2013年02月02日

Caspar David Friedrich/カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ


Caspar David Friedrich/カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ



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ゲーテと同じ時代を生きたフリードリヒ。
どの作品を見ても240年も前の作品だとは信じがたい。色あせない。本質や核心が描かれてるってことだろう。
現代から見ると
「異界・冥界としての自然、社会外/社会内の森や海、人間が文化や文明を作り上げたときに副産物として誕生した“自然”(皮肉も込めて)、人間が作った建物は手入れされず植物の繁みに埋まると“廃墟や廃家”の異様を見せる、人が自然に手をいれたことによって生まれた(できてしまった)ひろがりや暗がり、闇や枝の繁茂、ゴシック、ホラー、ブルジョワジーの憂鬱と退廃、人が見つめるという姿が喚起する“見つめ返される”という向こう側からの眼差し、自然と人間という二元論的な人間観(人間中心主義の暗転というドラマツルギー)、人を超えた何かへの対峙(命運に含まれている“人間の敗北”というラストシーン)、超越的なスケール、水平性(横広がりの世界。いまであればモンゴルから南アジアにかけての風景やアフリカ的な空間性(まあメディアから伝わってくる映像や情報しか知らないけど)。都市的ではない。18世紀のドイツがそうだったかどうか。興味深い)、ボーダー、前景・中景・後景ときっちりレイヤードされた奥行き構成=フリードリヒおよび18〜19世紀を生きた人々の生命・人間・死生観・・・・・」
などがモチーフとして見取れる。

フリードリヒの絵画はナショナリズムや神秘主義を触発する作品として批判されたらしい。
さっと眺めただけでも上のようなキーワードが並ぶ。そう言いたくなる気持ちもわかる。
でも彼の作品の本質はそこにない。

肝の一つは「世界が終末を迎えるとしても壊滅はしない。多くの人間は死に、不幸な時代が訪れるかもしれないが、人間は滅亡しないし、動物や海、自然環境は厳しいまま、そのサイクルを持続させる」という人間からすればネガティブな状況にあっての希望の提示みたいなものが感じられる。(それでも「社会や世界の大破ののち、生き延びる=絵画のモデルとされるのが上位階級者だってところが嫌味だ」っていう指摘はあるだろうが)

もう一つは「現在を描いた」ところ。
後姿の人物が多いというのは、その人物の視線に重なろうという心理の投影。モデルが過去を向いていようと、未来を見つめているのであろうと、描いている作者=フリードリヒはつねに、この「過去」や「未来」との狭間にあり(それはとてつもなく不安で落ち着きどころのない立ち位置だ)不断に現在という場を生成し続ける。彼の作品が時代に捉われず、いま見ても「いまっぽい」ことの理由のひとつは、この特質に由来する。
フリードリヒはモデルの背後から人物を描いたが、少女をはじめ子供たちの姿だけは正面から捉え、描写した。これには若くして弟(自分を救おうとして氷の下に沈んだ)や姉を亡くしたトラウマが作用してたのだろうが、「現在を描く(描かずにいられなかった/はからずもそうなった)」フリードリヒの資質・役割に催された必然的な帰結だったとも考えられる。

彼にとっての「子供」というモデルはとても意味深く、それは画面に現された「大人」という対象の意味をも改めさせる。

上の並び、二枚の“イタズラ”はオマージュを篭めて。


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カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ
(ドイツ語:Caspar David Friedrich、1774年9月5日 - 1840年5月7日)
ドイツの画家。
グライフスヴァルト出身、ドレスデンで没する。
フィリップ・オットー・ルンゲとともに、ドイツのロマン主義絵画を代表する。
宗教的含意をふくむ風景画によって知られる。カスパル・ダーヴィト・フリードリヒとも。
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●概要
ナポレオン戦争とそれに続く時代には、あえて禁止されていた伝統的な民族衣装に身をつつんだ人物を描くなど、ドイツにおけるナショナリズムの形成にも寄与したが、ややもすれば過剰ともなりかねない愛国主義的姿勢や作品にうかがわれる神秘主義的傾向に対しては政治的な理由で批判を浴びる事もあり、ゲーテのように冷静に距離を置いた同時代人もいる。






●作品
作品は、自然の風景、それも高みや遥か彼方を見据えるもの、廃墟になった僧院、墓地、古代の巨石墓、槲の木などがよくモチーフとして取り上げられる。
無人の荒涼とした風景を題材とした、宗教的崇高さと静寂感に満ちた作品が多い。
人が描かれるときは、その人も作品に描かれた風景を鑑賞者と共に見つめるため、背後からしか描かれないのが常である。
例外的に幼児のみがこちらを向いて描かれる。
また『氷の海』のように、自然の冷酷さと死のイメージを重ね合わせた作品も多い。
主要な作品は、ドレスデン美術館とベルリンのナショナル・ギャラリー(ムゼウムスインゼル)で見ることができる。

●技法
元々は、セピアインクによるペン画(線画)を描いていた。
脳卒中で倒れた後は、油彩からは一歩引いて再びペン画を中心に画業を行っていた。

●日本におけるフリードリヒの受容
フリードリヒの作品は、昭和初期から主にドイツ文学者たちによって日本に紹介されている。
また、ドイツ留学の経験のある日本画の東山魁夷の作品には、フリードリヒからの影響が見られる。

●生い立ち
カスパー・ダヴィット・フリードリヒは石鹸・蝋燭業を営む父の4男として、当時スウェーデン領のドイツの最北端・フォアポルメンのグライフスヴァルトにて生まれた。
幼少の頃、妹を亡くす。
13歳の時、河でスケート遊びをしていたところ、氷が割れて溺れ、彼を助けようとした一歳年下の弟・クリストファーが溺死してしまう。

フリードリヒはこの事で長年自分を責め続け、うつ病を患い自殺未遂を起こした事もあった。
その後、姉や母も亡くし、これらの事が彼の画風や人格に大きく影響を与えていると言われている。

●年表
1794年、コペンハーゲンの美術アカデミーに入学し学ぶ。その後、ドレスデンに転居し美術アカデミーに在籍する。
1799年、ドレスデン美術アカデミー展に出品。
1805年、ゲーテ主催のヴァイマル美術展に課題外の作品を出品し、受賞する。
1807年、油彩での本格的な制作を始める。ボヘミアへ旅行。
1810年、『海辺の修道士』『樫の森の中の修道院』がプロイセン王室に買い上げられる。ベルリン美術アカデミーの在外会員になる。
1813年、ナポレオン軍と連合軍の戦いのため疎開。
1814年、ナポレオンが退位。愛国的作品をドレスデン美術展に出品。
1816年、ドレスデン美術アカデミーの会員になる。
1818年、19歳年下のカロリーネと結婚。妻と帰郷。シュトラールズント市から依頼された聖母教会の内装デザインを送る。
1833年、政治的なことも絡んでか、批判的な批評が増える。
1835年、脳卒中で倒れ、一命は取り留めるも後遺症として麻痺が残る。以降はセピアインクによる線画を中心に描くようになる。
1836年、デュッセルドルフ派の展覧会に出品
1840年に死去。











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2013年01月21日

岸野雄一(ヒゲの未亡人)




映画にとって「人間の声」(という領域)はセリフのために残されてる、いわば余地なので、ヴォーカルやボイスを効果音/BGMとして使うのは難しんですよね。ともするとセリフだとか人の声の意味として聴こえてしまう ―― A・K・A“ヒゲの未亡人”こと岸野雄一(schola vol.02)


●岸野雄一/ヒゲの未亡人
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ワッツタワーズやヒゲの未亡人、スペース・ポンチなどのバンド、ユニットで活躍する中、レーベル"Out OneDisc"を主宰し、オオルタイチ、ウンベルティポなど多岐に渡るジャンルの音楽をリリース。
また、東京藝術大学大学院にてサウンド・デザインの教鞭を執り、美学校の音楽コースではコーディネーターと講師を務め、坂本龍一監修の音楽全集『commmons:schola・映画音楽編』では浅田彰・小沼純一と共に座談会と解説に参加している。
そして、スタジオボイスやミュージックマガジン等での音楽/映画評論の執筆や、NHK-FM「日本ロック事始め一部始終」の選曲・出演、NHK教育テレビの道徳番組「時々迷々」のテーマソングの作詞・作曲・歌唱と番組全体の音楽プロデュース、黒沢清の処女作「神田川淫乱戦争」や様々な映画に俳優や音楽プロデュースとしても関わるなど、各方面のメディアにもその活動を広げている。
これらの多岐に渡る活動を包括する名称として、スタディスト(勉強家)を名乗り活動中である。
ちなみに戦前の日活、戦後の東映で名悪役としてマキノ正博、稲垣浩作品等で活躍した仁礼功太郎は大叔父にあたる。 

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スタディスト
http://www3.tky.3web.ne.jp/~gamakazz/kishino/
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そうして気が付けば、岸野雄一はいつの間にか「スタディスト」と名乗っていた。オリジナリティ溢れる肩書きは世に多くあれど、このスタディストは中でも「オールマイティとはいえ余りに根源的すぎて…?」という、いわば味の素にも近い究極の名称。それゆえ、岸野さんに「スタディストでーす」と名乗られれば名乗られるほど、周囲は混乱に陥るというパラドクスが派生するワケだが、とにかくも、誰もがラクしてスリ抜けて生きた〜いと願う今、わざわざ自分で「勉強家」だなんて、ハンパな気持ちじゃ名乗れませんよ、絶対。そんな見えざる十字架を、わざわざ公に晒しながら我が道を行くスタディスト岸野雄一の原点、そして果てなき孤高の道中とは?
(文責:Super! 編集部 / "Super!" Vol.11 岸野雄一特集号より転載)

●つかまりたくない
「"スタディスト"を名乗りだしたのは、93年ぐらいからかな。最初は"勉強家"ってしてたんだけど、横文字の方がキャッチーかなと。まあ広く勉強するっていう、総括的な名称として。肩書きについてはね、結局"つかまりたくない"っていうか。"あの人は評論家でしょ"とか"ミュージシャンでしょ"とか、認知された時点で、途端に消費物になっちゃうし。受け取り側が距離を作っちゃうから。とりあえず自分としては、分からないようにしていくという姿勢は貫いてるけど、ただ発注される時の"じゃあ映画評論家の岸野さんとしてはこういう文をお願いします…"みたいな、メディアの側の誤解は完全に受け入れてますね、向こうは一断面しか知らなかったりするから"はい、了解しました"って。」

●この気持ちは何なんだ――?
「実家が喫茶店をやってて、いろんな大人が出入りしてたから、60年代の音楽や映画には小さい頃から実体験として接してきてて。かなりマセたガキだったね。幼稚園前の頃から、既にお気に入りのレコードがあって、「ああ、いいなこれ」って、毎日とっかえひっかえ聴いてた(笑)。で、小5か小6ぐらいの頃かな。当時はビデオとかないから、あらゆる表現物に対して、もう"これ逃したら観れない"と思って。それこそ一言一句こぼさず、瞬きも惜しいぐらいに必死で観てたの。で、見終わった後に、"この気持ちは何なんだ――?"と。」

「例えば、映画観たり、音楽聴いたりすると、なんか"ある気持ち"になるじゃないですか。ある感情に突き動かされるというか。その感情が、子供の頃から訳が分からないなりにも、すごく重要なものとして自分の中であって。空気みたいなもので、ある時になると欠乏してくるの。で、幼稚園に居ても闇雲に家に帰って、レコードを聴いたり(笑)。高校とか中学の時が一番強かった。校内にいる時は当然音楽とか聴けないから、当時はウォークマンとかないし。走って家に帰ってましたよ(笑)。もう"聴かなくちゃ死んじゃう"みたいなものに近かったなあ。」

「それが中学ぐらいになると理性的になってきて。"何でそれを聴くとこういう感情になるんだろう"とか考えるようになって。"もっと他にこういう気持ちになれるものはないのか"とか探し求めて…、それこそ「勉強」し出すんですよ。というか、これは僕の業の部分かな(笑)。そのうち"それを自分が作った場合はどうだろう"とか考え出して。そこから自分で作り始めたの。中3ぐらいかな、たまたま8ミリカメラを手に入れたので、最初は映像でした(*1)。」

●なんてこった、覚えたことが役に立たないなんて!
「いざ自分で実践してみたら、当たり前だけど自分が観てきたものと、全然違うわけですよ。まず技術的にダメで、でも慣れもあるから、その辺は勉強次第で段々どうにかなっていくの。でも思うように行かない(笑)。そこでいろんな理由を考えましたよ。当時は同級生に出演して貰って撮ってたんだけど、"これはきっと出てる人間が子供だからだ" "大人を出したい!"とか思ったり、自分はまだ高校生なのに(笑)。そんな理由もあって、この頃からだんだん大学の映研とか上映会とかに出入りするようになって。黒沢清監督(*2)ともそこで出逢いました。」

「自分でやり出すと、人の作品を技術的に観るようになって。"こういうカットの取り方に秘密があるのか?"とか、"いや、監督のあんまり意図しなかった部分がそれを生んだのかも"とか思って、"あんまり考えないようにやろう"って考えたり(笑)。やっぱり天然でものすごいものに対する憧れはありましたね。だから音楽にしてもそうで、"果てしないインプロヴィゼーションの果てに無意識があるのでなく、ものすごい構築の末に無意識が捻出されるんだ"とか。」

●苦行をしているつもりはない(笑)
「最初はステージでもテンションを上げるために、自分にいろんな事を課したりもしてたんだけど、それでも結局、無意識には到達できない。ある程度は、悟りとか訓練によってそれを得る方法も体系化されてはあるんですよ。でも、それをなぞるのもイヤっていう、"なんか自分で掴みとらなくちゃダメだ"とか、ここでまた自分に困難な十字架を課したり。とにかく色々考えすぎて(笑)。考えすぎた結果――"無意識に到達する方法はない"って事に気付いたんです。最終的になにかを掴みとれなくても、そうした過程にじゅうぶん価値があるんだと。そう思うとラクになって。最初に"何故だ"って考えた所が、ある種の世界の始まりでもあるし。だから、苦行をしてるつもりは全くないんですよ(笑)。むしろ楽しんでるんです。」

「結局、僕の場合は"映画を撮りたい"とか"歌を歌いたい"と思ってしてたわけじゃなくて、やりたいものっていうのは"定着された感情"みたいなもの?なんか表現したことによって、そこに"ある感情が定着する"ってことですね。そのためであれば、極端にいえば、それが映画であろうと音楽であろうと、全然構わないの。文章の場合も時間的な空白の表現ができないという難点はあるけど、それ以外はほとんど可能だし一緒ですね。注文が来て書いていくうちに、文章を書く人なんだという認知がされてきただけで――というと何か偉そうだけど(笑)。目的はあくまでも感情を焼き付けて、プレイバックできる状態にしたいだけだから。」



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- The widow of Yuichi Kishino / mustache
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While playing an active part in bands, such as a widow of WATS タワーズ or a mustache, and space punch, and a unit, label "Out OneDisc" is superintended and the music of genres across which it goes variably, such as オオルタイチ and Ung Bell Tipo, is released.
Moreover, the sound design was taught at the Tokyo 藝術 university graduate school, and it acted as the coordinator and the lecturer through the music course of the aesthetics school, and has participated in a round-table talk and description with Akira Asada and Junichi Konuma in the music complete works "volume commmons:schola and on film music" of the Ryuuichi Sakamoto editorial supervision.
And writing of the music/film criticism in a studio voice, a music magazine, etc., Song selection and a performance of NHK-FM "first activity full particulars [ Japanese lock ]", music producing of the lyrics, composition and the song of the theme song of the morality program "it is sometimes 迷々" of the NHK educational television, and the whole program, The activity is extended also to media in every direction, such as being concerned with Kiyoshi Kurosawa's maiden work "the Kanda-gawa unchastity war" and various movies also as an actor or music producing.
As a name which includes these activities across which it goes variably, he declares himself a study strike (hard worker), and it is under activity.
The Nirei 功太郎 which incidentally played an active part in Nikkatsu of prewar days and postwar TOEI in the Makino 正博, a Kosaku Inagaki article, etc. as the noted villain asks a grand-uncle.

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- La veuve de Yuichi Kishino / moustache
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En jouant un rôle actif dans les bandes, tel qu'une veuve de WATS .... ou une moustache, et coup de poing d'espace, et une unité, étiquetez "Dehors OneDisc" est dirigé et la musique de genres auxquels il va variablement, tel que ...... et Cloche Ung Tipo, est publié.
De plus, le dessin sain a été enseigné au Tokyo.. grande école d'université, et il a agi comme le coordinateur et le conférencier à travers le cours de la musique de l'école de l'esthétique et a participé à une conversation de la table ronde et description avec Akira Asada et Junichi Konuma dans la musique travaux complets "commmons:schola du volume et sur musique cinématographique" du Ryuuichi Sakamoto surveillance de rédaction.
Et écrire de la critique de musique / cinématographique dans une voix de studio, un magazine de la musique, etc., sélection de la Chanson et une performance de NHK-FM "en premier activité détails pleins [serrure japonaise] ", la musique qui produit des paroles, composition et la chanson de la chanson de film du programme de la moralité "il est quelquefois.. " du NHK télévision pédagogique, et le programme entier, L'activité est aussi étendue aux moyens dans chaque direction, tel qu'aussi s'inquiéter du travail du jeune fille de Kiyoshi Kurosawa "la guerre d'immodestie Kanda-gawa" et plusieurs cinéma comme un acteur ou musique produire.
Comme un nom qui inclut ces activités auxquelles il va variablement, il se déclare un coup de l'étude (ouvrier dur), et c'est sous activité.
Le Nirei... lequel a joué incidemment un rôle actif dans Nikkatsu de jours d'avant-guerre et TOEI de l'après-guerre avec le Makino.., Hiroshi Inagaki fonctionne, etc. comme le scélérat distingué demande à un grand-oncle.




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2013年01月07日

ARNULF RAINER / アーノルフ・ライナー








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Arnulf Rainer

フォト&ペイント
単に塗り重ねられてるわけじゃない
これは受肉としてのペイント
傷 疵
痛み
フィジカルな絵の具
痛みの移植であり 肉のコラボ

ペイント・アクションではなくてアクチュアル
いつまでも痛い筆跡
筆の跡 傷跡

痛み 痛感

写真があってペイントがあるという順序ではないところに特徴がある
ペイント(そのモチベーション、運動、アクション、誘引)が呼び込むフォト
そしてモデルのポーズ
絵の具/ペイントに誘発されるポーズ(肉体の恰好、滑降、格好)
この絶対的な(拘束的な)優劣の関係、支配関係が
痛感
の所有、その主体を写真やモデルから、ペイントに移している

痛感はイメージなので
本来は作品そのものの次元に備わる
それが絵の具(マチエール)に位置しているというのは
痛感の居所がズレているということ
上はその説明だ

そしてRainerのモデル/肖像/顔に対する執着
執着と、そこに作用したい、取り掛かりたい、食いつきたいという欲望
あふれる欲求
このリビドーがペイント(絵の具)と化している肉々しさ
臨場感がある
ライブ感
ここにもペイント/絵の具が受肉として機能しているいわれがある

大まかにいえば
ペイントは「時間、運動、空間の発生の契機、跡、名残」
であり
絵の具は「ペイントに属する要素、道具、字空間から比較的自律しているエレメント」

くっつけて考えられない
Rainerに関してはなおのこと

イタズラ心
ユーモア(ブラック)
パロディ
介入
瞬間/インプロ/即興
ブレ ズレ ユレ
施術
手術 縫合 暴力(の名残、余韻)
爆発
大量 
白いのに黒
宗教性
闇/病み
ねじれ
ひずみ(精神の/空間の/時間の)
不協和音(電子的な/)
電気椅子のような

この辺りもArnulf Rainerの重要なモチーフ。
そして、残虐であり鬱屈している負のオーラに満たされそうでいて、ぎりぎりそうならない。
それも、奈落に落ちる手前で揺れていたり、指先で縁に引っかかってぶらぶらしているという感ではなく、もっと中空にとどまり、滞空しているかのような身軽さがある。
禁忌に触れそうならば、もっとシリアスな緊張感が満ち、そうなってよいだけのモチーフがせめぎ合っているのに、そうならない。
ここもRainerの見所だ。

メモ、またそのうちに、つづく。

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