2013年01月29日

高森勇旗

球界最強のモノマネ王が引退――。
DeNA高森勇旗の“ビミョー”な去り際。
村瀬秀信 = 文 2013/01/29 10:30
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http://number.bunshun.jp/articles/-/336717/
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「ホームラン、最高の感触でした! 自信はあったんですよ。今年の後半戦にトレーニング法を代えたのがバッチリハマって、そっから調子上がってきていたんで。10月2日にクビになってから、キャンプまでの4カ月の間をこのまま必死に練習すれば、すっげぇ選手になれんじゃないかなって、そう思っているぐらいですから」

 昨年の11月9日。Kスタ宮城で行われたトライアウトで参加者中唯一のホームランを放った高森はそんな言葉でおどけてみせた。

 高森勇旗。

 彼ほど実績と人気のギャップがある選手は珍しい。2006年、中京高校から高校生ドラフト4巡目で横浜ベイスターズに入団するもプロ6年間での一軍出場は'09年のわずか2試合、通算成績も4打数1安打……にもかかわらず、この選手には異常な程に人を惹きつける魅力と華があった。

 打者として一時は「鈴木尚典2世」とも呼ばれ、次世代の中軸打者としての期待を受けた左の長距離砲。横須賀に行けば、スタンドにいてもそれとわかる大声を張り上げる元気と、ベンチの中ではチームメートにちょっかいを出しては笑顔を生む明るい性格が手に取るようにわかった。

 さらにグラウンドの外に出れば、ファン一人一人に丁寧に応対する真摯な姿勢と謙虚な物言い。そんな態度がファンの心を捕え、いつしか横須賀には“高森会”なる熱狂的応援組織まで登場するのだが、その人気はやがて横須賀に留まらず他球団ファンにも伝播していく。

 木塚コーチも舌を巻いた、
 細かすぎる「モノマネ」の実力。


 なぜ一軍にもほとんど上がったことのない選手が、そこまでコアな人気を得ることになったのか。その契機となったのは、プロ野球選手の形態模写。いわゆる「モノマネ」である。

 動画サイトで高森勇気(改名後に“勇旗”)と検索すれば、数多のモノマネ動画がヒットする。特に'10年のファン感謝デーにおける動画は現在11万回再生とべらぼうな数字をたたき出しているのだが、高森の野球選手モノマネは、現役選手でありながら、これまであったモノマネのクオリティを一段超えた珠玉の芸なのだ。



 その評判は選手間でも話題となり、森本稀哲などは帝京高校の先輩・石橋貴明氏に推薦したいと絶賛し、モノマネが「本人以上に似ている」と評判の木塚コーチもこのトライアウトに挑む際に「他のチームに入って、俺のモノマネを広めてくれよ。高森がモノマネをしてくれることで、野球界に俺の記憶が続いていくんだから」なんて言葉を送ったそうだ。

 ぐっさんと武井壮と栗山監督を
 足して3で割った感じ


 ファンから愛され、明るくて笑いも取れる魅惑の長距離砲。クビになったとはいえまだ24歳。環境が変われば大化けするポテンシャルは十分にある。野球界のためにもこういう選手が出てきてくれれば面白いのだが……。

「いや、これで野球は終わりです。12球団からの連絡がなければ、きっぱり引退します。やりたいことが、いっぱいあるんです」

 昨年12月。NPB球団からの連絡が届かなかった高森は、宣言通り野球界から引退した。

「“まだ若いのにもったいない”と、たくさんの人に言っていただき有難かったのですが、僕自身は野球に関してはもうやり切ったので、悔いはありません。ただ、モノマネタレントやお笑い芸人になると思っている人が多いみたいですけど、そうじゃないんです・・・・・

( 中略 )

・・・・・確かに、モノマネで行けば一番話題になるとは思いますけど、安易にそこへ甘えてしまったら自分の可能性を潰してしまうと思うんです。野球のことをはじめ、真剣なことを伝えたいと思っても、『世間は高森にモノマネしか求めていないから』となってしまう。もちろん、自分を売るきっかけになればとは思うんですけど、それをすべてにはしたくない。あくまでも、引き出しのひとつ。枠にとらわれずに、いろんなことをやりたいので今のところ事務所に入るつもりもありません。まぁ……ちょっと長くなりますが聞いてください」

 「史上最低の身体能力の選手」が遂げた
 奇跡の成長


「元々が野球よりも勉強の方が好きで、考古学者になりたかったんです。それが何の因果か中学2年の頃に急に打球が飛ぶようになって、プロ野球の世界で生きていくことを決心したんですけど、プロ野球の世界は、毎日生きるか死ぬかの脳みそが焼き付くような勝負を楽しんでいるばくち打ちの集団のような空気で、これは人種が違うと違和感を感じたんですね」

 高森はプロ野球選手としては色々と異端だった。

 入団時に懸垂すらできずトレーニングコーチに「史上最低の身体能力の選手」と呆れられると、守備面でもいきなりイップスになりファーストへコンバートされるなど、プロ失格の烙印を押されまくる。だが、そこから高木コーチとの死ぬ程の練習について行くに従い、プロの技術と体力、そして脳みそが焼きつくような“命を懸けた勝負の快感”を次第に覚えていくと、2年目にファームのレギュラーに定着し、史上最年少サイクルヒットを達成。3年目には打率.309、15本塁打と結果を残し、イースタン最多安打も記録するなど奇跡的な成長曲線を描く。

持ち前の研究熱心さと洞察力でモノマネの才能も開花。

 その勝因は、元来高森が持っていたマジメさと、自分の全試合全打席の映像を取り寄せパソコンで傾向と対策を整理してしまう研究者気質。そして、チーム関係者も舌をまく異常なまでの観察力と記憶力ゆえ。

「感性が強すぎて……球場のいろんな動きが入ってくるというか、集中できている時は、お客さんが缶を落とした音もわかるほど、グラウンドと一体になってしまい収拾がつかなくなる。なのでパソコンで試合ごとに情報を整理していたんです」

「情報が勝手に流れ込んできてしまう」という天が与えし特殊能力は、「人前に出て面白いことをやるのが好き」という自意識が与えし特殊性格と相俟って、細かすぎるモノマネ芸が生まれることを必然とした。さらに、お客さんの顔も覚えているのだから、そりゃファンも増えようというもの。

 高森は3年目の終盤戦に一軍デビューを果たすと、ファンから一軍昇格祝いの花が球場に届くなど、プロ28年目の工藤公康をして「はじめて見た」と驚かせる事態を起こし、押しも押されもせぬ横須賀のスターとなっていった。順風満帆に来た野球人生。しかし翌'10年、同タイプの大物ルーキー筒香が入団することで、高森を取り巻く環境は一転する。

 後輩の筒香に追い抜かれ、
 ふて腐れてやけっぱちに……。


「筒香が入ってくることで、他の左打者より頭2つ抜けなきゃ使ってもらえないだろうと、オフの間に尋常じゃないぐらい必死に練習したんです。そのおかげで開幕から絶好調で1カ月で打率.375、ホームランも5本ほど打ったんですけど、結果を残しているのに、打順が下がっていった。4番に筒香が入るのはしょうがない。でも、5番から、6番、7番になって、最後にはスタメンから外される。今ならチーム事情とわかりますが、その時は『これはもう一軍に上げる気ないんだ』と完全に気持ちが切れてしまい、首脳陣に対してもふて腐れた態度を取るようになるんです。

 そうなれば悪循環。バッティングも6月にはヒットゼロ。文句ばかり言って、周りからも見放され、人も離れていきました。秋になる頃には『もう野球を辞めよう。どうせクビだろうし』とやけになっていましたね」

 それでも球団は高森をクビにすることはなかった。そんな時、湘南シーレックスのファン感謝デーが行われる。そこで高森は戦力外になったある男の生き様を目の当たりにすることになる。

佐伯の涙に「諦めることが一番愚かなこと」だと学んだ。

「球団を解雇された佐伯さんが退団の挨拶に来られたんです。その年の佐伯さんはどんなに活躍しても一軍に上げてもらえず、二軍でも一日一打席あればいい方。僕以上に辛い環境に置かれていました。普通の選手なら即気持ちが切れる状況ですよ。でも、佐伯さんは毎朝6時に必ず練習場に来てトレーニングを黙々と続け、試合でも絶対に手を抜かず……本当に最後の最後まで自分のやるべきことをやり切ったんです。

 そんな佐伯さんがですよ……退団のスピーチで『2010年は佐伯貴弘にとって最高の1年になりました』って泣きながら言ったんです。それを聞いた途端に涙が溢れてきて。『俺は一体、何をしていたんだ?』って情けなくなった。“諦めることが一番愚かなこと”それを佐伯さんは教えてくれたんです。佐伯さんが日本一を争うドラゴンズに移籍したのは、野球の神様が見ていたからですよ。文句ばかり言ってた僕と、やることをやった佐伯さん。その差がこんなに開くんだなって。だがら、僕はそこから何があっても、どんな使われ方をしても絶対に諦めない。そう誓ったんです」

 切れてしまった野球への情熱と、失った信頼を取り戻すべく、新たな気持ちで挑んだ'11年。だが、そこでも高森は結果を残すことができず、昨年以上に辛い年になってしまうのだが……再び戦力外を免れることにはなった。

「僕がしっかりやれば、横浜は希望の持てる球団になる」

 '12年のシーズン。
 高森は覚悟を決めていた。


 これまでの成績、チーム内での立場、試合での使われ方、そんなものから現役最終年であることは間違いない。そんな中、自分に何ができるのかを考え、次のステージへ向けての準備をする1年となった。

「若い奴らも入ってきましたし、僕自身が結果を残したとしても一軍に上がる状況は絶望的。でも、僕にはやれることがあった。

 佐伯さんは背中で生き様を教えてくれた。2年目に僕がレギュラーになった時、前のレギュラーだった呉本さんが手を抜かなかったから、僕にはプレッシャーになった。試合に出られなくても、できることはある。僕が腐らずに、誰よりも練習して、試合でも先頭に立って声を出していたら、若い奴らへのプレッシャーになる。それに、12球団イチ弱いチームの二軍のさらに試合に出られない最底辺の選手が、チームで一番練習していたら、『ベイスターズは思ったよりも悪いチームじゃない』って思うでしょ。

 僕がしっかりやれば、希望の持てる球団になる。試合には出られなくとも、それが僕の役割。ある意味、“俺がチームの看板だ”という誇りを持ってやっていましたから」

 自分が野球界で得たことを、後輩たちに積極的に伝えていく――。一時は嫌いになった野球に真剣に向き合った一年は、プロ野球選手としても、社会人としても収穫の多い一年となった。

ガケを登りながら考えた、ベイスターズの強化計画。

「森や山はそこにあるだけで美しいんです。一見、何も動いてないように見えますが、何千年何万年と再生と破壊を繰り返し、数多の死の積み重ねがあって今の生がある。だから僕は森が好きで、度々自分の命を危険に晒しに森へ行くんですね。生の実感は『死ぬかもしれない』と思えた瞬間に、指先までビシビシ湧いてくる。命のやり取り、『死にたくない』と思った瞬間に、すっごい集中力が増すんですよ。ガケを登る時、あの窪みに自分の命を託せるか、観察力ですよ。そして一歩踏み出す勇気。よしっ、俺は生きている! ……という環境に身を置きながら、『ベイスターズが強くなるにはどうすればいいか』をずっと考えていました。

 それにはやっぱり中核となるエースと4番。いつまでも三浦さんに頼っているようじゃダメ。国吉、北方……あいつらがエースを奪い取ってくれないとチームは勝てない。野手は筒香。『お前は存在するだけで海の秩序を守るクジラになれ』と言ってきました。一番打者タイプの乙坂には食い荒らすサメになれと。

 あいつらだけじゃない。『監督がチームを強くするんじゃない。ベイスターズを強くするのはお前なんだ。チームが弱いのはお前が弱いからだ。お前なんだよ、オマエ!』と散々言い続けました。若いアイツらがチームを代えてかなければいつまでも最下位ですから」

 昨年の1年間で魂はチームに置いてきた。そして高森は新たな船出を迎える。というか、結局何をやるのだろうか。

「あらゆるジャンルで今後の高森勇旗にご期待ください」

「結局、僕の大きな夢は野球人気を盛り返すことなんですよ。一軍に2日しかいられないような僕は本当のプロ野球の醍醐味を知らないのかもしれません。でもこんな僕にもあれだけの応援をしてくれる人がいた。プロ野球界……なんだかんだで、人間味溢れるいい世界なんですよね。そこを手っ取り早く盛り上げるにはベイスターズが強くなることですよ。一時は憎みもしましたが……僕を育ててくれた球団であり、後輩たちもいます。

 僕は引退しますけど、栗山さんみたいに勉強して、外から球団に何か恩返しというか、例えば、まったく新しい仕組みを作って、いずれ野球界のシステム構築から変えられるようなことができれば……なんてことも考えています。

 ただ、タレントとしてはベイスターズからの仕事は、僕がある程度成功するまでは受けないつもりです。現役時代、まったく結果を残せずに辞めているのに、そこでまた甘えるわけにはいかない。大きくなって帰ってこようと思います。だから、その時までに少しは強くなっていろよと。暫しのお別れですが、あらゆるジャンルで今後の高森勇旗に期待していてください」

 プロ野球の世界では成功したとは言えないのかもしれないが、12球団の一番下であがいた6年間の経験は、この先の人生に役立つものだと信じたい。

 さようなら、日本一面白かったホームランバッター。

 横須賀でその姿が見られなくなるのは寂しいが、いつの日か志を果たし、木塚コーチのアレがテレビで観られる日を楽しみにしている。


posted by bibo at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | SPORTS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする