2013年02月24日

失われた風景の記憶 〜吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』をめぐって




------------------------------------
『折り返し点/宮崎駿』から
------------------------------------

 吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』をめぐって
【 失われた風景の記憶 】 456p〜



●変な古本屋との出会い
僕が『君たちはどう生きるか』(初版は新潮社より一九三七年発行。現在、岩波文庫版ポプラ社版などがある)という本を初めて読んだのは小学生の時で、確か教科書に載っていた記憶があります。
その後、家の近所に変な古本屋が出来て、そこで再び出会った ―― というか、それが一冊の本としての『君たちはどう生きるか』を手にした最初です。

●戦争資料を読み漁る“遅れてきた軍国少年”
この時期に読んだ本の記憶は、ほとんどがこの古本屋に通っていた記憶と重なっていて、僕は小学校と中学校を通して、かなりの時間をこの古本屋で費やしていました。
本当に小さくて変な古本屋で、子供からみても絶対に商売がうまくいかないと思える店構えなんですね。井の頭通り沿いの京王帝都の井の頭線の車庫のあたりに広い繁みが残っていて、その道路際にポツンと一軒だけある。お客がいたためしなんてほとんどなくて、お兄さんに近いようなおじさんが一人いるきりでした。
当時、僕は疎開先の宇都宮から東京へ戻り、永福町に住んでいたんですが、遅れてきた軍国少年と化していたので、その時期から戦争に関する本、要するに戦争を否定する本や戦争の惨憺たる写真とか、そういうものばかりを読みあさっていたんです。

●四歳〜小学生時代の戦争体験と記憶
僕は四歳の時に実際の空襲を受けた記憶が残っていますけれど、戦争そのものについて知る手がかりは当時は何にもなかったんです。そういう本は公にはほとんど出版されていなかったし、ましてや子供が目にできるようなところにはなにもなかった。
街には傷痍軍人がいたし、親たちも戦争の話をしていて、ケロイドを持った人が物乞いに来たりもしていたけれど、そういうことが、そのころの僕の世界の中で、戦争という現実とちゃんとつながっていなかったんです。小学校五年のころに、初めて大人の飛行機雑誌を目にして、日本にこんなに飛行機があったんだということにようやく気がついたくらいに、とにかく情報がありませんでした。

●わけもなく懐かしかった冒頭のシーン
初めて本を手にとって、ページをめくったときに感じた印象は今でもよく覚えています。冒頭に主人公のコペル君が叔父さんと一緒に雨の中をハイヤーで帰って来る挿絵があるんですけど、それを見た瞬間にわけもなく物凄く懐かしくなったんです。
まだ小学生だった僕が、「懐かしかった」なんて感じるのはおかしな話ですが、本当に懐かしかった。
もちろん、そんなシーンは自分が生きてきた記憶の中にはなんの痕跡もないし、どうしてそれが懐かしいんだかも全く理解できない。そういう映像をかつて見たのか、そういう経験をしたのか、それも自分の中で混沌としていてわかりませんでした。

●原風景としての“挿絵”
それと似た経験は、実はもっと小さいころにもあって、ただ男の子が歩道を歩いているだけの絵がひどく懐かしく感じられたことがあった。詰襟の服に半ズボンをはいて小学校に通っているような格好の少年たちが歩いている絵で、でも、僕がその絵を見た当時は、そんな歩道なんてもはやなかったし、そういう風景を懐かしく思う体験は僕の中にはありませんでした。
だから懐かしいという感覚は、自分の記憶にあるから懐かしいのではなく、もっとべつの何かがあるんじゃないかということを、子供ながらにうすぼんやりと意識したことを覚えています。ある意味で、そういうふうに何かを懐かしく想う感覚を、僕はこの本の挿絵を目にすることで学んだといえるかもしれません。
この本はもちろん、挿絵だけでなく、その内容も本当に面白い。でも、僕はそれがどう面白かったのかについてはあまり語りたくないんですね。君たちはどう生きるか ―― ということに関して言えば、僕はもうこういうふうに生きてしまったという年齢だから(笑)。それよりも、この本が書かれた時代に著者が目にしていた風景のほうに、僕は興味があります。

●同時代《せんぜん・せんちゅう》と同時代人へのイマジネーション
この本は満州事変の頃に書かれ、昭和十二年に新潮社が刊行した『日本少国民文庫』(山本有三編纂)の一冊として出版されたものですが、広く読まれ始めたのは戦後です。
昔のものを読むというのは、そこに書かれた内容だけでなく、その時代のことを抜きには考えられない。だから、僕はその本を著した人が見ていた、その時代の中で失われた風景のことを考えてしまうんですね。
少し前に『失われた帝都東京大正・昭和の街と住い』(新装版『写真集 幻景の東京―大正・昭和の街と住い』柏書房)という写真集をジブリの会議室の書棚でみつけたとき、表紙の写真にとても惹かれたのも同じ理由からでした。その写真を見て、僕は『君たちはどう生きるか』の本の冒頭にある主人公のコペル君と叔父さんがデパートの屋上から東京の街を眺めている挿絵を思い出したんです。写真集の表紙は、白木屋というデパートのビルのテラスを写した写真です。そのテラスはその後増改築したために昭和三年から六年のわずか三年でなくなってしまったのですが、どう考えても『君たちはどう生きるか』にある挿絵と同じ風景なんですね。それで、この写真集を編集した人間 ―― 建築家の藤森照信さんがその一人なんですが、彼も絶対、『君たちはどう生きるか』の挿絵を見ているなと勝手に思い込んでいるわけです(笑)。

●砂時計《TOKYO》を見つめて
『君たちはどう生きるか』が出版された昭和十二年あたりになると、軍事上の理由から、デパートのような高い建築物から下を撮る写真撮影そのものが禁止されているんです。この本が書かれるまでの昭和の十二年間という近代史を見ると、思想的な弾圧や学問上の弾圧があって、とにかく民族主義を煽り立てて、国のために死のうという少年達を作り上げていく過程が、あまりに僅かな期間にやられていることがわかる。本当に異常なまでの速さで昭和の軍閥政治は、破局に向かって突き進んでいく。今も世界はそんなふうにたちまちのうちに変わっていく可能性があるんだということです。
つまり吉野源三郎さんは『失われた帝都東京』にあるような風景が、まさに目の前で失われつつあった時代に、そんな東京の町を見つめながら、そのとき自分に何が発信できるのかを真正面から考えて、この本を書いている。だからこそ、表題にある「君たちは〜」という問いかけに意味があり、物語の中に出てくる叔父さんは、少年であるコペル君に向かって、本当に切実な想いで真正面から語りかけているのだと僕は思うんです。

●根源的な文明の危機と問題のすり替え《現実逃避》
僕は、現在我々が生きている目の前の状況も、この本が書かれた時期とそれほど大差のない、ある意味ではもっと根源的な文明の危機に直面していると思っています。
中国や北朝鮮がどうとか、あれがいけないとか、あれがなくなれば済むということではなく、文明の危機っていうのはアメリカを震源地にして、世界中に波及して、今日のこういう姿になっている。
じゃあ、今更アメリカ型の生活を捨てられるのかってことになると、現在はもうそれしか知らない人達だらけだから、そう簡単に捨てられっこない。けれど、それでもすべてがなくなっちゃうことを覚悟して暴力的に捨てるしかない状況にまで、現在の大量消費文明は逼迫していると思います。
だから、今ある風景もまたあっという間に消えていくし、その時期がひたひたと近づいているのは、本当は誰もがどこかで感じているんじゃないかと僕は思っています。そして、その根源的な不安を今は目の前にある、手頃な別の問題にすり替えているだけなんだと。

●戦後 〜駿少年が見た風景
僕自身は戦争が終わった四歳の時期に物心ついているから、そもそもが物がない時に生まれています。
そして、ウロウロとあちこちへ遊びに行くようになると、かつては遊園地だったところや公園だったところが、廃墟のようにいっぱいあるんですね。
草が茫々に生えた公園の奥には苔むした木の橋が池に渡されていて、それを渡って小さな島の草むらの奥にわけ入ると、動物がいたらしき赤錆びた檻があって、その中を覗くと動物の水場だったらしきコンクリートの台の中に落ち葉が深く積もっている。
それは戦前のある時期まで ―― つまり昭和十年頃かもうすこし後まで、東京の西部に郊外住宅を建てるために鉄道会社が中心になって生み出した、人寄せの文化的施設だったんです。今ある井の頭公園や石神井公園や善福寺公園もそもそもは戦前に別荘地を売るために田んぼをつぶして生まれていて、それが戦争によって一度、廃墟になったわけです。その戦前の人間達が文化的な生活を目指した残存物である、モダンな螺旋形の滑り台や水鳥を飼っていた檻が、草むらの中で赤錆びて傾いていたり、穴だらけになって朽ちているというのが、僕が子供の頃に日常的に目にしていた風景です。

●遊びのなかで知り得た真理 〜“文明は衰退する”
だから僕にとっては文明は衰退するというのが、最初に遊びの中で自分で見たものなんです。かつてここに華やかなものがあったけれど、なくなっている。今あるものは壊れて、廃墟になる。それはほんのわずかな期間だったと思うんだけれど、そういう体験が、僕の中の至極深いところに植えつけられているんですよね。

●“たった五歳”の違いが世界の印象《かお》を変える
僕より年齢が上の ―― 例えば五つ上のパクさん(高畑勲監督)だったら、物があったのになくなってしまったという欠乏感があって、戦後はそれが少しずつ戻ってくるっていう過程だったと思います。
でも、僕は初めからないんです。そうするとそれだけの違いで、世の中が全然遣って見えてくる。パクさんたちの世代だと廃墟と化した公園を見ても「ここはかつて僕らが遊んだ遊園地だった場所だ」と思うのでしょうけれど、その時代を知らない僕にとっては、それらはローマの古代遺跡を見るようなものです。そのおかげで、ひたすら想像力を刺激されたということもありますけど。

●透ける廃墟《はざま》
僕が『君たちはどう生きるか』を初めて手にしたとき、その挿絵に懐かしさを感じたのも、そういう僕自身が経てきた子供の頃の体験と、昭和十年頃のこれから空襲で焼かれてしまう予感に満ちた町の挿絵とが、どこかでくっついて、ある種の切なさとともに懐かしいという想いを起こさせたのかもしれない、と最近は思います。そして、僕はあの小さな古本屋で、赤錆びた檻がまだ真新しく光っていた頃に書かれていたものを探していたんですね、きっと。

●ヒューマニストとヘドニスト 〜二人の父〜 狂気の時代に
僕がそんなふうに戦前の失われた風景や戦争のことを知りたがった大きな動機の一つには、この本が書かれた昭和初期の、灰色の時代を現実に生きていた自分の親父やお袋の姿が、どうにもうまく想像できなかったということがあると思います。
東京に大正十二年に関東大震災があって、そこから世界恐慌を経て、日本中が戦争に向かい、空襲で燃えてしまうまで、わずか二十年そこそこしかない。それほどまでに短期間に異常なスピードで破局へ突き進んでいた大嵐のような時代なのに、そして、この本の著者である吉野源三郎さんは本当に切実に時代の危機感と向き合っているのに、子供の頃にうちの親父に当時の話を聞くと、本当に能天気に「いやあ、面白かったよ」とか「一円あれば〜」とか、そういう話しかしなかった。
一方で僕が公的に受け取る日本の歴史の中には、思想弾圧や大不況の中を満州事変へ向かう嵐のような狂気がたちこめていて、若い男女であった父と母がそんなふうに能天気に生きてこられたような隙間なんてまったくといっていいほど感じられなかった。そのギャップが大きな疑問として、ずっと僕の中について回っていたんです。

●“死んだらおわり”だからこそ? 〜ブレなかった父親の生き方
そして、そのへんのことがようやく初めてわかったような気がしたのは、最近、昭和七年ころに作られた小津安二郎の『青春の夢いまいづこ』という喜劇を観たときですね。不景気で就職もままならない時代にもかかわらず、そこに出て来る主人公のモダンボーイの無責任でアナーキーな姿が、まさに親父と生き写しだったんです。ポマードで髪を撫でつけて、本なんか読みもしないのに小脇に抱えて(笑)、眼鏡をかけている。
『青春の夢いまいづこ』という映画は、田中絹代が演じるカフェの娘の気を学生たちがみんなで惹こうとするだけの本当にしょうもない話なんだけれど、全く同じ話を親父に聞かされたことがあるんです。
通っていたカフェの娘に親父が「好きだ」と言われて、試験の当日の朝だったから、呆然となって試験が全然できなかったとかね(笑)。
そういう自慢話ばかりするどうしようもない親父で、活動写真が大好きで、浅草で遊び歩いてばかりいた。そんな親父の話を聞いている限り、けっきょくはどんな時代でも隙間はいっばいあるということなんだというふうに思うわけです。何が起こっているのか気がつかないで、あるいは気がついていても知らんふりして生きていれば、世の中、隙間はいっぱいあるんだというふうに思うわけです。
僕の親父が、あえて時代を意識せずにアナーキーに生きていたのか、あるいは単に無関心なだけだったのかは僕にはわからないけれど、でも、なぜそんなふうに生きたのかっていったら、やっぱり関東大震災の体験で、本当に死んだらおしまいだっていうことを、哲学的にではなく、実感として理解していたからだと思うんです。
だから、本当にその日暮らしでデカダンスでありながら、生涯生き方が崩れなかった。

●とらえきれなかった父
僕は遅れてきた戦時下の少年で、十八歳くらいまで、戦争は嫌いなくせに日本という国への想いみたいなものはあったものだから、父に対して「なぜ戦争に反対しなかったんだ」「なぜ軍需産業なんかやったんだ」っていうことがずっと自分の中に澱のように積もっていたんです。僕も体験した宇都宮の空襲のなかで、子供である我々を抱えてうろうろしている親父とか、その一方でその戦争を利用して儲ける時は儲けるんだという親父とか、息子としては、父がとらえきれないわけですね。そういう父に対して、いちいち自分の若い考えで突っ張ったまま親子をやっていたけど、今になって、自分がこの歳なら、もう一回ちゃんと親父とお袋がどういうふうに生きたかという話を素直な気持ちで聞けたかもしれないなと思うんですね。もうちょっと、居ずまいを正して聞くチャンスがあったんじゃないかと。後悔しているんじゃないです。ただ、親の問題は親の問題だということで過ごしてしまったなという、そんな思いがある。親も愚かだったけれど、子供も愚かだったと(笑)。

●国家的な議事録とは必ずしも一致しない“大衆の記憶、戦争史”
親父にしてもお袋にしても別に何者でもない市井の1人の人間だけれど、でもそういう人間が背負っていた昭和史とか大正史というものには、公的な歴史とは別の風景があったんだろうなと今では素直に思うんです。

●個人を超える大切なもの
僕は一人の人間の幸せよりも大事なものがあるんじゃないか、そのために死ななきやいけないんじゃないかって想いはあって、でも、それは日の丸とはくっつかないという少年でした。今も、個人の存在とかそういうものを超える意味あるものっていうのはあると思っているんです。政治的に、右翼とか左翼とかということを離れてね。

●“じぶんも人間だ”という前提を汲んで 〜白薔薇よりウェストール
とはいっても、僕は、戦争に抵抗するにしても、ドイツの学生たちのナチへの「白バラ抵抗運動」のようにファナティックすぎるのは嫌なんです。それよりもイギリスの児童文学の作家であるロバート・ウェストールが描いた人々のように、戦場に引っ張り出されたけれど、そこで精一杯人間的に生きようとしながら、ボロボロになりながらも、とにかく生きようとしているという人間達の方が好きなんです。
というよりも、それならまだ僕にもやれるかもしれないと思う(笑)。
だけど虚勢でファナティックにやりたくなる自分がいるのも知ってるから、本当に大嵐の時にどうやって生きるのだろう……というふうに考えているうちにずいぶん年月が経って、自分達が戦争に行くことはもうない。だから今はせめて、殺すとか殺されるのを手伝うような映画は作りたくない ―― それだけは、僕は一線を画そうと思っています。

●“殺さない国”になった日本 〜戦後民主主義の成果
今は戦前と似ているとか言っている人もいるけれど、僕は似てないと思いますね。なぜかと言ったら若者が攻撃的じゃないから。新聞がいくら取り上げたり、マスコミが騒いだって、やっぱり少年の起こしている犯罪事件って少ないんです。日本は殺人事件は世界で一番少ない国になっている。それは戦後民主主義の成果なんですよ。

●普通の人を育てよう 〜残虐性のある人間という自覚の上で生きる
最近、僕らはジブリ社員のために小さな保育園を作ろうかという話を進めているけれど、別にそれは立派な人を育てようということじゃないです。普通の人を育てようとしているだけです。普通の人は残虐行為もやる。異常事態になって残虐行為をしてしまうっていうのが普通の人なんです。

●人間でいろ 〜ニヒリズムの陥穽はそこら中にあるし、自信なんてないけれど
人間というのはけっきょくそういうもので、だからそういう異常事態の中で、『君たちはどう生きるか』の吉野源三郎さんは軍閥政治を止めることはできないと感じていたんだと僕は思います。戦争をやって負けるしかないだろう。そして、負けた後はもっと惨憺たることが起こるだろう、と思っていた気がしますね。
だから『君たちはどう生きるか』の中には、どういうふうに時代を変えていったらいいのかってことは書いていない。だけど、どんな困難な時代とか酷い時代にも「人間でいろ」っていうメッセージはあったと思っています。逆に言えば、僕らにはそこまでしかできないんじゃないかっていう絶望にも思えますね。
アウシュビッツに入っても人間でいようねと言っても、それは早く死んでしまう結果になるかもしれない。あるいはそういう時に支えてくれるのは家族の「待ってる」っていう想いかもしれない。でも、そういう極限状態に自分がどれだけ耐えられるかっていうのは、僕ははなはだ自信がない(笑)。

●人間は自我をコントロールできるだろうか
人間は自我をコントロールしていくことが本当にできるのだろうかってことに関しては、僕はあきらめがあります。
だから僕は、この物語の中で、人間らしく立派に生きようと語りかけているコペル君の叔父さんが、この後の戦争の中でどのように生きていったのかを思います。本当に全く無駄に死んでいく可能性もある。

●戦中の実情
昭和のこの時代っていうのは、震災や戦争以外にも結核が蔓延して本当にたくさんの人が死んだ時代です。貧困でもいっぱい人が死んだし、子供たちもずいぶん自殺しました。そして、さらに多くの人が戦争で死んだ。本当に無残な時代として昭和が始まるんですよね。

●人間の自我と戦後〜経済偏重社会の相互依存 〜必然的帰結としての“即物主義”
だから、戦後の文明社会もここまで発展せざるをえなかった。その行き過ぎが問題だっていうけれど、人間はそうせざるを得ないんです。
この土の道は、しょっちゅう工事しているけど、どうにもならないからやっぱりコンクリで舗装しちゃおう。北風が寒くてどうにもならないからサッシだけでもアルミサッシに替えよう。プロパンガスが入ったから囲炉裏も使わなくて済む。石油ストーブがあると暖かい。今はもうそういう生活になっちゃったんです。そうして、すべての風景が壊れてしまったんです。

●この星を食い尽くす
そういう人間の自我みたいなものを本当にコントロールできるのか。理性とかで片付けることができるのかっていったら、僕は全然自信がないです。それは要するに人間は度し難いものだっていう、堀田善衛さんや司馬遼太郎さんが繰り返してきた言葉に帰着してしまうんだけど、本当に度し難いんですよね。だから食い尽くすんですよ、この星を。

●廃墟と虚空の畔で描かれた伝心《メッセージ》 〜“物事をきちんと考えて、困りながら、無駄死にしながら生きなさい”
『君たちはどう生きるか』というのは、だから、困って生きなさいという意味なんですよね。こういうふうに生きればうまく生きられますよ、じゃないんです。物事をきちんと考えて、困りながら、無駄死にしながら生きなさいという。無駄死にしながらです。そういう時代の暴力については直接的には書けないから、そういう時代が来ても、君は人間であることをやめないで生きなさいっていうことしか伝えてないです。吉野源三郎さんは、たぶん、それしかできないことがわかっていたんだと思います。

●傍にある真実 〜五百万人より、となりの三人を喜ばせよう
僕自身は最近、あまり遠くのこととか先のこととかを考えるのではなく、自分の半径五メートル以内のことをちゃんとやっていこう、そこで見つけたもののほうが確かだという想いが強くなっていますね。
五百万人の子供に映画を送るよりも、三人の子供を喜ばせたほうがいい。経済活動は伴わないけれど、それが本当は真実だと思います。僕はそのほうが自分自身も幸せになれると思うんです。
(『熱風』スタジオジブリ 二〇〇六年六月号)











タグ:熱風 スタジオジブリ スタジオ ジブリ 二〇〇六 吉野源三郎 君たちはどう生きるか ポプラ社 岩波文庫 新潮 古本屋 小学校 中学校 商売 井の頭通り 井の頭 京王帝都 京王 帝都 車庫 疎開 宇都宮 東京 永福町 軍国少年 軍国 少年 否定 惨憺 写真 空襲 傷痍軍人 傷痍 軍人 ケロイド 物乞い 飛行機 雑誌 日本 折り返し点 宮崎駿 印象 ページ 冒頭 主人公 コペル 叔父 ハイヤー 挿絵 痕跡 記憶 混沌 詰襟 半ズボン 歩道 風景 満州事変 満州 事変 日本少国民文庫 山本有三 編纂 時代 失われた風景 会議室 幻景の東京 大正・昭和の街と住い 失われた帝都 白木屋 デパート ビル テラス 増改築 改築 建築家 藤森照信 民族主義 切実 真正面 根源 文明 危機 中国 北朝鮮 アメリカ 震源地 波及 暴力 覚悟 大量消費文明 大量消費 大量 消費 逼迫 ヘドニズム 公園 動物 水場 コンクリート 郊外 住宅 鉄道 人寄せ 文化 施設 石神井公園 石神井公 石神井 善福寺公園 善福寺 田んぼ 残存 モダン 螺旋 滑り台 水鳥 パク 年齢 高畑勲 監督 欠乏 過程 廃墟 遊園地 ローマ 古代 遺跡 灰色 関東大震災 大正十二年 世界恐慌 恐慌 青春の夢いまいづこ 小津安二郎 喜劇 ポマード モダンボーイ 無責任 自慢話 活動写真 浅草 無関心 デカダンス 生涯 軍需産業 反対 市井 日の丸 右翼 左翼 ドイツ ナチ ファナティック 白バラ抵抗運動 白バラ 抵抗 運動 イギリス 児童文学 児童 文学 虚勢 アウシュビッツ 工事 コンクリ 舗装 北風 サッシ アルミ プロパンガス プロパン ガス 囲炉裏 石油 ストーブ 堀田善衛 司馬遼太郎 虚空 無駄死 君は人間であることをやめないで 生きなさい
posted by bibo at 02:02| Comment(0) | TrackBack(0) | BOOK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月23日

箱《パンドラ》を開けた




『ファンタジーは深層心理の扉を開く』 267
――『千尋』という映画の中には、『不思議の国のアリス』から『ゲド戦記』、『クラバート』まで、さまざまなファンタジーや児童文学の要素が入っているようですが。
宮崎 いろんなものが混ざってますね。
―― それは意図的に、そうされたのですか。
宮崎 意図的にというよりも、やっていくうちにそうなっちゃうんですよ。自分たちの深層心理の中に繰り返し繰り返し出てくるモチーフというものがあるんだと思うんです。そもそも『クラバート』自体、突然作家が思いついたものではなく、中世の民間伝承を基に書かれたものですから。だから自分が入れたいと思ってて、入ってないものもたくさんありますよ。……僕はね、この作品を作る過程で、自分にとって開けてはいけない頭の中のフタを開けてしまったみたいなんですよ。ファンタジーを作るって、普段は開けない自分の脳みそのフタを開けることなんです。そこにある世界が現実なんだと思ってやっちゃうから、時折、現実のほうが現実感なくなっちゃう。どこかで自分の生活よりも、リアリティ持ってきますからね、その世界のことの方が。今、こういう話をしていても、ある種現実感を喪失していくんですよね、そっちの世界が中心になっていくから。
―― 絵コンテを描かれている時というのは、そこで描いている異世界が現実というか、その中に自分がいるという印象なのでしょうか?
宮崎 ……そうですね。そこまで入っちゃう時が多いと思います。本当にあったことなのか、それとも自分が空想したことなのか、わからなくなっちゃうこともありますよ。スケジュールがあるから繋ぎとめてるだけでね。ここで寝ていてハッと目が覚めると、俺はなんてとんでもないところにいるんだろうって背筋が寒くなることがありますから。この映画は本当にできるんだろうか、と。作品を作るっていうのは、作品に食われる部分がありますからね。
―― ご自分が、作品にですか?
宮崎 ええ。そういう部分が確実にあると思いますよ。どうしてそういう部分に踏み込まなくてはならないというのか……ある種、狂気の部分を背負うっていうのかわからないけど。作ってる最中に、ある種の呪縛に囚われていくんでしょうね。自分がふだん開けないはずだった脳みそのフタが開いて、違うところに電流がつながっちゃう。
―― どの映画を作る時も、そのようなことが起きるんでしょうか?
宮崎 いや、どうだろうな。あんまりそういうふうに思ってなかったですけどね。開けるのもだいぶ手だれになってきたから。ああ、「開いてるな」、と。ただ映画を作ってると、表側のことじやなくて裏側のことばっかり考えてるでしょ。自分の深層心理のほうに扉を開けていく。そうすると突然道が繋がって、ああ、こういうことが自分が本当にやりたかったことなんだ、ってわかったりするけど、それがこの世で全然通用しないことだったりするんですよね。……で、あんまり深く入ると、戻れなくなる。
―― 戻れなくなるとは?
宮崎 いや、だからあらゆるリアリティが映画のほうにあるんですよ。
―― こっちの世界のほうが現実味がない?
宮崎 現実味がない。

《しばらく沈黙が続いた。待っている時間は、果てしなく長いようにも、一瞬のようにも感じられた》

宮崎 ……映画との距離が日によって違うんですよ。本当に入り込んでいる日は矛盾しているのに、ものすごく整合性があるんですよ、多分。離れてみると何の整合性もないのに。一瞬、その狭間に落っこちるんです。おもしろいですね。それまでリアリティを持っていたものが、その瞬間に全部リアリティをなくすんですね。それで脈絡のないものが、突然立ちあがってくる。……だから、絵コンテに戻ると、本当にあっけないもんですよ。あっ、こんな絵コンテだったのかって。

『折り返し点/宮崎駿』つづく(鋭意抽出中・・・・・)







(この二つもつづく・・・・・)

posted by bibo at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | BOOK | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月22日

SNAP

DSCF7782.jpg

DSCF7784.jpg

DSCF7789.jpg

DSCF7790.jpg

DSCF7791.jpg

DSCF7801.jpg

DSCF7809.jpg

DSCF7810.jpg

DSCF7812.jpg

DSCF7813.jpg

DSCF7819.jpg

DSCF7828.jpg

DSCF7831.jpg

DSCF7836.jpg

DSCF7841.jpg

DSCF7844.jpg

DSCF7845.jpg

DSCF7855.jpg

DSCF7858.jpg

DSCF7862.jpg

DSCF7866.jpg
(jindaiji_20121125)




posted by bibo at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | PHOTO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする