well to a slight degree shortly" ], but it is already then weak.
558
- Negotiating about trouble is this world.
I think that there cannot be what "trouble is not made to others for."
Even if full of love and goodwill, its shadow is forced mutually, and I suit and came to regard trouble as this world negotiating, and growing up or living.
170
- Wherever real autonomy and the human being he has established truly to the thought which is not filled may go, he should be able to take same attitude against anyone.
(Omission) Going away in the world must do such a thing a lot.
かどうか [ having done so and having succeeded ] -- saying -- not but -- then, it is a problem that there is a portion which is not filled.
What fills oneself most at such a time?
514

- foolishness cannot be denied -- the pain [ body / ? consciousness, self-consciousness, and / my ] ..... when severe, it cannot even perform asking whether to be that as used in the field of [ a station employee ] this wicket -- it is also shameful what should just follow which way by Naka of a town, and to stop and look.
He will walk along the way which is different intently, and it will go to a surprising place.
if such a foolish thing is done a lot and it becomes this (omitted) age -- such a thing -- a kind -- it came to see objective agreeably.
(Omission)
although anyone thinks that he is experienced, it is doing that it is foolish in it being various -- it is absent -- man.
Therefore, I think that it is not good or cannot deny it that it is not right.
Isn't it that divide, however there is the touch which is not doing without limit and is doing (also in case of what he will want to cry and will become if an omission remembers) and to require that it is also required and that such a thing must also be done?
516
- Impression that the time of acceleration has ? work Since 518 (free translation) Japan thinks that there is still work a lot, although it does not have impression in having work itself wholly, if it sees globally, there is much よう of a country without work.
If it comes out of a school, there are [ unemployment and ] more such a countries as it is.
(Omission) It is the 50s to have reached the peak, when it was World War I of the United States having become a debtor country from the creditor country.
(It is said that the economy of the omission ?? United States has fallen) It is far shorter than a period until it goes to ruin from the Victoria era of the heyday of Britain.
When it was the years Age of Civil Wars in China, the peach was in 500 years (omitted.).
Even if there are poverty and war, it is.
If the Soviet Union was also an old dynasty, although it had 300 years, the socialism system had only 70 years.
Acceleration is extremely attached to the time.
????????????????
[About a time] (BT 2012_7 "Demi Anh Hearst")
????????????????
It is the same as the idea which someone already did many of that H I did or many of that a young artist does.
It is useless, if you do not study so that an art history may be coveted in order to do something.
By doing so, it is ready for something that he can do.
He has noticed that the time when I am alive is not reflected in what he is building at all at a certain time.
what kind of thing has a meaning now [ "] -- ?"
There was no such time a certain meaning and until now.
Many things have broken out anyhow.
In order to correspond to the present condition, it is necessary to face by the method different from former.
First of all, I will stand and return in my past.
It remembered having observed the human body in the anatomy museum in Leeds, and having drawn drawing by saying.
That I was asking differed from da Vinci.
It was the structure of the tank that is my interest Mukai directly and was.
It was made into the work as it was.
48

- Make a living the time of chaos. 519 (free translation)
(Pig of red) Although it felt having come to the turning point of the time when manufacture was started (omitted.),
It is what kind of meaning although he thinks that it came when it had grasped, what kind of time or, this turning point has by bringing about what kind of change until now.... It could not but make not understood well.
It finished making and ascertaining stuck.
It is saying at a word and saying, "While becoming グチャグチャ, it still cannot but make a living."
As a future view by the 80s, I think that there was a certain kind of eschatology.
Japan becomes large rapidly as it is, and ドカーン and something burst one day and civilization is ruined at once, or the Great Kanto Earthquake comes to Tokyo again, and it becomes a whole surface burned field, or
(Omitted.)
I think that it is said for the cause that it will carry out, and that it could carry out and there was a wish when becoming so wholly, thinking that it will be severe.
Even a kind and eschatology were sweet.
Although it is the time it will enter in the 90s and the plan of "the pig of red" began to move exactly, the Soviet Union collapses and an ethnic conflict intensifies (omitted.).
In Japan, it has found that the economic bubble was able to be flipped before its eyes.
It came to be thought that a so pure end does not come.
(Omission)
The 21st century is not finished.
It cannot but make a living dragging all and repeating the same foolish thing.
(Climate and environment worsening) If it is better to build a child in large numbers if possible if I will make a living bravely still somehow, and to make a living together with the time, being frightened of various things while atopy, neurosis and AIDS, and cancer cases also increase in number.
Only Japan closes the country, if it cannot separate with the world and cannot make a living at all, in the world which continue increasing in number, those fellows say that population is bad and it closes the country, or it is not and well unavoidable, when race war is done -- it will live together -- ascertaining that I will bear and will live [ will be and ] even if it may come to the head, and that only it had good it stuck.
It is the kana which ten more years and a half of me itself are fine, and cannot be valid now.
I feel that such capital was got with "the pig of red."
(The "アニメージュ" August, 1992 issue) 520
- it does that it can do on the level of a life -- not ? introduction but particulars Since the gap between particulars and an introduction is divided somehow, doesn't it work 532 (free translation) human being?
however, it is alike occasionally, it carries out and man can be satisfied with particulars.
if it looks down and watches and takes down to an introduction, this is already useless -- although it falls into .... and the feeling which 鬱々(ed), if it gets down downward and a situation is looked at anew, at hand, there is a way which shone, and if you are walking, it will become fine somehow.
A view changes by where its eyes are defined.
Although there are it and a place which thinks will be what how (smile), I would like to do that it can do on the level of a life, without forgetting riding in a car, giving off exhaust gas or being alive useless by oneself rather than speaking a big thing from a platform in symposium or a lecture. [ useless ]
I do not want to say none even of such things in fact.
I do not want to carry out an excuse and appeal.
I would like to be silent.

It was worshipped like a religion term and was conversely criticized severely rather than it called it a philosophy term it "is the same in inconsistency self absolutely". [ which it was shown at maximum later years ]
The summary "The past and the future deny mutually in the present, the Ai ながらも is connected, and it works from the present to the present,", Or it is also called "the logic regarding the place" ("self is the true self at the place which denies self") which recaught Daisetz Suzuki's "logic of 即非" (thought which 通底 to 金剛経 "A is un-A and it is just A by it") in European philosophy.
There, the essence of the Nishida philosophy which was [ that action and thought are inexcusable and ] indivisible has appeared.
- Farewell from Osamu Tezuka? There is only meaningless death!
It was said that what was drawn resembled Mr. Tezuka.
It had a sense of humiliation very much.
Although there were some persons who say that what is necessary is just to enter from a copy, then, I was convinced that it is bad.
(Omission) When Mr. Tezuka was resembled and he did not get a private seal colander, either, scribble which the wardrobe pulled out and had been accumulated a lot was all burned.
All were burned, and the sketch and the sketch were begun so as [ now, ] to decide on the heart and not to carry out fundamental study, if it is a start newly.
But it cannot slip out so simply.... 232
"When leaving for Fukuoka for going to a high school, there is a scene of tearing and throwing away the letter and photograph which friends handed, but this may be able to be called ceremonial thing for having a new start.
It can be said to be very important mental skill that motivation can be raised and severer efforts can be stepped up by such autosuggestion."
■ If the /Ray Bradbury inferiority complex which Bradbury comes is conceived, technology will merely deteriorate truly by the shortage of experience in many cases.
157
When an insect pro's "(it is a work) a certain street corner" was seen, for me, Osamu Tezuka got good-bye truly.
War is decorated and built.
It is ナルシスム of the beauty (although he wanted to use the word "beauty" and it dropped off) of an end.
Yamato ("battleship Yamato") -- the same -- obsceneness peculiar to that generation has appeared so that those two men and women of a poster may burn.
Only the peculiarity and a girl have survived.
No, in order to make it survive, the atomic bomb was avoided, and it was made the conventional war.
(if omission ?? war is considered, war is considered and war is expressed) That small girl has only meaningless death!
It cannot but draw.
147
The Kachin fellows' head basket / Takahiko Senoo ????????????????
The soldier of the British army who came for the inspection heard it at the time of a repatriation boarding goods inspection.
"What is this paper?"
I who "am the record which spelled my experience in the present great war" answered honestly.
"キロク?
A takeout of such a document is not allowed as directed beforehand."
The British soldier said heartlessly.
Although he heard that the kind of pictures and a photograph is useless, it does not hear that it is such about individual record.
Although I became desperate and filed a protest, I am one-point ばり of "no."
It is the record which has kept protecting even that bleached-bones highway as even if it replaces with a life also during several battle.
This is just my dream and has even a life.
If this can be taken up, what will remain in present me....
クワーッ and blood have reached the head.
I who try to clutch at the Hanabusa soldier was pressed down, and the war comrade shouted.
"It brings near and foolish imitation is ッ.
It is a vital problem, if such [ now ] a thing is done and our return is affected.
after-homecoming recollections are carried out in record etc., and it can write -- coming out -- or there is nothing -- " -- I swallowed my tears and followed his word.
War with whether you are a creator of episode and the visible whole surface was also exactly a producer of the thorough tragedy after all temporarily.
With confiscation of the record described in 刻明, the dream over my Kachin plateau is also held away.
I hung record of たわたし easily in slight energy depth, and was glaring at last British soldier's back forever forever by the eye with which it is filled 10,000 admiration....
- Limits are 50 billion people.
50 billion people are as it is a limit of the organic matter built with the photosynthesis on the earth although a science fictioneer called Asimov is making the trial calculation.
(Then, living things other than man are wiped out) 202
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2013年01月17日

BT/美術手帖 2012_08号

BT 2012_08

bt_2012_08.jpg

【特集】写真2.0
ストリートビューや監視カメラが映し出す
世界の隅々までの画像を誰もが入手でき、
デジタル写真の解像度は人の視力を超えていく。
イメージが氾濫し変容するこの時代に、
作家たちは、写真の概念を鮮やかに更新する作品を生み始めた。
従来の枠組みにとらわれないことで現れた、
新たなプラットフォームのもと進化を遂げる、写真のこれからとは?


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画像とは、つきつめれば視覚的な刺激そのものではないか ―― トマス・ルフ 
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Thomas Ruff

Thomas Ruff

Thomas Ruff

Thomas Ruff

Thomas Ruff

Thomas Ruff


タイポロジー(類型学) 36
ガスタンク、給水塔、労働者用住宅、産業地帯など同種の建造物や景観などを、角度を変え、ある種のディスタンスをもって無数に撮影し、そこから被写体の実体を探り出そうとする学問。
ベッヒャー夫妻がオリジンとされる。




『デジタル写真、この未知の領域/清水穣』 50〜 
(ココに載せるのはまったくの自己流な解釈。本文は表記も単語も違ってる。気になる方はぜひ雑誌を)
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デジタル写真の本質は、写真史が培ってきたアイデンティティーとは別次元に現れる。
アナログとの比較に過ぎなかったこれまでのデジタル写真論をあらため、写真という概念を更新する、我々がまだ知らない表現の可能性に迫る。
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1.デジタル写真論の本質を問う前に ―― 写真史におけるアナログ思考からの脱却
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これまでのデジタル写真論は画像加工の有無痕跡性の有無という二つの論点を巡ってきた。
これはデジタル写真をアナログ写真のネガ(陰画)として論じる思考に由来する。
(このような短絡的な区分は、日本における「デジタル/テクノロジー/パソコンやアプリの登場と発達」の受容と「コンポラ写真(ポストモダンな作品群)」との遭遇が同時期だったことに主な原因がある)

不十分な考察だし、不健康・不健全。

モダンの枠組みに属さない写真 ―― 「デジタル技術をもって、アナログ写真を“なぞる”だけではない写真」こそがデジタル写真の名に値する。
社会のデジタル化は従来の写真の枠組みをも変化させたのであって、その枠組みを動かさずに、デジタルカメラやフォトショップの使用うんぬんをもって「デジタル写真」の定義とするのは妥当ではない。
(画像加工の有無がアナログとデジタルの境界線ではない)


【 アナログ写真が前提としてきた概念的なフレーム《二元論》 】

 あるがままに存在するリアルな世界
 (自然、真実、裸形、混沌、流動)
         VS
      表象の世界
 (作為、虚偽、装飾、体系、固定)


―― アナログ=モダン写真という等式が不可避的に孕んでしまう“無限ループ”
モダン写真および写真論は「作家意識を捨てた写真家が「リアル」にむけてシャッターを切って生み出す1枚の写真(A.)」を前提にする。(ファンタジー、先入観、ナルシシズム、固定観念……)
これは『1枚の写真の「1」を「リアル(=アイデンティティ)」の「1」と結びつけて疑わない』ステレオタイプな態度。

しかし、本来は写真もひとつの表象である以上、「リアル」でも「わたし」でもないため、「1」として確立・成立・自律していない。むしろ「そうでありそうで、そうでない」という不完全性に特徴がある。(作品にしても、個人にしても同様)
つまりモダン写真に定義された(決め付けられた)「1」の前提=二元論は成立しない。
(写真や個という存在、あらゆる芸術を成立させる原理・原則に照らし合わせたら、不当であり誤解とわかる)

「リアル」や「わたし」のあやうさ、あやふやさ、揺らぎは、上記した「アナログ写真が前提としてきた概念的なフレーム」の対立軸、対立項をも失効させるのだが、あたかもこの対置が正しいかのように語られ(盲目的に信仰され)る状況/心理は行き場を失くして彷徨う定めにある。こうして写真が(アーティストが)揺れ動き、答えの出ない循環(計算式の立て方からして間違っているので答えもなにもない)=無限ループから出られない。(撮り手も受け手も、語り手も)
これがアナログ=モダン写真の様相《病態》だ。

―― 写真論のアナログ症状
さらにデジタル写真をテーマにした論考についても底の浅さが否めない。
たいがい、デジタル写真論は「インデクス性の欠落」と「レフェランの希薄さ」 ―― つまり「デジタル写真の存在論的位相の話」に終始する。
『「かつて・あった」存在(レフェラン)から出た光が、不可逆的に感光物質を蝕んだその物理的痕跡(インデクス)を「いま・ここ」で目の前にしている』というアナログ写真の価値(ドラマ、美学、遺産、美しさ、健気さ、かけがえのなさ、素晴らしさ……)が、いわば「存在との直接的な紐帯」が、デジタル写真からは失われいる ―― と。
これは上に記した(A.)に通底する「アナログ写真的なフレーム=アイデンティティの喪失」の嘆きであり、じつにナイーブなスケッチだ。
(妥当でもなければ考察もしていない。感傷的になっているだけで、デジタル写真の本質を見つめようとしていない)
さらにはこのロジックはデジタル写真の本質を不問に付し、アナログ写真を延命させるために発明されたミスリードに過ぎない。
(言い換えれば“ふるきよき写真観”に依存したアイデンティのオブセッションによる、しごく感傷的な糾弾/排撃)
騙されたらいけない。

2.現代作家たちの表現に迫る ―― トーマス・ルフ、そして写真最初期との接点
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さきに述べたように、アナログ写真は「本来は人の肉眼で見えないリアルに接近(肉薄、暴露)し、そのアイデンティティを捕らえようとする、つまり不可視のアイデンティティを確保するメディア」として理解されてきた。
(やるのは撮り手であり、できているかどうかを判断するのは識者であり、撮り手への追体験と識者が分析した言葉とのマリアージュでもって神秘的な時間を過ごそうとするのが受け手という役割分担=三位一体)
じつのところ、現在デジタル写真として流通している(デジタル写真だと認識されている)多くは、デジタルエフェクトを加えたアナログ写真だ。

ならば「デジタル写真」とは、その働きとはなにか。

 A これまで前提とされてきた写真フレーム、ターム、ジャンルを相対化(映画が現実の、アナログ写真が絵画の本質や役割を再認識させたような対立項=作用/機能)する。
 B まだよくわかってない。デジタル写真がなんなのか。実態や正体についても、その可能性についても・・・よくわかっていない。

―― Aについての予見
1.デジタル写真は、黎明期の写真/写真家がやったこと(※2)を省みれば、概念的/技術的なフレームを成立させる時点前後の写真の在り方を蘇らせる。
2.モダンなフレームが排除した最初期写真の「特性・性格・技術・様相」に回帰し、すなわち「すでに古びているとされる技術や発想」をひもとき、結びついて再生させる。(原点回帰の相)
3.技術的に未熟・不足・未発達だった黎明期のメカニズム=抑圧的フレーム(そうでなければ写真が撮れなかった、映らなかった、印刷できなかった……などなど)を、デジタル技術を駆使して有機的(現代的、弁証法的……)に再現・再生する。

(※2)黎明期の写真家や写真批評家は、新しい写真術や芸術論よりもピカソやブラックなどアヴァンギャルドな画家の試み(それも、すこし時代を下った、その当時にしてみても「若干ふるい」メソッドや理論)に写真の特質やアイデンティティを模索した。
音楽史を参照しても、たとえば巨大シンセサイザーによるクラシック音楽をデジタル加工した富田勲の音楽が忘れられがちで、単純な旋律とチープなデジタル効果のサウンドだったクラフトワークが今なお新鮮という手がかが得られる。
「最先端のメディアやネット環境だけが最先端のデジタル写真を生み出す母体」という考え方には賛同できないし、おそらく間違っている。
本質的なデジタル写真の探究は原点回帰し、アナクロニズム(時代錯誤・時間交錯 ―― すでに失われたり古びていたり、使われなくなったメソッドやアイデア ―― 写真が生まれた時代に開発・発明された諸体系・発明・技術・・・)と邂逅を果たす。
来るべきデジタル写真とはここに産声をあげるだろう。


3.未知の可能性 ―― 写真のアイデンティティ更新の最先端
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・上記「B ―― 正直、デジタル写真って何なのか、まだよくわかってない」について
デジタル写真は未知のメディアだが、知るための手がかりは見つかる。
デジタル写真の解像度は、ついに印画紙=人間の目(の性能)を通り越し、動画と静止画の区別も簡単にはできなくなった。
これらはフィルムを前提とした写真観に納まらない現象だ。
デジタル写真はアナログ写真の擬態であることを止め、従来の写真のアイデンティティをさまざまなレベルで破壊し、連続的な表現へと展がりながら本性をさらすだろう。

・連続的な表現=デジタル写真の特性
「連続」とは無限に分割可能なことであり、それによってすべてが横滑り的につながることである。
デジタル写真は、かつてのように特定のメディア(フィルム、ネガ、印画紙、溶液、暗室……)に依存しない。
さらには「再現された光像はおおよそ写真である」とすれば、映写/投影される媒体はスクリーンであろうとパネルであろうと壁や立体であろうと……もちろんモニタでもテレビでもよし……増幅も増加も、コピーも同時上映も思うがままだ。アナログ写真の概念・スケール・様態とは次元を違える。
すなわちアナログが妄信してきた作品=リアル=アイデンティティ→「1」という自同性は解体され ―― 「1」枚の写真は多数の写真への経絡 ―― このとき「1」は複数化される。
あの“モダンなフレーム(フィルム写真および写真家、識者が愛好し、過信し、固定化させた“写真”の概念や様態の定義)”が抑圧してきたのは他でもない、あらゆるアイデンティティを脅かす、写真のこの原初的な力だったのだ。

(今後「ピント、絞り、色味、トリミング、レイヤー、静止画と動画……アナログ写真を構成していた要素や概念」は、デジタル写真の特性に均され、蘇生する写真本来の力(単数=複数性)とともに更新されていくだろう)

―― デジタル写真のトップランナー
最先端の作家の一人が松江泰治だ。
松江写真の諸特徴は、従来の写真観・基準・優劣の観点=写真美学とは別のベクトルからもたらされている。
たとえばピントは受け手に与えるニュアンスを繕うために施されているわけではなく、解像度を上げて潜在的画像を掘り起こした結果でしかない。(=美的感覚、作家の自意識による印象操作ではない)
色にせよトリミングにせよ、作家の美的感覚や意匠の託された写真技術とは別の次元で調和している。
静止画と動画の区分もまた、観念的な二元論「記録=死VSライブ=生」には依拠しない。
彼はデジタル写真の特性である「ピクセルの配列次第で、時空間の点線面が途切れなく連続する」というポテンシャルを汲み、凍結した時間と流れゆく時間の狭間を映し出す。
(写真でも動画でもない、停止でも流動でもない、停止であり流動であり、写真であり動画であるような「デジタルならでは」の映像世界)
この「動く写真(はっきりとは動かない動画)」が、アナログ写真の固定的・墓標的な写真観を揺さぶる。
ここに、いわゆる静止画でも動画でもない、あらたな中域=いまだ全貌が見渡せないデジタル写真の可能性の示唆がある。

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デジタルについて ―― 荒木飛呂彦
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日経トレンディ
「『ジョジョ』が25年続いている理由」―荒木飛呂彦氏が語る
2012年10月19日
荒木氏:僕が思うのは、デジタルって否定すべきことではないけど、デジタル作品はアナログに戻れないんですよね。一方で、紙に描いたイラストやマンガは簡単にデジタルに変換できる。だったら、アナログで描いていたほうが有利かなと僕は考えていて、紙へのこだわりは捨てたくないですね。
今回、「荒木飛呂彦原画展 ジョジョ展」をやらせていただいているんですけど、それはデジタルで描いていたらできなかっただろうなと思います。
こういうアナログに対するこだわりというのは、ヨーロッパでリアルの芸術作品から受けた衝撃、そういう原体験みたいなものが少なからずあると思いますね。















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【 著作一覧 】松本圭二

詩人。1965年7月9日生まれ。
三重県四日市市出身。三重海星 高校卒。早稲田大学第一文学部中退。詩人。フィルム・アーキヴィスト。
福岡市在住。市役所職員。

■詩集
ロング・リリイフ(1992年/七月堂)
詩集(1995年/七月堂)
詩集未製本普及版(1996年/アテネ・フランセ文化センター)
詩篇アマータイム(2001年/思潮社)
詩集工都(2001年/七月堂)
叢書重力 アストロノート(2006年/重力編集会議)

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■ロング・リリイフ/松本圭二

ここに収めた各詩篇の原形となるテクスト(多くはメモに過ぎない不完全な断片だったが)を書いたのは、一九八ニ年から八七年にかけてのおよそ五年間であり、年齢で言えば一七歳からニニ歳、たぶん、私がもっとも詩人らしくあった頃である。それらのテクストを、私は自室でこっそりと書き、長い間隠し持っていた。『ロング・リリイフ』のような詩集を私は二度と作ることはできないし、ここに収めたような詩を書くこともできない。多くの処女詩集がそうであるように、これは一回きりの跳躍である。ただし私は、第ニ詩集、第三詩集でも一回きりの跳躍を試みたつもりである。叶うことならば処女詩集だけを作り続けたい。その思いは、第四詩集『アストロノート』でも変らない。私は詩人の成熟など全く信じていない。


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■詩篇アマータイム/松本圭二

マルメラは小さな箱をみつけた
カンザスには古い河があったろう、そこで
箱の中身は仔犬の魂だった
父は仔犬を見ると必ず「のらくろ」と呼んでいた…
おまえはヘミングウェイを知っているか
僕は16歳で知った、ジョン・ウェインの親戚だ
マルメラもその頃知った
マルメラマルメラと教室で騒いでいたがそいつがマラルメだと気づいてどうでもよくなった、そんなへんな名前のやつは
カンザス、カンザス、唾の詩、詩の唾…
アレフのよだれが詩集『SUMMERTIME』からSの文字を消した
以後『アマータイム』と呼ばれるサタンの書には緑色の血が染みつくことになる
トッゲ・ド! ストゴド!


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■詩集 THE POEMS/松本圭二

ライラック号で来る
虚言使いの夏あり

室内からの廃風につつまれて
夏がうだる
羽虫たちはハイウェイの上空に集まり
死んだ

プラント
防波堤に沿い
巨人たちが倒立する
死んだ風を呼び
もう一度殺す

イノセンス
工都の闇に護られ
”私の家族は鉄を食べていた”


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ユリイカ(だっけな)に載ってた「青猫以後」の衝撃たるや ――
たぶん詩集に入ってる作品はリライトされてる。それも大幅に。
文芸誌に載ってるほうはフォントもいじられてるし文字のサイズも違って、レイアウトとデザインからして叫びがビンビンに伝わってくる。どっちも読んでみると面白い。詩集のほうは紙が青いので印象が違ってくるし。
オーヴァーダビングされてる声の束にやられるから。

本は全部欲しい。
古本にしても値段がふざけてて買えない。
『ロング・リリイフ』と『詩集工都』は都内の図書館に蔵書も無いらしく、読むことができない。
(※なんと二冊とも読めるっぽい! やった!!! 待ち遠しい!!!)
松本さんは再リリースしないだろう。
もし松本さんが死んで遺族が再発させようとしたら、奈落のそこから蘇ってとりついて、あたま狂わせて以降千年は成仏せずに護るだろう、じぶんの作品の権利を、にどと外に出さないと決めた言葉の群れを束ねるだろう。
おれだって一年前に書いた言葉ですら読みたくもない。
(冊子や本への(ブツへの)愛着はあるが、自分も文体も変化しすぎてて読めない)
WEBも閉じられてる。
松本さんは文芸誌に小説が載ったりしてるみたいだけど、そっちのリリースもないのか。
いま物を書いてるのか?
生きてる日本詩人で最強だ。業界内の優劣や村社会の持続にしか興味がないインテリどものことは知らない。そいつらはおそらく詩人じゃなく政治家か官僚だろう。言葉の偏差値。外交と内政。ただそれだけのために空しく消費される詩のような何か、銭や札束とそうかわらない響きのよい言葉。
松本さんはわけが違う。
崖の手前だとか駅のホームで読むのはやめたほうがいい。
煽られて倒れかねないから。(そうしたいなら止めない)

松本さんには会いたいが、そんな機会にあずかれるだろうか。
あずかれるはずだと信じて拳銃に油を差しているんだ。
弾は入っている。





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2013年01月14日

ゴダール的方法/平倉圭(意訳)





●脱結合と結合の操作のうちに存在するゴダールの「思考」を、ゴダールの方法で分析する
海面。波がスクリーンを覆う。風の激しいノイズ。不意に右スピーカーのノイズがキャンセルされる。不穏な笑い声が右スピーカーから鳴る。左スピーカーがピッチと音圧を変えてそれを繰り返す。爆音で踊る人影。船上の霧。断片的な会話。弦楽の音。レンズ交換する手の断続的ショット。スクリーンに向かって踊る人々の背。群れをなす魚。エジプトの象形文字。「会話」する猫たち。戦闘機の撃墜。話し合う男女の背後で窓ガラスに女がぶつかる。衝突音は二人の和声よりも鮮明に鳴る。すべては、ばらばらに見える。ばらばらに聴こえる。
ジャン=リュック・ゴダール(一九三〇−)の映画、『ゴダール・ソシアリスム』(二〇一〇)の冒頭約一五分間に現れるこれらの音 ―映像は、しかし、文字通りの意味で「ばらばら」なのではない。そこには即座には言語化できない連鎖の系がある。ばらばらなものたちは、持続する緊張のなかで不確かなまとまりを作り出している。ちょうど群れなす魚たちのように。ひとつの海面から立ち上がる無数の飛沫のように。
ひとつのものがばらばらになること。そしてばらばらなものたちが、ひとつになること。その脱結合と結合の操作のうちに、ゴダールの「思考」がある。正確には、ゴダールの映画の「思考」がある。その「思考」の論理をつかまえること。それが本書の課題である。本書は、ゴダールの映画が展開する「思考」の論理を分析する。 8(冒頭)
 
 私が思考するのではない。映画が思考する。私はそれを「目撃」するにすぎない。 ―― ゴダール 9

ゴダールの方法でゴダールを分析すること。

具体的には以下三つのことを意味している。
(1)映画を(擬似的に構成された)「編集台」で分析すること。
(2)映画を「思考」の問題として捉えること。
(3)その「思考」を「実例」として示すこと、またそこから生じる「不確定性」を分析の内部に回帰させること。
三つは相互に関連している。
先取りして言えばゴダールの「思考」は 「編集台」で操作される音と映像の「実例」提示がはらむ「不確定性」を作動の原理としている。

視聴の可能性は一つには確定されない。
ゴダールの映画には、そのような不確定な近くの領域へと観客を追い込んでいくような構造がある。
それを本書は、分析の時間的・空間的解像度を上げることでより強く問題化される「誤認」、ないし「溶解(ディゾルヴ)」の領域と呼んでおく。 18

●『勝手にしやがれ』で“やむにやまれず”発明されたジャンプカット 30
ゴダールは長編デビュー作『勝手にしやがれ』(一九六〇)において( 中略 )当初二時間三〇分近い古典的な犯罪映画として制作されていた『勝手にしやがれ』は、プロデューサーの要求により事後的に一時間近く縮めることを余儀なくされている。
要求に対してゴダールは、いくつかのエピソードを削るのではなく、描かれた事象内部の時間を細かく削るという暴挙によって回答する。
不連続な編集スタイルが発明される。
いわゆる「ジャンプカット」だ。
不連続化した事象が、観客の身体の自然な反応を置き去りにしたまま、映画を加速していく。
その不連続性はしかし、でたらめなタイミングで導入されているわけではない。

ゴダールの映画は「裂け目」や「ずれ」に満ちているとしばしば言われる。
しかし実際には、たんに「ずれ」をつくることだけが問題なのではない。
「ずれ」、すなわち映像諸要素が離散化されうるということは映画メディアの物質的条件に由来しており、ゴダールに固有の出来事ではない。映画の編集において、音 ― 映像諸要素が「ずれ」てしまうということは制作の日常茶飯事に属している。
むしろゴダール的結合の問題は次の二点から捉えられなければならない。
すなわち
1.音 ― 映像諸要素を脱結合化すること
2.それらを別の仕方で再結合すること

「あるイメージが強烈であるのは、それが粗暴だったり幻想的であったりするからではなく、諸観念の連合が、かけ離れていて、かつ正しいからだ ――ピエール・ルヴェルディ


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ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard, 1930年12月3日 - )
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フランス・スイスの映画監督、編集技師、映画プロデューサー、映画批評家、撮影監督、俳優である。パリに生まれる。ソルボンヌ大学中退。ヌーヴェルヴァーグの旗手。

前期:ヌーヴェルヴァーグの時代
1954年 - 1967年 『コンクリート作業』 - 『ウイークエンド』
シネフィルとして数多くの映画に接していた若かりし日のゴダールは、シネマテーク・フランセーズに集っていた面々(フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャン=マリ・ストローブ等)と親交を深めると共に、彼らの兄貴分的な存在だったアンドレ・バザンの知己を得て彼が主宰する映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』に批評文を投稿するようになっていた。すなわちゴダールは、他のヌーヴェルヴァーグの面々、いわゆる「カイエ派」がそうであったように批評家として映画と関わることから始めた。

数編の短編映画を手掛けた後、先に映画を制作して商業的な成功も収めたクロード・シャブロル(『美しきセルジュ』『いとこ同志』)やフランソワ・トリュフォー(『大人は判ってくれない』)のように、受け取る遺産も、大手配給会社社長の岳父もいないゴダールは、プロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールと出会うことで、長編処女作『勝手にしやがれ』でやっとデビューできた。公開されるや、一躍スターダムにのし上がる。ジャン=ポール・ベルモンドが演ずる無軌道な若者の刹那的な生き様という話題性のあるテーマもさることながら、即興演出、同時録音、自然光を生かすためのロケーション中心の撮影など、ヌーヴェルヴァーグ作品の特徴を踏襲しつつも、物語のスムーズな語りをも疎外するほどの大胆な編集術(ジャンプカット)とそこから醸し出される独自性とが高く評価された。
ジーン・セバーグが演じた主演女優には、ゴダールは当初は片思い状態で思慕していたアンナ・カリーナを想定していたが、本人の拒絶によりこのことは実現しなかった。しかし『勝手にしやがれ』の成功を背景としてカリーナとの関係は親密なものとなり、1961年に結婚。以降アンナ・カリーナは前期におけるゴダール作品の多くの主演女優を務めることになる。
長編第2作である『小さな兵隊』以降、1967年の『ウイークエンド』を1つの頂点として商業映画との決別を宣言する中期に至るまで、1年に平均2作程度という比較的多作なペースで作品を制作し続けるが、多分にスキャンダラスな物語設定や扇情的な数々の発言により、大ヒットとは言えないまでもコンスタントなヒットを続け、ゴダールは名実ともにヌーヴェルヴァーグの旗手としての立場を固めていった。
前期のゴダール作品は、ヌーヴェルヴァーグの基本3要素(即興演出、同時録音、ロケ撮影中心)とはっきりとしない物語の運び以外には、一見すると共通項の少ない多彩な作品群となっている。題材もアルジェリア戦争(『小さな兵隊』)、団地売春の実態(『彼女について私が知っている二、三の事柄』、1966年)、SF仕立てのハードボイルド(『アルファヴィル』、1965年)と広範囲に及んでいる。
またカメラワークやフレーミングといった映画の技術的/話法的な要素についても、1作ごとに場合によっては同じ作品の中でも異なったトーンが用いられており、この多彩さこそが前期ゴダールの特長であると言えよう。しかし、別な観点から見るならこれらの作品は、「分断と再構築」という2つの機軸によって構成されているという点においてはある種の統一感で貫かれており、事実、表面的な作風が異なる中期や後期に至るまで「分断と再構築」こそがゴダール作品の基底を成している。
また、前期においては「映画内映画」の要素を積極的に取り入れていたことも大きな特徴となっている。『軽蔑』(1963年)のように映画の制作自体を作品としたものから、『気狂いピエロ』(1965年)における主演のジャン=ポール・ベルモンドがスクリーンを見ている観客自身に語りかけるような話法に至るまで、様々な「映画内映画」の要素が盛り込まれ、こうしたメタ映画的な構成の目新しさもゴダール人気を煽る一因となっており、一時ゴダール風と言えば映画の「内」と「外」とを意識的に混在させる手法と受け取られたことすらあったほどである。しかし、一般的にはファッションとして受け取られることが多かったメタ映画の構造も「分断と再構築」と並んでゴダール(作品)の根本的に重要な要素であり、後期においてそれが更に深化されることになる。
ジャン=ポール・ベルモンドの爆死をクライマックスとする『気狂いピエロ』の大ヒット以降、パリ五月革命に向かって騒然とし始めた世相を背景に、ゴダールの作品は政治的な色合いを強めていく。『小さな兵隊』がアルジェリア戦争を揶揄してのものであったことからもわかる通り、ゴダールは初期のころから政治に対する志向が強く、政治的なテーマや題材をあまり取り上げることがなかった他のヌーヴェルヴァーグの作家たちとはこの点においては一線を画していた。

中期:商業映画との絶縁・政治の時代
1967年 - 1978年 『たのしい知識』 - 『うまくいってる?』
1967年8月に、ゴダールはアメリカ映画が世界を席巻し君臨することを強く批判すると同時に、自らの商業映画との決別宣言文を発表した。
「われわれもまた、ささやかな陣営において、ハリウッド、チネチタ、モスフィルム、パインウッド等の巨大な帝国の真ん中に、第二・第三のヴェトナムを作り出さねばならない。 そして、経済的にも美学的にも、すなわち二つの戦線に拠って戦いつつ、国民的な、自由な、兄弟であり、同志であり、友であるような映画を創造しなくてはならない。」

− ゴダール、『ゴダール全集』4巻(1968年刊)

パリ五月革命の予言もしくは先取りであるなどと言われる、マオイズムをテーマとして取り上げた『中国女』(1967年)において既に政治的な表現の傾向が顕著になっていたが、ゴダールを本当の「政治の時代」へと踏み入らせる直接のきっかけとなったのは1968年の第21回カンヌ国際映画祭における「カンヌ国際映画祭粉砕事件」だった。コンテストの必要性の有無を巡る論争を契機として発生したこの事件においては、トリュフォーとルイ・マルとが最も戦闘的な論陣を張り、ゴダールの関与は必ずしも積極的なものではなかった。しかし、この事件をきっかけとしてゴダールの周囲や各々の政治的な立場・主張に亀裂が入り、作家同士が蜜月関係にあったヌーヴェルヴァーグ時代も事実上の終わりを告げるに至った。プライベートにおいても女優アンナ・カリーナと1965年に破局が決定的になり、『中国女』への出演を機に1967年にアンヌ・ヴィアゼムスキーがゴダールの新たなるパートナーとなった。この後『ウイークエンド』(1967年)を最後に商業映画との決別を宣言し『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画に復帰するまで、政治的メッセージ発信の媒体としての作品制作を行うようになる。
また商業映画への決別と同じタイミングで、自身が商業的な価値を持たせてしまった「ジャン=リュック・ゴダール」の署名を捨てて、「ジガ・ヴェルトフ集団」を名乗って活動を行う(1968年 - 1972年)。ソビエトの映画作家ジガ・ヴェルトフの名を戴いたこのグループは、ゴダールとマオイストの政治活動家であったジャン=ピエール・ゴランを中心とした映画製作集団であり、この時期のパートナーであるアンヌ・ヴィアゼムスキーもメンバーとして活動に加わった。反商業映画イコール政治映画という図式で語られがちであるが、この時期のゴダールの政治的な映画といってもそれは旧来の政治的プロパガンダの映画とはまるで違い、映画的思考というものの変革を信じ、目指した彼にとって極めて純粋な映画運動であった。
1972年、『ジェーンへの手紙』完成をもって同グループは解散、ゴダールはアンヌ=マリー・ミエヴィルとのパートナーシップ体制に入る。
かつて、映画の父エイゼンシュタインは、映画は概念を表現することが出来るものであり「資本論」の映画化さえも可能であるといった。この時期のゴダールはそれを実践するために邁進したともいえる。
1作品ごとに、現代の社会と人間の真実の姿に迫ろうと試み続けてきたゴダールは、ヌーヴェルヴァーグ時代の後期あたりの映画作品からは1作ごとに彼の作品から、いわゆる娯楽性を薄皮一枚ずつ剥ぎ取り、また一般的な芸術性をも剥ぎ取ることでギリギリまで思考を明確にする映画を目指していった。その結果、映画は極めて政治的な思想的闘争宣言の表現の場へと異化していく。もはや、同志的な観客のための映画でしかなく、不特定な多数の観客の存在を考慮しない告発の映画であった。事実、彼は一般商業映画館での作品を上映する事ですら、『体制に順応している』として強固に否定するような立場まですすんでいった。
前期のゴダールが一言で言えば躍動感と瑞々しさとを特徴とするのに対し、中期のゴダール作品は映画を政治的なメッセージ発信の手段にした為、映像表現は禍々しいものへと変化していった。前期においても文字や書物からの引用は行われていたが中期においてはそれが更に顕著なものになり、膨大な映像の断片と文字、引用(スローガン、台詞、ナレーション)とが目まぐるしく洪水のようにあふれ、詰込まれた作風が特徴とされる。しかし、中期においてもゴダールは映画を単なるメッセージ発信のための手段として利用するのではなく、映画で何が可能なのか、そして何が不可能なのかを自省しつつ作品を作り続けていた。例えば中期の皮切り作品と言えるオムニバス映画『ベトナムから遠く離れて』(1967年)において、クロード・ルルーシュを始めとする他の監督たちがデモのドキュメンタリーや反戦活動家のメッセージといった直接的な反戦運動を取り上げていたのに対し、ゴダールはパリにおいてカメラを操作する自分自身をカメラに捉え、ベトナムに関する映画を制作することに関する自問自答を延々と撮し続けている。
ローリング・ストーンズが出演し、アルバム『ベガーズ・バンケット』のレコーディング風景が収録されたことで多くの話題を呼んだ『ワン・プラス・ワン』(1968年)においても、様々な場面や場所で多様な人が政治的なメッセージを読み上げるシーンと、試行錯誤しているストーンズのリハーサルシーンとを交互に重ね合わせることにより、当時の政治的な状況を、メッセージとしてではなく映画作品として具体的に体現(再現)する実験を試みている。なお、この映画は本来ならレコーディングは完了せずに終る予定であり、未完であることにこそ本質的な意味があるとゴダールは考えていたのであるが、制作者側の商業的な意図により作品の最後で完成した「悪魔を憐れむ歌」が挿入されてしまった。ゴダールが激怒したのは言うまでもない。この作品はゴダールが活動資金稼ぎを目的として制作されたもので、中期に位置するものの商業映画(イギリス資本)としてゴダールの署名で制作されている。

後期1:『映画史』以前
1979年 - 1987年 『勝手に逃げろ/人生』 - 『ゴダールのリア王』
『勝手に逃げろ/人生』(1979年)で商業映画への復帰を果たしてから以降今日に至るまでが後期に相当するが、後期においてもおおよそ1980年代に相当する「『映画史』以前」と1980年代末から1998年『映画史』の完成に至るまでの「『映画史』の時代」、さらにこれ以降今日に至るまでの「『映画史』以降」に区分けすることができる。
「『映画史』以前」の作品群は、ゴダールの作品の中でも最も馴染みやすいものであると言える。他の時期に比べ物語の筋立てがある程度わかりやすいものになっているし、ゴダールの造形的な才能がいかんなく発揮された美しい映像が惜しむことなく展開されているからだ。トリュフォーをして「彼こそが本物の天才だ」と言わしめたゴダールの映画的なセンスは衆目が認めるものではあったが、前期や中期においてはその期待を敢えて裏切るように画面の審美性から遠離った画作りをすることが少なくなかった。
後期においてはこうしたカメラワークとフレーミングにおける実験的な要素は影を潜め、メタ映画レベルの挑戦が主軸に位置されるようになる。
「『映画史』以前」の段階では、「『映画史』の時代」で大々的に用いられることになるテキストや音楽、音声の「分断と再構築」は、余り積極的には用いられてはいない。クラシック音楽が基調となっているという点では後期全般に同一の傾向が認められはするものの、「以前」の段階ではまだBGMは画面を彩るものとして活用されており、音声やテキストの多重化は限定的なものだった。
しかし、実はその発端は『映画史』の制作着手よりも10年近く前に制作された『フレディ・ビュアシュへの手紙』(1981年)にある。これはローザンヌ市の市制500年を記念して市からの依頼に基づいて制作された作品で、映画を制作すること自体を、記念映画を制作することに関するゴダールの内省をフィルム化した内省録風の作品で、何かについて語った映画ではなく、語ることそのものあるいは「について」と言うこと自体を対象としたメタ構造を持つ作品だった。確かに上述の通り前期においても既にメタ映画的な要素は活用されてはいるが、その時点においては部分ないしは要素あるいは作品に対する味付けとして用いられていたに過ぎない。これに対し『フレディ・ビュアシュへの手紙』は、メタ要素そのものが対象となっているという点で新しく、その後に続く作品の道筋が提示されていたと言えよう。また『フレディ・ビュアシュへの手紙』においては語る私(=ゴダール)の直接的な登場や文字(テキスト)の活用など『映画史』以降を構成する基本要素がいくつも提示されていた。

後期2:『映画史』の時代
1988年 - 1998年 『ゴダールの映画史』(『言葉の力』 - 『オールド・プレイス』)
1989年に第1章と第2章が発表され、1998年に第4章の完成をもって完結する『映画史』的なものが中心となるのが、「『映画史』の時代」である。ここにおいて「分断と再構築」の構造は更に深化を遂げ、映像、声(台詞)、テキスト、そして音楽がそれぞれのレベルで分断され、1つのシーン(作品)として再構築される。「政治の時代」におけるテキストやメッセージの活用、「『映画史』以前」における映像の「分断と再構築」の深化が一つになって結実したのが「『映画史』の時代」の作品群であると言えるだろう[誰によって?]。
ビデオ作品として制作された『映画史』は、一般的な意味における映画史に関するカタログ的な解説ではない。何の修飾詞も付けず「映画史」と題されてはいるが、ここで参照され言及される作品は極めて限定されたものに過ぎない。その構成要素は、1950年代までのハリウッド、ヌーヴェルヴァーグを中心としたフランス、イタリアのネオ・レアリスモ、ドイツ表現主義およびロシア・アヴァンギャルド等、その他ヨーロッパ諸国の作品が圧倒的多数を占めており、非欧米では日本から4人の作家(溝口健二、小津安二郎、大島渚、勅使河原宏)とインドのサタジット・レイ、イランのアッバス・キアロスタミ、ブラジルのグラウベル・ローシャ、台湾の侯孝賢が参照されるのが目立つ程度であり、大方の非欧米圏はあっさりと無視されている。時代的にも著しい偏りが見られ、1970年代以降で取り上げられているのは殆どが自分の作品だけであり、大半が1950年代までの「古き良き映画」である。
この基本構造は『フレディ・ビュアシュへの手紙』によって実現されたものと本質的な違いはないが、題材や対象範囲の広さ、「分断と再構築」の深度は比較にならないほどの進化を遂げている。ビデオ作品である利点を最大限に生かし、多重引用やリピートなどが盛んに行われており、ただ漫然と眺めているだけでは多くの参照元の推定すら難しいほどの加工が施されている。そしてこうした再構築もビデオクリップ作品のようにおもしろおかしさを基本に構成されているのではなく、その真偽の程はともかくとしても全4部、各部ごとにAとBとに分けられた合計8章ごとに一定のテーマが設けられ、それに従って引用やらコラージュが成されているので、見る側には極度の緊張と集中とが求められることになる。
ゴダールの1990年代は『映画史』の制作に力を注ぎ続けていたと言えるだろうが、『新ドイツ零年』(1991年)や『JLG/自画像』(1995年)もほぼ同傾向の作品と見なすことが可能であり、まさに「『映画史』の時代」であった。しかし、同時に『ヌーヴェルヴァーグ』(1990年)、『フォーエヴァー・モーツアルト』(1996年)のように1980年代と似たような構成、すなわち「分断と再構築」とを基調としながらも物語やある種のテーマ性を持った作品も作り続けている。

後期3:『映画史』以降
1999年/2000年 - 『二十一世紀の起源』- 最新作
『映画史』完了後の2001年に製作された『愛の世紀』もこの系列に位置している。
1990年代以降顕著になった無数の短篇群、オムニバスへの参加により、ゴダールが監督として、あるいは俳優として参加した映画作品は、140を超える。2010年には新作『ゴダール・ソシアリスム』を公開する。








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2013年01月13日

カッサンドラ/クリスタ・ヴォルフ 中込啓子訳



『カッサンドラ』



〜エピグラフ〜
またもや手足をとろかす官能《エロス》がわたしを揺する、苦甘く、御しがたく、闇にうごめく一匹の獣が。 ―― サッフォー


ここだったのだ。ここにあの女《ひと》は立っていた。今は頭が欠けているこの二頭の獅子の石像が、あの女《ひと》を見つめていた。かつては難攻不落を誇ったこの城塞が、今では瓦礫の山と化している。これが、あの女《ひと》の見た最後のものだった。忘れ去られて久しい敵と、幾世紀もの歳月、そして太陽や風雨がこの城塞を取り毀《こぼ》してしまった。悠久不変に、空は濃青色のかたまりとなって、はるかな高みにある。間近には、巨岩をキュクロプス式に嵌め込んだ城壁が、きのうもきょうも変わることなく、道なりにつづいている。獅子門のほうへと。その門の下から、血があふれ出てくることなどはない。暗闇の中へと。殺戮の場へと。しかも、たったひとりで。
この物語を語りながら、わたしは死へと赴いてゆく。 (冒頭)


パントオスはあの連中をよく知っていた。それに、わたしのことも。わたしは一人の男も絞め殺さなかった。ポリュクセネ、わたしは ―― 遅すぎる告白をしたいわたしの気持ちを黙って認めてね ―― わたしはあの男のものになっていた。つまり、あの男があなたか、わたしか、どちらに神官の資格を授けるか、まだ決まっていなかったときに、もうあの男にあてがわれていたの。いとしい妹、わたしたちはこんなこといちども話さなかったわね。すべてが目くばせで、どっちつかずの言いまわしばかりだった。 365

アイネイアス。愛しい人。あなはご自分でそうと認めるはるか以前から、わたしのことをわかっていらした。生き残った者すべてに新しい支配者たちが、その掟を定めることになるのです。じつに明白なことなのですが、大地は支配者から逃れてやっていけるほど大きくはないのです。アイネイアス、あなたには選択の余地などなかったのです。というのも、数百人の部下を死から救ってあげなくてはならないのですから。あなたは、この人たちの先導者なのです。もうすぐ、すぐにでも、あなたは英雄になるにちがいありません。
そのとおりだ! とあなたは叫びました。それで? ―― あなたの目で、あなたはわたしを理解していたのだ、と察しました。英雄というものをわたしは愛することができません。あなたがひとつの立像を変容するのを、わたしは身をもって体験したくないのです。
愛する人。そんなことはぼくの身に起こらない、とはおっしゃらなかった。あるいは、きみならぼくがそうなるのを防いでくれるだろう、ともおっしゃらなかった。英雄を必要とする時代などに、わたしたちは、全然歯が立たないのです。このことを、あなたはわたしと同じくらい理解していらした。あなたは蛇の指輪を海中に投げてしまいました。あなたは遠くに、はるか遠くに行かなければならないでしょう。しかも、その先に何が待ちかまえているのかは、おわかりになっていないのでしょう。
わたしはあとに残ります。
この痛みは、わたしたちに二人のことを思い出させてくれるはずです。この痛みをたよりに、もし後日というものがある場合には、のちのちわたしたちが再会するときに、お互いを識別することになるでしょう。
光が消えた。消えかかっている。
彼らがやって来る。

ここがそうなのだ。この石像の獅子たちが、あの女《ひと》を眺めていたのだ。光が移り変わるにつれて、獅子たちが動きだしそうに見える。 533(結句)


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解説/中込啓子
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●「遅かった/早かった」48時間
東から西へ、アメリカ軍のいる向こう岸の地区を目指して、十六歳の少女はその春エルベ川を一刻も早く越えようと、弟、母方の祖父母や叔母と一緒に、低空飛行の飛行機の攻撃をかいくぐりながら足早に、懸命に歩いていた。しかしあと二日で辿りつくというところで、あえなくドイツ終戦の日(一九四五年五月八日)を迎えた。一九二九年三月一八日生まれのこの少女は後年、作家クリスタ・ヴォルフとなった。 546(冒頭)


●社会情勢をトレースするのではなく、立ち上げたフィクションをベース(舞台)に据えた理由
『カッサンドラ』(一九八三年)は東ドイツ建国から三十年後の一九八〇年ごろ、自国の消滅が九年後に迫って、それが少なくともヴォルフに「予見」された頃に、周到な準備を経て執筆された。もちろん自国が存在している時期にその滅亡を直接書くことはできなかった。そこで、フィクション性を強調できる古代ギリシャとトロイアに時代設定をした。 547


●ヴォルフの創作スタイルとその由来
「年代順の描写ではなく、連想的構造にする」(ムージルではなくアラゴンの影響)
「考えながら感じること、そして感じながら考えること」が肝要な事柄であり「おたがいに切り離すことはできない ―― 主観の真正さ」、熟読していたというヴァージニア・ウルフの意識の流れの手法 ――
(これら手法は)決して支離滅裂で恣意的なものではなく、ヴォルフなりの考えから表現されるが、ただ合理的、論理的である言語表現とは別の意味を担った方法と宣言した。 551

「こうした個人的な創作方法によってしか「無数の主体の、生き生きとした経験が、さまざまな芸術客体(「諸作品」)の中で押し殺され、埋没させられてしまうのを」阻止することはできない」
そして、われわれの文化の「もう一つの完璧な生産品が、自己抹殺の目的で生産されている」と表現して、核兵器が男性的原理による生産品であることに警告を発する。男性的思考の網目から洩れてしまっている事柄を掬い上げて言葉で表現するために「主観の真正さ」を方法とし、「女性の書く行為」の実践をすると名言している。 555


●主観の真正さ
「 主観の真正さ」は「『私』と言うこと」と関係し、「客観的リアリティ」と正反対の立場にある。「客観的リアリティ」とは「(……)あの序列によって秩序化された社会的宇宙世界《コスモス》」を、つまりは東ドイツの政治局の男性集団、を意味する。この前提の上でヴォルフは、「私」が書きながら「例の客観的リアリティに対処していくひとつの方法を探すこと」を、「主観の真正さ」と名づける。
さらに、「『主観の真正さ』は客観的リアリティと生産的に対決する」ことでもある、とヴォルフは対話の相手、ハンス・カウフマンに説明する。
「生産的であること」とは、ヴォルフによれば、「客観的リアリティ」が出現することを願っている、と言っているのである。これは一種の弁証法である。
このように書くことは、<自己中心的な>書き方ではなくて、徹頭徹尾、<断固とした>書き方なのです。けれどもこの書き方は主体への高度な基準が前提とされています。みずからの素材に遠慮無用で(それはこう言ってもいいでしょう、いずれにしても出来る限り遠慮無用の態度で)立ち向かう用意がある主体、緊張関係を自分に引き受ける覚悟のある主体です。この場合、素材と作家とがそのとき経験する変容を、好奇心旺盛にして待つことが避けられなくなりますが。すると以前とは別のリアリティが見えてきます。突然すべてがすべてと関連し合って、動き出すのです」(「ハンス・カウフマンとの対話」一九七三年)。
( 中略 )七〇年代にヴォルフは、客体 ―主体― 客体という弁証法の中で、つまり、主客が反転していく中で、両方の仲介者としての主体の方に重点を置いている。「主体」を「作家」あるいはもっと明白に「作家クリスタ・ヴォルフ」と言い換えてこの文章を読んでみれば、ヴォルフが作家として東ドイツの権力機構と対決しながら覚悟して生きようとする強い姿勢が明らかになる。 532


●変革すべきもの 〜社会主義あってこそのユートピアという矛盾を切り抜ける
変革すべきは、東ドイツの社会主義をヒエラルヒーの頂点で牛耳っている人たち、であるが、しかし同時にこの変革は東ドイツが存在するかぎりユートピア希求であるにすぎないと、権力機構の中で独り闘うヴォルフには、始めから分かっている。このひどく小難しい、言葉の置き換えによる武装でしか、ヴォルフが対談相手に語ることができなかった東ドイツの時代と社会で、ヴォルフは「創作することで危機的状況を切り抜けた」のだ。ヴォルフが「東ドイツに踏みとどまって書く」理由がここで初めて具体的に明らかになる。 533


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クリスタ・ヴォルフ(Christa Wolf、1929年3月18日 - 2011年12月1日)
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1929年、プロイセン州のランツベルク・アン・デア・ヴァルテ(現在のポーランド領ゴジュフ・ヴィエルコポルスキ)に生まれる。第二次世界大戦におけるドイツの敗戦にともない、同市のドイツ系住民はオーデル川以西へ強制的な移住を余儀なくされ、ヴォルフの家族もソ連占領地域のメクレンブルクへと移住した。
戦後、旧東ドイツの大学で文学を学んだのち、作家同盟の機関誌で編集・批評に携わる。
1961年に作家デビュー。
1963年、ベルリンの壁建設によって別れ別れになった恋人を描く『引き裂かれた空』が大きな反響を呼び、東ドイツを代表する作家と目される。
ドイツ社会主義統一党に入党し政治にも積極的に関わるが、次第に社会主義への失望を表明するようになり反体制作家と見なされるようになった。
作品は西ドイツでも高い評価を受け、東西統一の年にも『残るものは何か?』(1990年)で大いに議論を呼んだ。
2011年12月1日、長期の闘病の末にベルリンにて死去。82歳没。



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ポリュクセネー
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ポリュクセネーはネオプトレモスの手にかかり、アキレウスの墓の前で亡くなった。
ポリュクセネー(Polyxena、ギリシア語: Πολυξένη)は、ギリシア神話に登場する女性である。長母音を省略してポリュクセネとも表記される。
ポリュクセネーはイーリオス(トロイア)の美しい王女で、トロイア王プリアモスと王妃ヘカベーの末娘である[1]。アガメムノーンとクリュタイムネーストラーの娘イーピゲネイアのトロイア版とみなされている。ポリュクセネーはホメーロスの『イーリアス』には登場せず、後世の詩人が『イーリアス』にロマンス要素を追加するために登場させた。
あるとき、彼女の兄弟トローイロスが20歳になればトロイアは敗れないだろうとの神託が下った。トロイア戦争中、ポリュクセネーとトローイロスが泉から水を汲んでこようとしたときに待ち伏せされ、トローイロスはギリシアの戦士アキレウスに殺された。アキレウスはポリュクセネーの物静かな賢明さに惹かれるようになった。
パトロクロスの死から立ち直りきっていなかったアキレウスはポリュクセネーの言葉に慰められ、彼女がアポローンの神殿で礼拝した後に会うようになった。アキレウスはポリュクセネーを信じきって、彼の唯一の弱点がかかとであることを明かした。後に、同じアポローンの神殿でポリュクセネーの兄弟であるパリスとデーイポボスがアキレウスを待ち伏せて、そのかかとに毒矢を撃ちこんだ。これにはアポローンの加護があったとされる。
アキレウスの死後、責任を感じたポリュクセネーがすぐ自殺したとする場合もある。しかしエウリーピデースの悲劇『トロイアの女』と『ヘカベー』では、ポリュクセネーはトロイア戦争終結時に死んだとされている。アキレウスの亡霊がギリシアに戻り、ギリシア軍が本国に戻るのに必要な風を吹かせるには、ポリュクセネーを人身御供にしなければならないと告げた。彼女はアキレウスの墓の前で殺された。ポリュクセネーのキャラクター上、その処女性は重要であり、アキレウスの息子ネオプトレモスに喉を切り裂かれて殺されたとき、彼女は衣類を慎重に配置して自分の肌が完全に隠れるようにしたという。

 







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ことば 『小説/後藤明生』と『泥まみれの豚/宮崎駿』




●即物主義
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即物主義とは、ごく常識的にいえば、心理とか感想とかいう形のないもの、見えない世界を、目に見える物体、行動に「異化」する方法だろう。その反対が、作者および作中人物の心理、感情などを通して事物、人物を描写する「感情移入」の方法だと思うが、志賀(直哉)作品の方法は、そのどちらでもない。それは、いままで実例によって見てきた通り、いわゆる「自分」の裸眼による「直写」と、そのあとに続く「自分」の感想、心理という組み合わせである。 
(小説/後藤明生 72)

●新即物主義(ノイエ・ザハリヒカイト) ドイツ 1918-1933
新即物主義(しんそくぶつしゅぎ、英: New Objectivity)とは、ノイエザッハリヒカイト(独: Neue Sachlichkeit)とも呼ばれ、第一次世界大戦後に勃興した美術運動である。1910年代の個人の内面と探求の表現を目指した、主観的ともいえる表現主義に反する態度を取り、社会の中の無名性や匿名性として存在している人間に対し冷徹な視線を注ぎ、即物的に表現する。
1925年、マンハイム美術館で開催された展覧会『ノイエザッハリヒカイト(新即物主義)』が始まり。
その過酷なまでの人物描写は魔術的リアリスムという言葉を生んだ。
後に音楽分野にも波及したが、ナチスの台頭とともに退廃芸術として迫害を受け収束する。

※そくぶつ‐てき【即物的】
1 主観を排して、実際の事物に即して考えたり、行ったりするさま。「きわめて―な表現」
2 物質的なことや金銭的なことを優先して考えるさま。「―な生き方」
[ 大辞泉 ]





●翻訳の誤謬 〜土地や国をわたるコンテクストの差異
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翻訳もので原版は知らないけれど、何度も読んでいって頭のなかでその空間を作っていくうちに、翻訳のここはまちがっているっていうところが出てくるんですよ。
いちばんわかりやすい例で言うとね、《農家》っていうと、日本人はちいさなものを連想しちゃうんですね、百姓家とかさ。でもヨーロッパの農家はそうじゃないんだよね。でっかい納屋があって、そこに牛がいてね、それで干草がいっぱいつまってて、もうひとつ別に荷車や農機具を入れる納屋があって、それと母屋が独立して建ってて、そのいくつかの建物がまとまってひとつの敷地にあるのを《農家》って言うわけ。ぽつんと家があって、ちいさな納屋とか家畜小屋がついてるくらいだと《家》なんだよね。
 (泥まみれの豚/宮崎駿 83)









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2013年01月12日

方法の冒険3/筒井康隆ら編集 〜司法制度、警察制度、探偵小説、監獄と収容所





監獄、収容所、探偵小説/笠井潔
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●民主主義が探偵小説を準備した 74
第二次世界大戦直前のイタリアおよびドイツで探偵小説が禁止された( 中略 )「探偵小説は本質的に民主的な慣習の産物」であるとしたら、それも当然のことだろう。「目ざめた土地の市民たちが、フェア・プレイと公平な裁判を権利として期待し要求する」社会、ようするに探偵小説を生み出した近代社会は、「秘密警察《ゲシュタポ》や国家政治保安部《ゲー・ペー・ウー》」や「ドイツ国会火災裁判《ライヒスターク・ファイア》や不合理なスターリン粛清法廷《パージ》などの恥を知らぬ詭弁の横行」と原理的に対立するからである。
アメリカやイギリスやフランスなど第二次大戦で連合国を構成したところの、近代的な司法制度および警察制度が完備された諸国においてのみ探偵小説は発生し、発展しえた。第二次大戦前夜の日本でも探偵小説は禁止されたのだが、それも当然のことで、枢軸諸国は探偵小説の土台である理性的な市民社会秩序を破壊し、「公認のギャング主義と力による支配」を国内体制としているからだ。

●監獄と収容所の違い 77
第三帝国とソ連に共通する人権抑圧の社会装置として、悪名高いのが強制収容所である。しかし、ドイツやソ連の収容所とイギリスやフランスの監獄とは、どこがどう異なるのだろう。囚人を拘禁する施設という点で、どちらも表面的には似たように見える。
最大の相違は、監獄が違法者を対象とする刑罰の施設であるのにたいし、収容所は法外者を無差別的に拘禁する施設だという点だろう。
違法者とは市民社会を構成する主体である。市民社会の法に違反した事実が裁判で認定され、違法行為に見合う刑罰を科せられる者。ようするに違法者は、法に関した限りで違法者なのだ。加えて、おのれの行為の意味を妥当に了解でき、責任能力があると認められることが違法者の前提である。反対側からいえば、市民社会を構成する主体として法秩序の形成に関与しうる者だけが、違法者として裁かれ処罰されうる。監獄とは、そのような違法者の刑罰の場なのだ。
しかし法外者は違う。たとえば第三帝国では、ユダヤ人やユダヤ人であるというだけの理由で収容所に拘禁された。違法者は意思や選択において違法行為を「なす《フエール》」結果、監獄に収監されるが、ユダヤ人の場合はユダヤ人で「ある《エートル》」だけで収容所に収容される。ユダヤ人であることは、いうまでもなく当人の意思や選択の結果ではない。「ある」こと自体が違法であるような存在とは、はじめから法秩序の外に追放されている者、すなわち法外者である。強制収容所が労働収容所であることは、その必然的な結果なのだ。

●監獄と収容所の機能 77
監獄の刑罰機能は囚人の自由剥奪と孤立化が中心で、労働は矯正効果を期待して強制されるにすぎない。しかし収容所では、囚人は対価の必要がない最も安価な労働力として位置づけられる。囚人の自由剥奪および孤立化は独房への拘禁という形態で実現されるが、収容所では独房の存在は例外的である。

●監獄の二面性 80
社会から「ある」ものとしての非理性を分離する古典主義時代の強制=矯正施設が、その対極に、理性が支配するところの近代的な法秩序の領域を生じさせた。このような法秩序を前提として犯罪行為を「なす」違法者が、さらに違法者の刑罰施設としての監獄が誕生する。
しかし『監獄の誕生』(フーコー)で克明に明らかにされるのは、監獄の二面性である。
監獄は違法者に対する刑罰の施設であると同時に、ベンサムが構想した一望監視装置《パノプティック》に象徴される近代的な規律=訓練《ディシプリーヌ》のシステムでもある。

●続・監獄の二面性 〜“矯正”は誰の仕事か 〜監獄、罪に対する罰の機能《システム》 82
順序としては、まず法秩序を犯した違法者が存在し、次に違法者に加えられる刑罰としての拘禁を効率的に遂行するために、規律=訓練のシステムが確立されたということになる。違法者の犯罪行為に見合う刑罰を与えることが監獄という施設の目的であり、そのための手段として規律=訓練をめぐる権力の精神的身体的技術が開発された。
しかし、こうした目的と手段の整合的な関係は表面的なものにすぎず、監獄の実体に反している。
なぜなら「規律=訓練は一種の反=法律」(フーコー/田村訳)だからだ。
「刑罰する権力を一般化するのは、個々の法的主体における法の普遍的意識ではなく、一望監視方式の規則的な広がりであり、その限りなく緊密な網目である」。
一方で監獄は、違法行為を「なした」受刑者にかかわるように見える。しかし監獄という規律=訓練のシステムは、「ある」ものとしての受刑者の精神と身体の全体にかかわり、それを調教し訓育しようとする。契約論的な法思想では、たとえば殺人行為でさえ倫理的な「悪」の領域には属さない。殺人者が罰せられるのは、他者を害しないという契約に応じたにもかかわらず、この契約に違反した限りにおいてなのだ。ようするに違反者は契約違反を問われ、裁かれ、罰せられるにすぎない。『罪と罰』の終章でラスコーリニコフが、「しかし、悪事とは何を意味するのだろう? おれの良心は穏やかなものだ。もちろん、刑法上の犯罪は行った。もちろん、法の条項が侵されて、血が流されたにちがいない。では、法律の条項に照らして、おれの首を刎ねるがいい……それで沢山なのだ!」(米川正夫訳)と考えるように。
だが監獄は、受刑者の「おれの良心」までをも管理しようとする。
この点で監獄は、「道徳が行政上の指示をとおして重圧を加えるような、強制収容の場所」だった古典主義時代の強制=矯正施設を正統的に継承している。人間の魂の領域まで管理の対象とするだけでなく、管理の精神的身体的技術を体系化している点でも。
だから、監獄の二面性を目的と手段という関係で理解することはできない。









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「反法律」っていうか「非法律=倫理や道徳の領域」じゃないか?
「人間には本能的な善の感覚がある」とするかどうかは立場によるだろうが、かりに「ある」と考えるなら、それを律法・法思想の反照として存在させることに違和感(や無理、ストレス、わざとらしさ、危うさ)がある。
法体系は「これをしてはならない」という理屈の明文化であり、法関係者は事件や出来事に応じてこれを参照し、罪の解釈と罰の定義、および罰の実行の範囲を決定する。施行者(監視者=警察、刑務官など)はそれを黙って遂行する。これが、もし「律の存在が倫理を規定」するものだということになれば、この両者の役回りは人間の倫理や道徳の領域に踏み入り、さらには「矯正(よういに洗脳や“強制”に変換される)」の呼び水となってしまうことの違和感、恐ろしさ、うざったさ。(すでにここを吐き違えた説教好きの警察官が腐るほど存在している)
こういったねじれやズレのひとつの象徴的な磁場=システムとして監獄を考えること。
収容所との対比を経てその特徴を見、かつ監獄そのものの二面性や矛盾を確かめること。
たとえばフーコーの諸著作。

民主社会の法の精神は民主的に練り上げられ、明文化されたのかもしれないが、その実態と実行の有様とすれば、人々に共有された体系(個があり、人権があり、これに指示(信頼)されたシステム=法思想とそのシステム)が執行されるという民主的な順序ではなく、法思想というのは個人個人の考えや意思がどうであれ先天的に社会を覆っていて絶対的に個人を規定し作用する「ファシスティック」なもの、という指摘があった気がする。メモしておく。
(「個」や「自由」は律法(義務・責務・ルール)のうちに発生する概念であり権利だろう、そもそも権利にしたってある法律のうちに生じるものだろうという後退がどこまで続くのか。しばらく考えてみる)

狂気の歴史、監獄の誕生
社会とは何か
社会性
社会主義
悪とは何か










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2013年01月09日

宮崎駿/千年森


miyazaki.jpb.png

近ごろ、しきりに「千年森」を空想する。
経営の行き詰った相当面積の森林を確保し、人知の限りを集めて風土本来の植生を復活させる。復活には百年単位の時間を設定し、絶えてしまった草木は新たに植え、足りないものは植林し、狼は残念ながら不可能だが、まだ生き残る獣、虫、鳥のすべての種を放つ。気長にゆるやかにバランスが保たれるよう、人間はよけいな干渉はしない。そのために使命感溢れたレンジャーを置き、法的権限を与える。
五十年もすれば、特別公園として観察と散策の良き場所になる。訪れる人々のための細道と宿泊設備を設けるが、排泄、食事すべてにわたり厳重な制限を設定し、そこにはコンクリートも、アスファルトも、みやげもの屋もアルコールもない。自動車ははるか手前でストップとし、レンジャーたちも域内では車は使わない。千年、この森に斧を入れてはならない。藤蔓が木を枯らし、ある種の虫が大量発生し、獣が傷ついても、人は手を出してはならない。千年後、法隆寺の柱が朽ち、薬師寺の東塔がかしいだとき、この森に育つ何万本かの檜の数本が役に立ってくれるかもしれない。もし人類が千年の時を生きのび、酸の雨をくいとめ得たら、この森は世界の宝になるだろう。境目に自然石の碑を建てよう。すぐ欠ける機械彫りでなく、石工の手で、世界中ので、この森は人間の源であると。ぼくらは森の中から生まれたのだ。
(「朝日新聞」一九八七年九月十四日、十六日、十七日、二十一日、二十二日、二四日付)














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2013年01月07日

失踪者(別題:アメリカ)/フランツ・カフカ 池内紀訳





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失踪者(別題:アメリカ)/フランツ・カフカ 池内紀訳
(河出書房新社 世界文学全集2−02)
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―― 池澤夏樹の解説
彼がプラハでこれを書いたのはだいたい一九一二年から一九一四年にかけてだから、現実のアメリカについてそんなに情報は伝わっていなかった。親戚の誰かが移民として行って、そのまま消息が知れなくなり、何十年もたってからとんでもない額の遺産が甥のところに舞い込む。そういう「アメリカの伯父さん」伝説がヨーロッパにあった時代である。 1

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1 火夫
女中に誘惑され、その女中に子供ができてしまった。そこで一七歳のカール・ロスマンは貧しい両親の手でアメリカへやられた。速度を落としてニューヨーク港に入っていく船の甲板に立ち、おりから急に輝きはじめた陽光をあびながら、彼はじっと自由の女神像を見つめていた。剣をもった女神が、やおら腕を胸もとにかざしたような気がした。像のまわりに爽やかな風が吹いていた。
「ずいぶん大きいんだな」
誰にともなくつぶやいた。荷物をもった人々がわくように現われ、長い列をつくってそばを通っていく。しだいに船べりの方へ押しやられた。 5(冒頭)

話しているあいだやっと、誰に向かって声をかけたのか気がついた。事柄そのものに、あまりに気をとられていたからだ。ブルネルダは満足げにドラマルシュに向かってうなずきかけ、カールにはご褒美として一握りの菓子をくれた。 292(結句)

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断片
(1) ブルネルダの出発
ある朝、カールは病人用の手押車にブルネルダをのせて玄関を出た。カールが考えていたよりは、ずっと遅い出発になってしまった。昼間だと、通りの人にじろじろ見られる。だからまだ暗いうちに出ようと、ブルネルダと話していた。 294(冒頭)

第一日目、列車は山岳地帯を抜けていった。青黒い大きな岩が尾根に向かってつらなっていた。窓から身を乗り出して見上げても、頂上は目に届かない。暗くて狭い、裂けたような谷が現れた。その果てを指でたどっていった。幅のある渓谷が流れ下り、盛り上がった川底で大波をつくっていた。無数の泡を立てながら橋の下へと押し寄せる。その上を列車が走っていた。水面近くをかすめたとたん、冷気が顔を撫でた。328 (結句)


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解説/池内紀
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カフカは主人公の年齢で、かなり迷ったようである。最初の草稿では十七歳だったが、タイプ原稿にしたとき十五歳に変更した。さらに一章を独立させて「火夫」のタイトルで発表するとき、十六歳に改めた。
微妙なちがいを感じさせたせいではなかろうか。十五歳だとまだ少年だが、十七歳ともなると、すでに大人の領域に入っている。そして十七歳を「小さな大人」とすれば、十六歳は「大きな子供」というものだ。実際、小説の進展とともにカール・ロスマンは大きな子供から小さな大人へ変貌をとげていく。 538

失踪者/カッサンドラ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-2)


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●スケッチ
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『1 火夫』の冒頭からして「自意識過剰のカフカ」が如実に現れている。
世界の中心に主人公=カフカ=私がいて、この「中心たる私」という構造を成立させるのは、他者=外周=脇役としての「他者」だ。
ただ、それはアメリカのヒーローたちが醸し出す・・・・・あの鬱陶しいほどの「アイアム・ヒーロー!/ヒロイン!」というキラキラしたテンションではなく、生きてることの陥穽としての私という穴、穴、穴……とトボトボ生きてる様子が汲み取れる「“生”が不可避的に生成する“私”の有様」、その記述だ。

カフカは人の視線を気にかける。
過剰な自意識。(ある日、虫になってしまうほど気に病んでいるのだから)

だからといって自意識を訴えようとコミュニケーションをとるわけではない。
欧米では「私は敵ではありませんよ」という意思の表明と自衛のニュアンスをこめて、エレベーターなど密室だとか、狭い空間で人とすれ違うときは挨拶がかわされると聞くけれど、カフカの文章にはそういった感覚がまるでない。
(フランス人は挨拶しないと聞いたこともある。よくわからない)
日本はそうではなく、公共の場では黙っていることがマナーであるというコンセンサスが黙約されてる。
カフカ人気が世界的なものなのか、それとも世界的な評価よりも日本人に好まれがちなのか?
後者ならばカフカのこのような基本的な姿勢や、自閉的なパーソナリティに親近感があることが人気のわけか。
(一方、訳者の池内さんは朗らかでユニークな話術を駆使して来場者を沸かせる、自閉性とはほどとおい(という一時情報による浅はかな印象論)体育会系出身っぽい紳士だった)

1900年代のチェコにどのような倫理観が共有されてたのか。
ある一家に使われるメイドと、その一家の息子とに男女関係が生じ、子供ができたあと、メイドではなく息子が放擲される。この処遇が一般的だったのかどうか。ナショナルな文学/物語世界ではこのケース、メイドが暇を出されるものではなかったか?
とすれば、少年をアメリカにやったカフカのインスピレーション ―― 心理、物語認識の託されたこの冒頭部(身内にあった事件をモデルにしたらしいが)は深読みさせる。

さらには、女を一人孕ませた罪によって島流しされた一七歳の少年は、落ち込んだりわが身を恥じたりすることはなく、まったくない点が興味深い。
描写を辿ろう。
「速度を落としてニューヨーク港に入っていく船の甲板に立ち、おりから急に輝きはじめた陽光をあびながら……」
いよいよNYだな……という少年の眼差しに、じゃっかんの憂いや畏れは感じ取れるが、甲板に立って堂々と入っていく姿がくっきりと浮かび、港が近づくにつれて陽射しが輝く。これは心の高ぶりと、その場所に輝かしい未来がある予見だ。
そんな眩さのなか、少年は何をするかといえば、
「……彼はじっと自由の女神像を見つめていた」
このように女神像を見つめる。
女神のひとつの象徴はキリスト教のマリア像に代表される、尊くて清らかな母性だろう。
だらしない関係(かどうか知らないけど、たぶんそうだろ、一七歳のガキだし……)で子供まで作っておいて(しかも親に言われるがままトンズラこいて)女神像にマリアを見、きらきらした気持ちになるっていうこの畜生っぷり、いい気なもんだとしか言えない。
ただ少年にもまだ人の心が残っていたようで、カフカは
「……剣をもった女神が、やおら腕を胸もとにかざしたような気がした」と書いている。
この女神像に噴出しをあて、セリフを口にさせるならば、
「調子に乗るんじゃないわよ、ガキ! 女がみんな甘いと思ったら大間違いだからね! 輝かしい未来がNYに? はんっ、アンタには痛い思いさせてやる!」がいいか。
少年の晴れやかで冒険心に満ちた期待に、じゃっかんの ―― しかし閃光のような棘としての一文がここにあり、一筋縄ではいかないドラマの兆となっている。
とはいえ、少年の心は棘にはとまらない。
「像のまわりに爽やかな風が吹いていた」
なるほど。清々しいものを感じている。
そして、麓から女神像を見上げ、
「ずいぶん大きいんだな」と「誰にともなく」呟く。

ここまでカフカと少年を一体として見てきたけれど、どうやら正しくなかった。
このさき、どうなるかわからないが、いまのところカフカは少年を突き放している。それは三人称一元で描かれる小説の効果にもよるし、カフカの心理はここから異邦者としてNYで過ごす ―― さらには“本当の自分”みたいなものから遠く離れた所で生きる「少年=モラトリアム期の人間」の世迷いの体 ―― 少年をつぶさに描写し、徹底した眼差しを、それでいてユーモラスに描くだろう。これは書き手としての自己と描く対象としての主人公を同一化しては行えない。
のんきな少年はカフカではない。
このことは、冒頭に引いたブロックの、最後の一文からもわかる。
「……荷物をもった人々がわくように現われ、長い列をつくってそばを通っていく。しだいに船べりの方へ押しやられた」
明確な希望と期待をもってエトランゼであるNYに入り、マリアを見上げてうっとりした少年は、そんな感冒の気分も束の間、日々の生活にいそしみ、酸いも甘いも感じつくした人民として生きる烏合の衆に飲み込まれ、意思もなにも通じないちからの動きに連れ去られ、我を ―― “私”を見失うのだ。
この小説のタイトルは『失踪者』である。
カフカの詩性に貫かれる。


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2013_0106



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